第25話 怒れる民衆の歌が聞こえるか
その声は、フランス全土にこだました。
「怒れる者たちの声が聞こえるか―――!?」
特定の誰かではない。無能な政府に怒れる全ての民衆が、ついに声を上げたのだ。
誰も自分がヒーローになれるなどとは思っていない。ただ、忍耐という美名のもとで国中を覆っていた諦めと冷笑から決別し、少しでも自分や隣人たちの生活を良くしようと行動しただけ。
しかしその小さな怒りの表明は、やがてフランス中を覆い尽くす大きな波となっていく。
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フランス全土で大規模な民衆の暴動が発生したというニュースは、すぐさまぺトログラードの宮廷にも届けられた。
「また暴動か?」
「いいえ陛下、あれはほとんど革命でございます」
ニコライ2世の質問に、報告を届けた参謀長ミハイル・アレクセーエフはそう答えるしかなった。それほどまでに、フランスの状況は目に余るものだったからだ。
パリ市では市街地の6割を占領され、おびただしい数の兵士・市民の死者を出しつつもドイツ軍の攻撃に耐えていたが、陸軍が大規模な攻撃作戦を決定したことに対して、厭戦気分の蔓延していた部隊の一部で命令拒否が発生した。
この士気低下が全軍に伝播することを恐れたペタン元帥ら上層部は、命令違反を犯した兵士たちを軍法会議にかけ、彼らに敵前逃亡の罪で死刑を言い渡す。
だが、これは前線の兵士たちの不満の火に油を注ぐ結果となった。噂を聞きつけた前線の兵士たちは溜まりに溜まった不満を爆発させ、仲間を救い出すべく軍刑務所・作戦司令部・武器庫を襲撃し、同じく政府に不満を持つ市民たちと共にパリ市庁舎の前に立て籠もった。
ボルドーのフランス政府は動揺し、すぐさま兵士の暴動を鎮圧すべく別の師団を差し向けたものの、兵士たちは将校を射殺して脱走、パリの反乱軍に合流し始めた。
翌日にはさらに他の部隊が反乱に加わって反乱軍の規模は数万人に達し、週明けにはフランス軍110個師団のうち実に50個師団までもが反乱に加わることになる。
さらに翌月には他の都市でも革命が始まり、反乱に参加しなかった部隊でもストライキが発生するなど、全軍が『1917年パリ・コミューン』に同調しつつあった。
「フランス、いつも革命やってんな……」
同じ革命家としてシンパシーを感じなくはないが、同時にスターリンは最悪のタイミングで発生した何度目かのフランス革命に頭を抱える。
(ひょっとしてこの世界のフランス、前世のロシアと同じポジションでは……?)
正直、疲弊しきったフランス政府がドイツ軍と戦いながら、この大規模な反乱を鎮圧するとはとても思えない。
さらにスパイの報告によれば、さっそくドイツ軍はパリの包囲を緩めて組織的な後退を始め、パリ・コミューンの手には“撤退の際に放棄されたドイツ軍の武器弾薬”が大量に落ちてしまったという。どう考えても不自然なタイミングであった。
「……フランスは滅びるぞ」
開幕早々、軍議の席でニコライがさらっと爆弾を落とす。フランス8月革命の発生は居並ぶ軍幹部たちの耳にも届いていたが、そればかりではない。
ドイツ軍は革命の勃発したパリ周辺での攻撃を緩めると同時に、辛うじてフランス政府軍の指揮下にあるヴェルダン要塞などでは大規模な攻撃を加えることで、着実に降伏へと圧力をかけつつある。
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「ドイツ軍は新戦術によって、ヴェルダン要塞を突破したそうだ。連合軍の築いた塹壕線は突破されたらしい」
まだ詳しい状況は分かっていないが、多くの新兵器と新戦術が使われた事でイギリス・フランス軍ともに大混乱に陥っているようだ。
さらにドイツ軍はこの攻勢に合わせて、史上初の短機関銃として開発されたMP18が約1万挺と、ドイツ軍初の戦車であるA7V戦車20輌、巨大な列車砲であるパリ砲、などといった新兵器が投入された。
