第27話 綻び
1か月後、フランスはパリを中心とするコミューン政府と、ボルドーに居を構える第3共和国政府に2分されていた。
密かにドイツの支援を受けたコミューン政府は瞬く間に北部から東部を手中に収め、西部から南部にかけては英米など外国勢力に支援された共和国政府が辛うじて掌握していた。事態はさながら「フランス南北戦争」の様相を呈し、事態はいよいよ混迷の度合いを深めていた。
その報告はロシアにも届けられ、皇帝ニコライ2世を不機嫌にさせた。
「まったく、連合もふがいない。もう少し粘ってドイツと共倒れになってくれれば大助かりだったのだが……役立たず共め」
だが、コミューン政府の指導者の中にレーニンの名を見つけると、目を大きく見開いて絶句する。
「同志レーニン………」
本人以外には聞き取れないほどの小さな呟きであったが、皇帝が滅多に見せない驚愕の表情を見せたことは少なくない注意を引いた。
「陛下?」
「……気にするな。なんでもない」
レーニンの実力は、スターリンも良く認めている。追加の報告書を読んでいくと、トロツキーまでもがロンドンからパリに入ったという。
「第3共和国は滅びるぞ」
レーニンの政治的カリスマ性はもちろん、トロツキーの軍事的指導者の才能をスターリンはよく知っていた。
(フランスはいずれ、トロツキーの手でコミューンが掌握することになるだろう。なにせ、あの苦しいロシア内戦を勝利に導いた男だからな……)
惰弱なフランス第3共和国が正面から戦っても、勝てる相手ではない。そうスターリンは結論づけた。
(いずれにせよ、起こってしまったものは仕方ない。同志レーニンはともかく、トロツキーはいつかピッケルで暗殺するとして……目下の問題はドイツ軍だ)
まだ正式な講和こそ結ばれていないものの、内戦状態に陥ったフランスは事実上ドイツとの単独講和に応じたに等しい。
(そうなれば残る連合はイギリスとイタリア、そして我がロシア帝国だ……)
しかしイギリスは海の向こうにあり、イタリアにはアルプス山脈という天然の要害がある。ドイツ軍にとって次に排除すべき対象となるのは、間違いなくニコライ2世の治めるロシア帝国だ。
既にドイツ軍はシュリーフェン・プランに従い、西部戦線から部隊を引き抜いて続々と東部戦線行きの列車に送り込んでいるという。
「仕方あるまい……参謀長!」
大声で皇帝に名前を呼ばれ、参謀長ミハイル・アレクセーエフがビクッと硬直する。これからどんな無茶を言われるのか、なんとなく想像がついたからだ。
「陛下……その、」
「なんだ?」
ギロリ、とニコライの鋭い眼光がアレクセーエフを突き刺す。せっかく喉まで出かかった反論も、その圧力の前には唾として呑み込むしかなかった。
やられる前にやれ、それが皇帝ニコライの信条だ。もちろん、分捕った東欧諸国も手放す気はないだろう。
(だが、既に補給は限界に達している。占領した東欧諸国のゲリラも活発だ。とても攻撃に出る余裕などない……)
しかし、ここで逆らっても内務省の世話になるだけで、結局は別の誰かが「攻撃できる」とうそぶくまで皇帝ニコライは納得しない。であれば、反論するだけ無駄というもの。
「り、陸軍の方では既にドイツへの大規模な攻撃計画を用意しております。陛下の命があれば一週間以内に行動に移れるでしょう」
心の中で済まぬと兵士たちに詫びながら、アレクセーエフはニコライが最も期待しているであろう言葉をスピーカーのように謳いあげた。
***
案の定、割を食ったのは前線にいる兵士たちである。
フランスの降伏をロシアが黙って見ているはずがない――ドイツ軍参謀本部はそう予測し、東部戦線を可能な限り強化していた。その努力は功をなし、ロシア軍の作戦計画はほぼ完璧に当てられていた。
「前進しろ! 動かなければ砲撃の的になるだけだぞ!」
自ら危険な前線に足を運び、マンネルヘイムは兵士たちを鼓舞し続けていた。裏を返せば、指揮官が前線に出なければならないほど士気が下がっているという事に他ならない。
(情報部の無能共め……! 敵はポーランド方面の陽動部隊に吸引されているのではなかったのか!?)
