第31話 長期戦への備え
「クロパトキン大将、君の予想した通りになったな」
ニコライの呟きを受けて、クロパトキンは緊張で何度も汗を拭いた。西部戦線に最後まで留まったクロパトキンは、ドイツ軍の新しいドクトリンである浸透戦術の脅威を早い段階から警告しており、防衛線の維持は困難だと結論付けていた。
「陛下、我が軍に必要なのは土地ではなく時間です。西部戦線の軍を転進させたことで一時的にドイツ軍の兵力は増強されていますが、かの国の資源不足と人的被害、経済は疲弊しきっています。我が国が勝利するためには持久戦を行い、近々介入が噂されているアメリカの対独宣戦布告まで時間を稼ぐことです」
クロパトキンの理路整然とした説明は、ニコライにも納得できるものだった。
(事実を積み上げての論理的な推論だ。大祖国戦争の時には不甲斐無いフランスがあっさりと降伏したせいで準備万端のナチと戦う羽目になったが、今回は英仏が粘ってドイツも満身創痍なだけまだマシかもしれん)
そうと決まると、ニコライはただちに戦略を水際防衛から内陸持久へと切り替えた。広大なロシアの大地で戦うには常に補給の問題が付いて回り、ドイツ軍は数が増えただけ兵站への負担も大きいだろうから、持久戦は避けたいはずだ。
「それでクロパトキン大将、どのように持久戦を行うべきか?」
「敵が長期戦を続ける能力を徹底的に削ります。その上で、我々と同じ土俵に立ってもらいます」
クロパトキンは慎重派の将軍であり、地味だが堅実に成果を重ねるタイプだ。
彼が持久戦への意向にあたって強調したのは、敵の優位を潰すこと。具体的には「火力」と「練度」であり、それを削って純粋な兵士の消耗戦になれば勝機はあると踏んでいた。
(しかし、これを実行すれば更に多くの被害が出る……戦争に勝つための必要な犠牲とはいえ、兵たちが憐れでならない)
非情になれ、とクロパトキンは自らに強いる。日露戦争と第一次世界大戦を経て、クロパトキンは非情に徹することが勝利への鉄則であることを思い知らされた。
日本軍による203高地への損害度外視の突撃、ドイツ軍によるヴェルダン要塞への出血消耗作戦……最終的に甘さの抜けきらなかった自分は日本軍の攻撃力と自軍被害を過大評価して敗北し、恐らくはフランス軍も意志の弱さが降伏への道を開いた。
対してニコライ2世……スターリンの方はというと、もともとが非情な人間であり、クロパトキンのような葛藤は存在しない。自分の妻や息子とてそれほど愛情を注いだことは無く、数多のソ連兵の犠牲にも悲しむことは無かった。大粛清やホロモドールで無実の人間が餓死や処刑されようとも、憐れみを感じる事は無かった。
スターリンがロシア内戦と第二次世界大戦を経て学んだことは、結局あらゆる物事は勝利せねば意味が無いということだった。そして勝利のためには軍事力が最終的にはものをいう。
(我が国には無限の人的資源がある……そういえば一度に展開できる最大兵力を気にしたことはあるが、損失を気にした事はなかったな。1万の兵士を失っても、新たに予備役から1万を動員すればいい。その1万を失ったら、また1万を徴兵すればいい)
スターリンにとって兵士は畑で採れる消耗品であり、それ以上でもそれ以下でも無かった。消耗品とはいえ人的資源を無駄に浪費するのはソ連流合理主義に反するが、必要な消費を惜しむ愚を犯すつもりもまた無かった。
(何より、火力は工業国であるドイツ軍の方が圧倒的に上だ……朝鮮戦争でマオが使った人海戦術に学ぶしかあるまい)
計画経済によって急速な工業化を達成したソビエト連邦ならいざ知らず、ロシア帝国は最後まで農業国のままだった。ソビエト赤軍のように大量の大砲を並べて敵軍の機動力を奪い、無数の戦車を連続投入して無停止進軍するような贅沢な真似は出来ない。
――何より、スターリンは総力戦が時間との戦いであることに気づいていた。
すなわち、戦略ミスによって広く分散させてしまったロシア軍を集結させるまで、いかに土地と空間を使って時間を稼ぐかという戦いである。時間との戦いはまた、補給と補充のスピードとの戦いでもあった。つまりドイツ軍が先にペトログラードを陥落させるか、ロシア軍が先に首都を要塞化できるだけの兵力を集められるかの戦いだ。
