第02話 まやかし戦争
史実のロシア帝国軍はドイツ側の予想より早く動員を終え、すぐさま東プロイセンへと攻め込んでいる。しかしニコライの口から出てきた方針は、「総動員はするが、こちらからはドイツに攻め込まない」という守勢的なものだった。
「わが国の現状を顧みるに、戦争遂行の手配がまだまだ不十分だ。総動員は認めるが、侵攻は今しばらく延期とする」
「しかし、それではドイツ軍の領内侵入を認めてしまう事になります……」
難色を示したのは参謀総長のヤヌシュケビッチ他、動員計画を担った者たちだ。
彼らの脳内にチラついていたのは、普仏戦争におけるドイツ軍の鮮やかな勝利である。鉄道を用いた迅速な兵員運用によって主導権を握ったドイツ軍は、わずか2ヶ月足らずでフランスを降服に追い込んだのだ。
「日露戦争以降、国民の不満は溜まる一方です。ドイツ軍の国内侵犯を許したとなれば、政府と陛下への支持はいっそう低下します……」
「だが、現状の我が軍で勝てるのかね? 大砲も弾薬も不足していると聞く。勝てばいいが、負ければ国民の不満は更に高まるぞ」
史実のロシア帝国は参謀部の計画通りに侵攻した結果、「タンネンベルクの戦い」で40万もの大軍を半数以下のドイツ軍に撃破されている。それを知るスターリンとしては、何としても歴史を変えなければならなかった。
「何も丸裸で防御しろと言っているのではない。だから参謀本部の進言に従い、“部分動員ではなく総動員を認める”と言っている」
睨むようなスターリンの視線に、言葉に詰まるヤヌシュケビッチたち。もともと第一次世界大戦の発端はドイツを味方につけたオーストリアと、ロシアを味方につけたセルビアの対立に起因する。
オーストリアがセルビアに宣戦布告した以上、ロシアとしては同盟国セルビアを見捨てるわけにもいかないが、そうすると必然的にドイツとの対立も深まることにもなる。
全面戦争を恐れていたニコライ二世は必要以上にドイツを刺激しないよう、軍の動員を部分的なものに留めようとしていた。
そこに待ったをかけたのが、兵站を司るヤヌシュケビッチら参謀本部総局である。曰く「部分動員では万が一ドイツと戦争になった時、戦争計画に致命的な遅れが生じるから出来ない。やるなら総動員だ」とニコライの要求を突っぱねたのだ。
長時間に亘る議論の末にニコライ二世は渋々総動員を認めたのだが、転生したスターリンはこれを利用することにした。
要するに「総動員では自分が譲歩したのだから、今度はそっちが譲歩しろ」という訳である。
「しかし……」
「心配はいらん。我々はフランスと同盟を結んでおる。ドイツとて、背後の敵を放置したまま大軍をこちらには送るまい」
ヤヌシュケビッチたちの心配するような「ドイツ軍によるロシア先制攻撃」は起こらない―—史実を知るスターリンにはその自信があった。
――事実、ドイツ軍参謀本部の計画ではロシアに先立ってフランスへ侵攻する事になっていたからだ。
「シュリーフェン・プラン」と呼ばれたこの動員計画では、ロシアは広大な領土ゆえに総動員完了まで時間がかかると仮定し、先にフランス軍を叩いてから反転してロシアに攻め込む算段であった。
しかし、そんな未来知識を当時のロシア軍高官は知る由もないし、仮にスパイから情報を得ていたとしても、どこまで鵜呑みにして良いものなのか。
実際、当のドイツ軍ですら最終的にはシェリーフェン・プランが採用されたものの、西部戦線を重視するシェリーフェンら「西方派」と、東部戦線を重視するモルトケら「東方派」の対立が続いていたのだから。
ゆえにヤヌシュケビッチらにしてみれば、皇帝は事態を楽観視しているようにしか見えず、その後もニコライとの間で延々と議論が続けられた。
(ええい! 皇帝であるこの儂が延期すると言っておるのだ! さっさと首が残っている内に縦に振らんか!)