MP18は、浸透戦術を担う突撃歩兵の主力兵器として、新規に開発された銃火器である。
『短機関銃』ともよばれたMP18は、拳銃弾を連射できるという兵器である。機関銃に比べれば格段に軽量で取り回しが容易であり、小銃や拳銃に比べれば格段に高火力であるというもので、後のアサルトライフルの先駆け的な存在であった。
砲撃と機関銃による牽制射撃の援護を受けた突撃歩兵が敵陣まで疾走して肉薄すれば、短い射程の拳銃弾のMP18でも充分な制圧火力が発揮でき、手榴弾の投擲と合わせれば確実に敵の機関銃を制圧できる事が想定された。
ドイツ軍はこのMP18で武装した兵士からなる『突撃大隊』を新規に編成し、大規模に投入した。
そればかりではない。
突撃戦車A7Vは、突撃大隊の支援を目的として開発され、膠着状態に陥った塹壕線を突破する役割を担った。
装甲はイギリス軍の菱形戦車の2倍ほど、ロシア軍がルーマニア戦役で投入した豆戦車の4倍近くに達し、銃弾どころか歩兵砲ですら弾き返すこともあったという。もちろん機動力は非常に劣悪であったが、西部の塹壕戦においては最適解の1つであった。
そして「カイザー=ヴィルヘルム砲」とも呼ばれる、当時世界最大の大砲『パリ砲』はフランス国民を恐怖のどん底に叩き落した。
200mmを超える口径から放たれる100kg近い砲弾は、高度4万mにまで達して130kmという驚異的な射程を実現した。
「……忌々しい」
報告を聞いている内に、目に見えて明らかに皇帝ニコライの顔が引きつり始めた。なぜならこうした新兵器のほとんどは、“いずれロシア軍で配備する予定の武器”であったからだ。
(ひょっとして、スパイが我が軍の機密情報をドイツに流しているのでは……?)
口にこそ出さないが、居並ぶ将軍を1人づつ値踏みするように見回すニコライ2世。
(あー、また始まった……)
まるでオモチャを取り上げられた子供のように拗ねる父親の姿を見て、タチアナは「またか」と半ば呆れたように嘆息する。用心深いのは美徳だが、ここまで来るともはやパラノイアの一種であった。というか、子供である。
それが周囲に迷惑をかける前に対処しようと、タチアナは質問の形をとって話題を反らす。
「断片的に送られてくる情報を整理したところ、どうやら敵はパリ方面から引き抜いた兵力をパリとヴェルダンの中間にある交通の要所ランスに投入し、そこから一転突破してフランス軍を分断・各個撃破したものと思われます」
ドイツ軍の攻勢で使われた戦術は、後世において広く知られるようになる『浸透戦術』である。
これは長距離砲の砲撃と連続的な突撃による物理破壊よりも、奇襲による精神的ショックを狙う戦術だ。
短時間の砲撃を行い、弱点に突撃歩兵を浸透させ、司令部と兵站エリアおよび強固な抵抗拠点の周囲の場所を攻撃――こうして孤立した拠点を、より重武装の歩兵によって破壊するのである。
A7V戦車など新兵器の活躍もあり、この攻勢でドイツ軍は1週間で難攻不落のヴェルダン要塞を陥落させた。ランスから突破した部隊が反時計回りにヴェルダンとアルザス=ロレーヌに展開するフランス軍の背後を突き、同時にドイツ側のアルザス=ロレーヌ側からも攻勢に出てフランス軍を包囲殲滅した。
これによってフランス軍は全軍の3割近くを包囲される形となり、かねてからの厭戦気分と上層部への不信感なども相まって、士気の低下した兵士たちはほとんど抵抗もせずに降伏した。
ここに至ってフランス軍にはもはや崩壊した戦線を埋める予備兵力は残っておらず、パリ・コミューンをきっかけに全国で同時多発的に発生したコミューンへの対応に追われ、もはやドイツ軍に抗う力は残っていなかった。
そしてついに3/24日、ボルドーのフランス第3共和国政府は中央同盟国との講和を決定、停戦交渉に入る……。
映画『レ・ミゼラブル』は1998年版も2012年版も好きです。