第38話 帝都燃ゆ
冬に入ってからのドイツ軍の攻撃は強大かつ執拗を極めた。
数度の索敵を兼ねた攻撃でドイツ軍はペトログラードの守備が手薄な部分を大方把握し、そこへ集中的に火力・兵力を投入するようになってきたのだ。
「損害を報告しろ!! すぐにだ!」
大規模な飛行船と航空機による爆撃を受け、崩壊しかかっている防衛線でコルニーロフが叫ぶ。
「対空砲座、および砲兵陣地で被害甚大! もし敵がすぐ攻めて来たら、砲兵支援なしに迎え撃つことになる部隊も――」
(どうする……)
コルニーロフは一瞬迷ったが、すぐに反撃を決意した。
砲兵支援も無く、敵の攻撃を受けた直後の兵士に突撃せよというのは無謀だが、それでもやるしかない。防御というものは、結局のところ反撃するか退却するまで終わらないのだ。そして猛将コルニーロフにとって、後者の選択肢は絶対にありえないものであった。
だが、コルニーロフのこの無謀とも非情ともいえる決断が、結果的には部下を救うことになった。
実はドイツ軍もまたこれまでの攻撃に手ごたえを感じており、再度の飛行船と航空機による大規模な爆撃と、それに続く戦車部隊の大規模投入を準備しており、もしこれが実施されていれば戦線に穴が開いていた可能性は高い。つまるところ、タイミング次第で攻撃は最大の防御となるのだ。
コルニーロフはさっそく、電信にて皇帝ニコライ2世に反撃を提案した。首都ゆえに通信網が張り巡らされている利点は大きい。
「敵の爆撃と砲撃で我が軍の前哨ラインは壊滅状態、索敵攻撃で防衛戦の弱点も見破られてしまいました。この状況で敵が総攻撃をしかけてきたら、到底持ちこたえられないでしょう。やられる前に、先手を打って反撃するしか活路を開く手段はありません」
皇帝の反応は素早かった。
「よくぞ言ってくれた! それでこそ我がロシア帝国の将だ!」
コルニーロフは知る由もないが、ここ数日の間ニコライ2世はクロパトキンらロシア軍高官に何度も反撃を提案しており、その都度慎重なクロパトキンやブルシーロフに諌めらている。
ニコライ2世ことスターリンとて、転生前の人生経験によって我慢の重要性と専門家の意見を尊重することの重要性を知っている。とはいえ、元来が短気なニコライは長引く防衛戦でかなりフラストレーションを溜めており、本音ではすぐにでも反撃に移りたかった。
コルニーロフの提案はまさに渡りに船といったとことで、すぐにクロパトキンやブルシーロフらを呼び出して反撃について会議を行わせた。
「たしかにここ数日の間、敵の爆撃と砲撃は激しいものがあったが、そこまでとは……」
コルニーロフから現場の惨状を伝えられたクロパトキンは息を呑む。ここに至っては反撃もやむなしとの結論に達し、虎の子の予備部隊を投入することが決定される。
「コルニーロフ将軍、ただちに部隊を組織して敵の砲兵陣地を攻撃してほしい。ただし追撃してはならん。敵の防衛線を利用して防御陣地を築き、ペトログラードへの圧力を緩和させるのだ」
「お言葉ですが、目標の砲兵陣地から僅かの距離に、敵の戦車部隊が配置されています。敵の戦車部隊は精強であり、すぐにでも陣地を奪還するために反撃してくるかと」
「それでいいのだ。むしろこの機会に敵の戦車隊を返り討ちにして欲しい。こちらも対戦車砲と戦車を用意する。二度と、敵が戦車を浸透戦術に使えないぐらい徹底的に痛めつけてやれ」
これまで味方が敵の急降下爆撃と戦車による突撃を組み合わせた浸透戦術―――後世では「電撃戦」などとも称されるものの原型―――にどれだけ被害を被ってきたことか。
コルニーロフがにやり、と獰猛に笑う。
「いよいよ我が軍の戦車部隊の本格的なデビュー戦というわけですな」
「戦闘にはマンネルハイム将軍の精鋭シベリア軍団も参加させる。コルニーロフ将軍は、戦車部隊と歩兵部隊の連携に集中して欲しい」
「承知しました」
そしてコルニーロフに与えられた戦車部隊は、ロシア帝国軍が保有する最強の戦闘部隊であった。そして実戦で指揮を執るのはフランス帰り組の1人、ピョートル・ウランゲリ男爵である。
――第4親衛戦車師団「ヴィスレンスカヤ」
ニコライの肝入り編成されたこの部隊は、欠員が目立つ他の師団と違って全ての部隊が定員を満たし、2個の機械化旅団(1個旅団につき戦車は約100台)、これに加えて騎兵一個旅団、機械化野戦砲兵一個連隊からなっている。機械化旅団は戦車3個大隊からなり、これに歩兵1個大隊に加えて各種の支援・補助中隊がついていた。
この師団に配備されたロシア帝国軍の戦車は、新型のT-17突撃戦車を主力としている。