とは言え、一個人としては温厚だったニコライ二世と違い、スターリンは元々そう穏やかな性格ではない。
なかなか首を縦に振らない参謀部に、業を煮やしたスターリンは遂に最終手段へ踏み切る事にした。
「では、こうしようではないか。どうしても侵攻したいというのなら止めないが、失敗した時には全ての責任を負ってもらう。ただしステッセリの時と違い、特赦には期待しない事だ」
要約すると「もし負けたら軍法裁判&死刑確定だからな?」というストレートな脅迫である。すると予想通り、ニコライへの抗議がパッタリと止んだ。
(うむ、やはりこの手に限るな。恐怖ほど楽に人を支配できるものはない)
結局、誰だって自分の身が可愛いものだ。命を賭けてまで主張を通そうとする者など、滅多にいるものではない。
加えてロシア軍の準備不足をニコライ以上に痛感していた参謀部としては、ここまで言われれば引き下がるしかなかったのである。
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かくしてスターリンの予想通り、ドイツ軍は「シュリーフェン・プラン」を発動し、その戦力の大半をフランス方面につぎ込んだ。フランス軍を片翼包囲しようと中立国ベルギーに侵攻して西部戦線が泥沼化する一方、対ロシアでは防戦の構えを見せた。
対してロシア軍も総動員こそしたものの領内から一向に出ようとはせず、皇帝ニコライ二世の命令でひたすら国境沿いに塹壕を掘る毎日。激化する西部戦線を余所に東部戦線の両軍はにらみ合いに終始し、退屈のあまりに厭戦気分が蔓延し出して戦意が低下して、双方の兵士たちがタバコや酒を交換し合うような光景すら見られるようになっていた。
戦争状態にあって国境を接しているにもかかわらず、一切の戦闘が生じないこの戦争はメディアからも「まやかし戦争」などと皮肉られることになる。
しかしロシア帝国のやる気の無さに黙っていないのが、ドイツとオーストリア=ハンガリーの大軍を押し付けられた連合国である。
中でも大戦のきっかけを作った張本人であるセルビアは、大国オーストリア=ハンガリーの猛攻撃を受けて風前の灯であった。
「ロシアは何をしている! 同じスラブ民族ではなかったのか!?」
連日のようにペトログラードの宮廷には、救援を求めるセルビア政府からの悲鳴が届いている。
皇太子を暗殺されて復讐に燃えるオーストリアに対し、これまでセルビアが強気で抵抗してきたのはロシアの支援あってこそ。汎スラブ主義にもとづいてバルカン半島に勢力圏を確立しようとするロシアの目論見を、逆に利用する中小国の知恵と悲哀が詰まっているのだが、ニコライはこの伝統的な汎スラブ主義に対して驚くほど冷淡に接した。
(大戦後、恩知らずのチトーの奴には手酷い裏切りを受けたからな。儂は金輪際、バルカンのスラブ人など信用せんぞ)
理由が完全に私怨にもとづく逆恨みである。一応は義理で参戦してあげた上に軍事物資の援助ぐらいはしてやってるのだから、それ以上の要求に従う筋合いは無い、というのがニコライことスターリンの見解であった。
もちろん、この事実上セルビアを切り捨てたに等しいロシアの態度に対して、セルビア政府は猛抗議した。
「我がセルビアが敗北すれば、今こちらで引き付けているオーストリア=ハンガリー帝国の大軍はロシアに向かうでしょう。それは貴国としても、望むところではないのでは?」
「あるいは、その大軍はフランスやイギリスへ向かうかもしれんな。それは西側の連中にとっても望むところではないだろう」
スターリンが常に警戒しているのは、英仏がロシアを利用してゲルマン人と戦わせ、共倒れを狙っているという陰謀である。実際、第二次世界大戦の折には英首相チャーチルなどがそのように考えていたし、とにかく同盟国であろうと外国は信用しない、というのがスターリンのスタンスであった。
「……後悔することになりますぞ」
「心から貴国の無事を祈っておるよ。セルビアが健在であれば、その分だけ我がロシアに向かう同盟軍兵士の数は減るのだからな」
「ッ………!」
斯くしてロシアに見捨てられたセルビアは外交方針を西側重視に切り替え、鉄道や鉱山などの国内利権を戦後は英仏系外資に売り渡すことを条件として、イギリス・フランスから援助を引き出す方向へと方針を転換して動くことになる。
英仏は兵士こそ少数しか送らなかったものの、武器弾薬を豊富にセルビアへと供給した。大国オーストリア=ハンガリーの前に絶望的だと思われたセルビア王国は「バルカンの奇跡」と呼ばれるほどの粘りをみせ、1915年末に征服されるまでほぼ単独で1年以上も戦い続けている。
第一次世界大戦の大きな番狂わせの一つに数えられる「バルカンの奇跡」は、中央同盟国に想定外の負担を強いることになった。そしてそれは同時にロシア帝国にとっても、戦況を気にすることなく1年以上の余裕を以て総力戦体制への移行を国内で進められることを意味していた。
かくしてニコライは同盟国の切り捨てと英仏からの外交評判を犠牲に、ロシア帝国の保全と余裕をもった変革を行うための時間を稼いだことになる。
それは「ロシアの外交的孤立を招きかねない危険なものであった」と当世の歴史家は記すが、それすらソビエト連邦の四面楚歌を潜り抜けたスターリンにとっては生温い逆境に過ぎなかったのである。
WW1で何故ロシアが準備不足のまま参戦したのかっていうと、英仏とかセルビアみたいな同盟国への配慮というか忖度みたいな部分が大きい気がしてます。
しかし自国を犠牲にして稼いだ外交ポイントも、結局ロシア革命でゼロに戻っちゃうんだから涙目。