(ソ連が大祖国戦争に勝利できたのは理由は、物量に勝っていたからではない。長期戦への移行がドイツより上手く進んだからだ……)
二度にわたる大戦を通じて、スターリンは現代戦が総力戦であることを理解した。首都を落とせば講和というような短期戦ではなく、どちらかが焼け野原になるまで文字通り工業力もマンパワーも“根こそぎ”動員しての長期戦だ。
――いくら兵士を殺そうとも、兵士は徴兵すれば集まる。
――どれだけ戦車や爆撃機を破壊しても、兵器は工場で作れる。
それはソ連もドイツも同じ。むしろドイツ軍は西ロシアの工業地帯・人口密集地帯を支配下においていたので、実のところソ連が国土を完全に奪還するまでマンパワーにしろ工業力にしろ、両国のリソースにさほど大きい差があるとは言えなかった。
しかし短期戦を志向するドイツは総力戦への備えが不十分であり、また軍事ドクトリンも長期戦には不向きなものだった。一世を風靡した「電撃戦」にしても、臨機応変な対応のとれる優秀な下士官と、優秀な技術者、優秀なパイロットを前提にしており、そうしたベテランは戦争の長期化に伴って失われる運命にあった。
対してソ連では幸か不幸か、ロシア内戦に大粛清、冬戦争と相次ぐ不幸で優秀なベテランの多くが失われており、開戦当初からベテランに頼らず素人でも戦える体制づくりが急ピッチで進められていた……。
「とにかくドイツ軍の継戦能力を徹底的に削るぞ! 兵士と兵器はどれだけ被害を出しても構わんが、貴族将校らベテランは確実に温存しろ」
この命令はさしたる反発もなく、直ちに遂行された。元より将校のほぼ全員が貴族である。反対する者などいるはずがない。
クロパトキンやブルシーロフといった良識派の軍人にしても、劣悪な環境のロシア軍におけるベテラン育成の大変さを理解していただけにニコライの命令を積極的に支持した。
一方で自国のベテランを温存するのとは対照的に、ドイツ軍のベテランや下士官は優先的に排除すべき対象とされた。下士官以上を殺害した兵士には報奨金を与えると言った徹底ぶりだ。パイロットや整備兵といった育成に時間のかかる兵科も同様とされ、とにかく土地は奪われてもいいから相手の戦力を削るよう方針が転換された。
(まことに気に食わんが、工業力はドイツの方が上だ……兵器の潰し合いになれば我が国が不利。しかしベテランや技術者は工場で作ることは出来ぬ)
これらの育成には、少なくとも10年はかかるだろう。しかし失うのは一瞬だ。整備工場や士官の宿舎は優先的に砲撃・爆撃・狙撃の対象に加えられた。
一方でドイツ軍も同様の対抗措置をとってくる可能性があるため、どのようにして自軍のベテランを温存すべきかという事もまた問題であった。
ソ連軍で地味に効果があったのは、士官と兵士の服を同じにするという単純なもので、とりわけ市街戦で効果を発揮した。市街戦では狙撃兵の果たす役割は平地戦以上に大きく、彼らは優先的に士官から狙撃するように訓練されている。
しかし「労働者の祖国」ソビエト連邦では「平等」の理念のもとに兵士と士官の服装を統一し、階級を示す装飾や敬礼といった余計なものを排除していたため、ドイツ軍に比べて被害は多少なりとも小さく済んだ。副次的な効果であるが、服装の統一によって工場の負担も減るのでまさに一石二鳥という訳だ。
しかし此処は貴族社会華やかなりしロシア帝国。将校や士官の大半を占める貴族たちが平民たちと同じ服を着て、同じように振る舞うのには無理があった。
「だから軍の貴族どもは派手な服装をやめろと何度言えば分かるのだ!?」
「何度も伝えてはいるのですが、現場の抵抗が激しく……」
「現場の抵抗だとぉ!? そんなもの、叩き潰してしまえばよい! 命令違反者は銃殺だ!処刑しろ!」
「……ベテラン士官を処刑しては本末転倒では?」
「ではどうすればいいのだ!?」
絶大な権力を持つ皇帝といえども、思い通りにならぬものは存在する。
――――とはいえ不幸中の幸いというべきか、勇敢なドイツの将校は臆病なロシア軍将校より積極的に前線に出くるため、ゆっくりと被害は蓄積していったのであるが。
実のところそこまで人的資源に余裕が無かったソ連(むしろ大砲の数とか戦車の数で圧倒してた)