これはロシア軍事使節団の申し出によりフランスから輸入されたサン・シャモン突撃砲を小型化したような形をしており、ニコライの知る歴史でイタリア軍が使ったセモヴェンテM40自走砲あたりに似ていた。
「とにかくデカい大砲を載せろ!」
ニコライの記憶の中の第二次世界大戦において、陸戦の勝敗を決定したのはT-34などに代表される汎用性の高い中戦車の大量投入であった。
しかし工業化に成功したソ連と違い、ロシア帝国の生産能力にはかなり厳しい限界がある。その中で最低限の火力・機動力・防御力を維持しつつ、生産性を高めなければならない。
そうした状況の中、ニコライが注目したのは、仇敵ナチス・ドイツが多用していた「突撃砲」である。工業生産能力に限界のある枢軸国は思い切って砲塔を廃止することで、構造の単純化による生産性の向上を達成した。
さらに無砲塔構造は砲塔内容量、旋廻リング荷重制限などを受けないので、流用元の戦車に比べて重くてかさばる戦車砲、つまり大型・大口径・長砲身で威力の高い砲が搭載可能である。
同じ重量の戦車より装甲と火力に勝り、その上、高い工作精度が要求されるボールベアリングの必要な回転砲塔を持たないため、生産工程は戦車よりも少なく済み、大量生産が可能であった。
その反面、射線を変えるためには車輌自体を旋回させねばならず、状況に即応した行動をとることが難しい。
しかし元より練度の低いロシア兵にそんなものを期待しても仕方がないという割り切りや、それを前提としてドクトリンが教条的ともとれるほど計画重視に振り切っているため、ドイツ軍ほどはデメリットが表面化しないと考えられた。
(実際、駆逐戦車は我がソ連でも大きな成果をあげた。使えるものは何でも使う……)
こうしてニコライの肝入りで作られたT-17戦車(厳密には突撃砲だが)は、同じ重量であれば同世代のどの他国戦車よりも装甲と火力に勝り、生産工程も少ないことから、工業力に乏しいロシア帝国であっても大量生産・大量配備が可能であった。
この切り札とも呼べる戦車部隊を率いるウランゲリは、コサック指揮官として機動部隊の運用に長けているが攻撃一辺倒なだけではなく、粘り強い防御戦闘においても才能がある事を示した。
「焦るな……火力と装甲ではこっちが上なのだ。よく引き付けて、少しでも多くの敵を討ち取ってやる」
ウランゲリは慌てることなく市街地へ侵入してくるドイツ軍に対して待ち伏せを行い、低い車高と強力な火力を活かして敵の突撃を完膚なきまでに粉砕した。
待ち伏せであれば旋回能力の低さもそこまで問題にならず、敵に背後を取られる心配もほとんどない。敵歩兵はもちろん、ドイツ軍が投入した鹵獲ホイペット戦車などに対しても優勢な火力と装甲で一歩も引けを取ることが無かった。
唯一の懸念はウランゲリの部隊が到着するまでにマンネルヘイム隊の防衛線が持ち応えてくれるかであったが、幸いにも間に合ったようだった。マンネルハイム中将は即席の火炎瓶や煙幕を効果的に使う事で、優勢なドイツ軍相手にしぶとく抵抗を続けていた。
「マンネルヘイム中将であります。コルニーロフ将軍、それからウランゲリ将軍。よくぞいらした」
コルニーロフにとってマンネルハイムはそれまでほとんど親交のない相手であったが、話し合ってみると信頼に値する人物だと直感した。土壇場にあっても余裕を崩さず、落ち着いて誠実な対応は指揮官の器であった。
――話を聞いていると、驚く事ばかりである。
まず人材の劣悪さ。実質的な懲罰部隊とはいえ、ほとんど素人同然の新兵か敗残兵の寄せ集めでしかない。ロクに銃も撃てないのではないかと聞いてみると、「銃は撃てませんが、爆弾は投げられます」と飄々とした返事が返ってきた。
人材以上に装備も劣悪であった。聞けば機関銃と大砲は小型のものがそれぞれ30ほど。それだけで1個師団正面の全てを守っているだとか。聞けば、工兵から本部中隊までも前線に投入しているという。
噂には聞いていたが、流石のコルニーロフも唖然とした。
「よくもまぁ、こんな装備で守ってこられたものだ。こちらから砲兵と機関銃を貸そう」
「ありがたい。それだけ頂けるのでしたら、このままドイツ軍を倒してしまっても?」
「ああ、一向に構わんとも」
戦意たっぷりのマンネルヘイムのジョークに、コルニーロフもニヤリと笑う。この男とは良い酒が飲めそうだ。
「そうそう、加えて良いニュースをひとつ。今回の反撃は皇帝閣下の肝入りだ。よって弾薬の制限は全くない。好きなだけ撃って、撃ちまくってくれ。弾が無くなりそうになったら補給部隊がすぐにでも駆けつけてくれるだろうよ」
反撃の準備は、整った。
ロシア帝国でまともな走・攻・防のバランスがとれた戦車をこの時代に量産するなら、突撃砲タイプしかないだろうなーと。防御側なので、待ち伏せ戦術に特化すれば多少は。