第42話 潮の変わり目
ペトログラードの勝利に、ロシア中が湧きたっていた。皇帝ニコライ2世の投げた賽は、見事「当たり」を引いたのである。
この世紀の大博打に勝ったニコライ2世は、歴史に残る名将の仲間入りを果たした。アレクサンドロス大王にガウガメラが、ハンニバルにカンネーが、あるいはネルソンにトラファルガーが、そしてナポレオンにアウステルリッツがあるように、ニコライ2世にはペトログラードがあった。
「ははっ!! やったぞ!! 忌々しいゲルマン人共がくたばりおった!! ははっ!! ははははっ!!」
ドイツ軍がペトログラードから完全撤退し、皇帝ニコライ2世による勝利宣言がなされると、イギリスやアメリカ、イタリアといった連合国からも勝利を祝福する電報がいくつも届いた。ペトログラードの防衛戦は、ニコライを一夜にして聖人の域に祭り上げた。
元よりツァーリは神の代理人であるのだが、名実共にそれを疑う者はロシアからいなくなり、イギリスやアメリカですら面と向かってニコライを悪く言う者は一人もいなくなった。
もし皇帝ニコライ2世に対して冷めた態度をとる不届きものがいるとすれば、それはペトログラード防衛戦の立役者であるマンネルヘイムであった。
彼は勝利の報告を聞いてまず安心し、次いで昇進の知らせを受けて大喜びしたのであったが、しばらくしてから冷静になって報告書の詳細を知るや、内心では鬱屈たる思いを隠せなかった。
「我々はずっと弾薬不足に悩まされた。そのせいで部下たちは、文字通り肉の壁を作らねばならなかったほどだというのに……」
それに引き替え、ペトログラード防衛戦はどうか。報告書の詳細を読むと、1日で使った弾薬量はそれまでの戦いの1ヵ月分にも匹敵する量であった。一人あたりに換算すれば、軽く10倍を超える量の弾薬が平均して使用されている。
――それだけの量の弾薬が備蓄されているのであれば、少しぐらい懲罰部隊や首都防衛隊の捨て石となった兵士たちに分けてやってもよかったのではないか。
――同じとまでは言わずとも、あと5割でも使える弾薬が多かったなら、より多くの兵士を無駄死にさせずに済んだのではないか。
やりきれない思いを抱えつつも、何割かは感傷でしかないこともマンネルヘイムは充分に理解していた。
兵站とは備蓄の総量だけではなく、いかに物資を移動させるかという流通の問題でもある。
その点、道路や鉄道といったインフラが充実した首都ペトログラードに集積させるのは最もロスが少ないやり方だ。クロパトキンら参謀本部もそうした面を考慮して、敢えて「後の先」をとるような戦略を展開したのであろう。
対して、ドイツ帝国はロシア帝国よりも高い生産性と工業力を持ちながら、せっかく生産した武器弾薬の大部分がロシアの脆弱なインフラに阻まれて前線へ届かなかった。
もしバルト地域に西欧並の鉄道網が整っており、ドイツ軍がそれを利用できていたら、首都決戦の結果は変わっていただろう。
(過ぎてしまった事は変えられない。せめて元帥に昇格したことを、最大限に有効活用させてもらおう……)
戦勝にすっかり気分をよくしたニコライ2世は、コルニーロフとマンネルヘイム、そしてクロパトキンにブルシーロフを4人まとめて一気に元帥に昇進させた。過去に前例のない出来事であったが、3人の実績を考慮すれば無理のある話ではない。
軍の長老たちには苦い顔をする者もいたが、久々の戦勝ムードに水を差して今や軍神の域にまで崇められているニコライ2世と大喜びの国民の両方を敵に回すような、野暮な真似をするほどの無能はいなかった。
「この際、もっと地方の将軍にも勲章と昇進を与えるべきではないでしょうか」
受勲式において、年齢からして筆頭となるクロパトキンはニコライから発言を求められた際、こう主張したという。
「首都防衛の働きを評価して頂けるのは光栄の極みです。ですが、派手で目に付く勝利ばかりが評価されれば、その足腰となる地味ですが重要な働きをしている者たちの士気は下がります」