現在、マンネルヘイム率いる第4軍は占領した旧オーストリア領から、ベルリンを目指しようにして北上している。序盤の突破はうまくいったものの、ドレスデンまで進んだところで急に強烈な反撃にあって頓挫していた。
「クソッ、敵の砲撃が激しすぎる! 突入した騎兵部隊の進行状況はどうなっている!?」
「着弾の煙で何も見えません! 騎兵隊も各地で孤立しているらしく、現在地も不明です!」
「ブルシーロフ攻勢」で使われた浸透戦術を採用し、新設されたばかりの戦車部隊をも投入したロシア帝国軍であったが、それを見越したドイツ軍はしっかりと対策をとっていたらしい。
「慌てるな! ロシア軍は広く浅く分散している! 数ではこちらが優勢なのだ! 目の前の敵を倒す事だけに集中しろ!」
しかし、それでもドイツ軍の防衛網を破れない。
実はドイツ軍参謀本部は「ブルシーロフ攻勢」を入念に分析した結果、オーストリア軍の崩壊は物理的な破壊によるものではなく、奇襲による混乱・士気喪失という心理的な効果が大きいという事を突き止めていた。
そこで塹壕の形に変更を加え、「線」から「面」への防御へ切り替えることにしたのだ。独立した全周囲防御陣地を構築すれば、背後に回り込まれて包囲されても戦闘を継続できる。
そうなると危機に陥るのは、むしろ敵陣奥深くへ浸透したロシア軍騎兵隊の方である。もともと騎兵は火力に乏しく、敵の反撃に対して極めて脆弱だ。日露戦争でも陣地に対する騎兵突撃は大きな損害を出している。
***
フランスが戦線から離脱してからというもの、戦況の変化は劇的であった。
ドイツ軍は長引く戦争で経済、人的資源ともに疲弊しきっており、これ以上の長期戦は不利だと感じていた。フランスを倒したといえ島国イギリスは健在であり、イタリアも残っている。しかもイギリスの背後では近々アメリカが介入を準備しているという。
こうした状況の中、ドイツ軍は戦争に勝利するには可能な限り迅速にロシア帝国に対して決定的な勝利を得る必要があると判断した。参謀長ルーデンドルフはアメリカ遠征軍が到着する前にロシア帝国首都ペトログラードを落とし、休戦に追い込もうと考えたのである。
ルーデンドルフはシュリーフェン・プランに従って西部戦線を縮小し、イタリア戦線とバルカン半島はオーストリア=ハンガリー帝国に任せて、すぐに鉄道をフル活用して大軍を東部戦線に送り込む。この攻勢に合わせてプロイセン軍参謀本部は浸透戦術の徹底、航空機の活用、毒ガスの大規模使用、戦車の投入によってロシア軍に壊滅的な損害を与えようとしていた。
このとき東部戦線には150万人のロシア軍が配置されていたが、西部戦線が消失した事でオーストリア軍を含む同盟軍は170万人の大軍を東部戦線に展開し、開戦以来初めて同盟軍の兵力ががロシア軍を上回る事となった。
対して、ロシア軍の対応は「無茶」の一言に尽きた。
ルーマニア、ハンガリー、チェコ、スロバキア、トルコ、ポーランド、東プロイセンといった「数万の英霊の血で獲得した土地」を一戦も交えず放棄することなど出来ない、という勇ましい愛国的な世論や政治的な事情に引っ張られ、軍事的には無能としか言いようがない補給の限界を超えた大規模攻勢を行ったのだ。
ベルリンはもう目と鼻の先である。あと少し軍が頑張って、敵の増援が来る前に首都を落とせば、すべてが上手くいくのではないか―――。
楽観論や慢心というより、「あと少しで全てが上手くいく」という感情的な願望が、自らに都合の良いシナリオを基にした無茶な作戦を決行させた。しかし、その代償が決して安くないことに気づくまで、そう長い時間はかからなかった。
スターリン「もしかしたらならば、もしかしたらならば……なにもかもがうまく、儂の目論見通りに転がるのではあるまいか………?」
しかし、このとき過信の報いはすぐそこに迫っていた――。
きっとスターリンも直衛さんのあの顔してる