派手な騎兵突撃が成功するためは、いかに敵主力を味方の歩兵が泥臭く引き付けられるかにかかっている。日本軍に苦い敗北を喫し、老練の域に達した老将クロパトキンはそうした謙虚さを忘れてはいなかった。
(なんというか、あの老人は良くも悪くも「いい人」だな……)
コルニーロフは頭を下げたまま、クロパトキンの誠実な人柄をそう評する。良い上司で良い人間であることは間違いないのだが、生き馬の目を抜くような宮廷で長生きするタイプには見えない。
そんなクロパトキンが元帥にまで出世したことは驚くべきことだが、自分にとってもロシア帝国にとっても悪い話ではないだろう。
「私からもお願いします」
コルニーロフがニコライの前に進み出る。すぐに空気を読んだマンネルヘイムもそれに続き、さらにはタチアナ王女にブルシーロフも同様に膝をついて、ちょっとした古い逸話のような光景が広がっていく。
ニコライ2世はあっけにとられたような顔をしていたが、すぐに流れがそういう方向に動いていることを察した。必要とあらば空気をぶち壊す事も厭わない皇帝であったが、そうでない場合には意外にも空気を読む性質であった。
「よかろう。後で昇進・叙勲させる者のリストを持ってくるように」
「ははっ」
こうした戦勝ムードは1週間ほど続き、やがて戦力の増強と装備が部隊の再編制が続々と完了すると、徐々に反撃へとロシア全体の空気が向かい始める。ニコライ2世ことスターリンは本音では直ちに反撃へ移りたかったのだが、結局、冬の間は反撃の準備に努めることとなった。
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そして軍が反撃準備を整えている間、皇帝ニコライ2世は国内統制の総仕上げに取り掛かっていた。
開戦以来、秘密警察を大々的に使った反動政策により、ロシア帝国は確実に警察国家へと向かっている。
首都ペトログラードでは戒厳令が敷かれ、モスクワなど他の大都市でも夜間外出禁止令や都市封鎖などの移動制限がかかり、裁判も迅速を図るべく軍事法廷が導入されていた。
「さて、残るは議会のブルジョワ共だな」
当時のロシアの下院にあたる「ドゥーマ」には、左から順に「社会革命党」、「立憲民主党」、「十月党」がおり、さらに右には様々な極右過激派が集まった「ロシア人同盟」が存在していた。
ニコライ2世としては当然ながら最右翼である「ロシア人同盟」の優勢がもっとも好都合であり、まずは分裂している右翼組織を統一することから始めた。
(まさか、あの裏切り者を使う日が来るとはな……)
皇帝の元に届けられた機密文書には、差出人に‟ロマン・マリノフスキー”と書かれている。
(ロシア帝国のスパイながら、同志レーニンの信用を得てボリシェビキ党中央委員会メンバーに選ばれ、モスクワから立候補してドゥーマの議員にまでなった有能な男だ。期待通り、うまく右翼組織をまとめてくれている)
マリノフスキーからの報告書には、政府の資金援助によってかつての『黒百人組』残党をまとめて統一戦線の形成に成功したと書かれていた。
この『黒百人組』とは、かつて存在した反動的な知識人・政府高官・聖職者・地主代表からなる、右翼テロ組織である。
スローガンは「神・祖国・皇帝」であり、正教会・愛国心・ツァーリズムという三位一体の不可分を訴えていた。
イメージ的には、ナチスの突撃隊やファシスト党の黒シャツ隊に近い。ナチスより早くユダヤ人差別を訴え、解決手段として強制移住とホロコーストを訴えていた点までそっくりである。
そして報告書には、ペトログラードの「ロシア人民連合」と「ロシア人連合」、モスクワの「対革命闘争活動協会」と「ロシア帝政党」、オデッサの「双頭の白鷲」といった旧「黒百人組」が統一戦線を形成し、「ロシア人同盟」が主導する右派ブロックで議会を完全に掌握できると書かれていた。
さらにボランティア団体という体裁で、民兵まで組織しているという。
その名も「緑シャツ隊」で、単に退役軍人が着ていた緑色の軍服をそのまま着ていただけなのだが、緑はナポレオン戦争の頃から続くロシア軍の由緒正しいナショナル・カラーである。
緑色に揃えたシャツで行進する「緑シャツ隊」はすぐに若者を魅了し、また左派に強い威圧感を与えた。
「……人間、どこでも考えることは一緒なんだな」
どこぞのイタリア人が頭に浮かんだニコライ2世ことスターリンであったが、とりあえず承認することにした。
どんどんやってることがファシストに近づいているような気もするが、使えるものは何でも使うのが現実主義者のスターリンであった。
「とりあえず帝政に批判的な社会革命党やトルドヴィキ、メンシェヴィキは非合法化させて弾圧させるとして、保守的な改革を目指すオクチャブリストにはまだ使い道がある。カデットも西欧型民主主義を志向してる点は気に食わんが、立憲君主制のもと帝政までは否定していない。彼らには、新しいロシアにおける翼賛体制の一翼を担ってもらおう」
意外なようだが、スターリンは「民主主義」を否定しない。あくまで否定的なのは「自由主義」である。
西欧では民主主義=自由民主主義であり、大衆の政治参加という意味の「民主主義」と、個人主義をベースとした多様性に寛容な「自由主義」の混合体制だ。
自由民主主義では、原則として「集団の利益の為に、個人の権利を押さえつけることは最低限でなければならない」という個人主義がその根底にある。ゆえに個人の多様性を守るために自由主義が、政府が専制化するのを防ぐために権力分立が求められる。
しかし、自由主義と民主主義は必ずしもセットではない。
「民主主義ではあるが、自由主義ではない」というのがスターリンの考えであり、これを民主主義的・中央集権主義=民主集中制という。
一言で言えば「一枚岩の民主主義」であり、意見の対立やケースバイケースを認めず、国民が常に「一致団結」することを求めるもの。多様性と個人主義を否定し、均質な国民が集団主義的に振る舞い、集権的な政府のもとへ集う「強い国家」……それは個人の権利よりも優先される。
(そうだとも。儂はヨシフ・ジュガシヴィリという個人である以上に、スターリンであり、今ではニコライ・ロマノフという個人である以上に皇帝なのだ……)
個人である前に、仕事上の役職や父親、そして男といった社会的な立場・役割がある。社会的動物である人は一人では生きられない。
であれば、社会に求められる役割を個人の趣味嗜好より優先するのは当然であり、義務ですらある……。
つまりスターリンの考える「民主主義社会」とは、全ての民衆が社会に参加するという点で民主的でありながらも、各々がミツバチやアリのように社会の一部として与えられた領分をこなし、それが有機的に結びついた合理的で無駄のない社会であるのだ。
裏を返せばスターリンの議会嫌いは、与党と野党が非建設的な議論ばかりして一向に結論が出ないという「決められない政治」が原因にある。
もし「常に与党と野党が協力し合って皇帝を助け、国家の問題に対して結論を素早く出せる」という合理的で効率的な理想の議会――翼賛議会であれば問題はない。
そしてペトログラードで勝利した今であれば、皇帝批判は出来ないはず。
皇帝ニコライ2世の次なる狙いは、議会を皇帝翼賛体制の中に組み込み、ロシアを強力な中央集権国家として再編成することであった――。
スターリン主義の特徴である「一枚岩の民主主義」って、いわゆる「決められない政治」へのアンチテーゼであって、それ自体は割と普遍的にどこの国でも見られる発想なのかなと。
あとスターリン自身「自分はヨシフというよりスターリン」みたいなことを言ってたらしく、「個人の自由よりも立場・社会的役割」という価値観も、個人主義の強い西洋以外では割と馴染み深い価値観だと思っていたり。
結局、スターリンもソ連も細かく見ていくと、案外1つ1つの価値観や結論はそれほど珍しいものでもなくて、内戦や戦争で少しづつ過激化した積み重ねの結果に過ぎないんんじゃないかなと。
結論:ソ連とスターリンは皆の心の中で生きている(お目目ぐるぐる)