第23話 観兵式
ロシア軍の参戦から1年が経った首都ペトログラードでは、盛大なパレードが行われていた。
ブルシーロフ攻勢の大成功を祝うという名目の祭典であり、戦時下で様々な我慢を強いられている民衆のガス抜きの意味合いもある。
『1917年の始め、それはロシア帝国にとって最良の時であった』
後の歴史家はこぞってそう記す。
1914年に始まった第一次世界大戦は皇帝ニコライ2世の英断で1年近く見送って力を蓄え、中央同盟が西部の果てなき塹壕戦で疲れ切ったところで、横合いから思いっきり殴りつける!
結果は勝利、勝利、そして大勝利であった。
西はポーランドにハンガリー、そしてルーマニア。南はコーカサスからアナトリアまで。あと一歩でイスタンブールに王手をかけ、古の東ローマの再興もかくやといった状況である。
戦時下で平時以上に厳しい生活を強いられていた民衆であったが、勝利はすべての不満を吹き飛ばす。偉大な国家に自分を重ね合わせることで、あたかも自分が偉大になったかのような錯覚と幻想があれば、カチカチのパンすら豪勢なケーキに思えてくる。
勝利のニュースが前線から届く度に国民は湧きたち、首都ペトログラードは早くも戦勝ムードに包まれていた。
「ロシア万歳!! 帝国よ、永遠なれ!!」
煌びやかに着飾った騎兵に続き、戦列を組んだ歩兵が一糸乱れぬ動きでネフスキー大通りを行進する。それだけでも見る者を圧倒する勇ましい光景であるが、残念ながら今回のパレードの目玉は彼らではない。
「来たぞ! あれが噂の新兵器か?」
先頭にいた見物客の一人が叫び、徐々に騒ぎが大きくなっていく。続いてエンジンの唸りと共に、隊列を組んだ戦車部隊がその姿を現す。
『T-16』とシンプルに名付けられたそれは、全長10メートルを超す『鋼鉄の獣』だった。
見たこともない鋼鉄の獣を目の当たりにして、群衆からどよめきの声が漏れる。技術者でも軍人でもない彼らの大半が、新兵器の意義をどこまで理解できたかは分らない。
だが、目の前に整然と現れた「戦車」が、これまでのいかなる兵器とも違うという事は彼らにも理解できた。
それまで観衆が「戦車」という言葉から想像していたのは、既存の兵器を改造して新しい機能を追加したような急造兵器である。
たとえば『タチャンカ』と呼ばれる、後ろ向きに機関銃と防弾盾を備え付けた馬車であったり、イギリスから輸入したオースチン装甲車という回転機銃砲塔つきの乗用車などだ。あるいは、先のルーマニア戦役でコルニーロフが使用した豆戦車T-15のような、武装トラクターのようなもの。
だが今、目の前に現れたT-16戦車は違う。ニコライが未来の記憶を頼りに技術者たちに注文して造らせたそれは、履帯で動く車体を装甲で覆ったものに回転砲塔を搭載するという革新的なものであった。
10メートルをゆうに超す巨大な図体は「陸上戦艦」とも形容できるもので、まさしくロシア帝国の技術の粋を詰め込んだ決戦兵器。それが何十と隊列を組んで大通りを進軍しているのだ。
まっさきに目を引くのは、車体上部にある回転砲塔だ。全周囲旋回可能な砲塔は良好な視界を提供するとともに、1つの砲で360度の射界を持っている。37mm戦車砲は貫通力の高い徹甲弾と対陣地・歩兵用の榴弾の2種類が撃てるようになっていた。
砲塔の表面はなめらかで繋ぎ目がない――これは鋳造で砲塔を造っているためだ。鋳造装甲は繋ぎ目がないためボルト式やリペット式に比べて強度が高く、加工の自由度や生産性も高い。
そして動力には被弾しても燃えにくく粗悪な燃料にも耐えうるディーゼルエンジンを用いており、幅広の履帯や前方に突き出た誘導輪によって優れた機動性を備えている。
レイアウトは現代戦車と同じく、前方に操縦席、中間に砲塔と戦闘室、後方に隔壁で仕切られたエンジン室という構造だ。初期の戦車では戦闘室とエンジン室が分離されていないものも多く、仕切りを作った事でエンジンの騒音と熱気から解放された乗員のパフォーマンスも向上している。
陽光を反射して鈍い輝きを放つ戦車部隊………息を呑んでそれに見とれていた群衆であったが、不意に彼らの上に影がかかる。快晴なはずの空が曇ったことを訝しんで上を仰ぎ見た瞬間、思わず彼らはあっと声を上げた。
「あんなに沢山の飛行機が……!」
ペトログラードの上空に浮かんでいたのは、大空を埋め尽くさんばかりの空軍機であった。12隻の飛行船が一列となって縦陣を組み、その両脇を50機もの複葉機がすり抜けていく。
大型の四発爆撃機もあれば、小型で快速自慢の戦闘機もある。大空を悠然と駆ける沢山の航空機を民衆は歓声で迎え、飛行船と爆撃機からはセレモニー用の派手な紙吹雪が振り撒かれた。
とどめは宮殿広場にあらかじめ配置されていた、自走重迫撃砲部隊の一斉掃射だ。トラックの荷台に大型の迫撃砲を乗せただけのシンプルな構造だが、合計100発にも上る砲弾が絶え間なく轟音と共に大空へ向けて一斉掃射される様は圧巻である。
『――偉大な祖国を讃えよ!! 神は常に我らと共にあり!! ロシア帝国に栄光あれ!!』
パフォーマンスというものは、単純で派手であればあるほど効果的なもの。人々は始めて見る数々の新兵器に目を奪われ、お祭り気分で家族や友人と共にそれを楽しむ。
大通りを少し外れれば屋台が立ち並び、テラスやカフェでは少しでも客を集めようと工夫を凝らしたサービスが提供されている。
――細かいことは分からんが、皇帝陛下は何やら派手で凄い事をやっている。戦果は上々、ロシアが勝てばロシア人として誇らしい。日頃の鬱憤は、パレードという名のハレの舞台で晴らせばよろしい!
そして満を期して宮殿広間にニコライが姿を表すと、人々は地上における神の代理人たる皇帝を一目見んと警官の制止を振り切って身を乗り出した。
―—―母なるロシア、そして父なるツァーリは健在なり。
讃えよ、我らが祖国を!! 畏れよ、我らの皇帝を!!
「ロシア万歳!! 皇帝陛下、万歳!!!」
そして次の瞬間、デェェェェエエエエンッッ!! と耳が割れるような大音量が赤の広間全体に轟いた。
驚いた民衆が静まると、それを待っていたかのように広間の至るところに仕込まれていたオーケストラと合唱団が歌い出す。
この日の為に、皇帝ニコライ2世が作曲家と最高のオーケストラを集めて作らせた愛国歌『祖国は我らの為に』である。
Россия - священная наша держава,
Россия - любимая наша страна!
Могучая воля, великая славаs -
Твоё достоянье а все времена!!
ロシア、聖なる我らの国よ
ロシア、愛しき我らの国よ!
力強き意思、偉大なる光栄
常しえに誉れ高くあらん!
Славься, Отечество наше свободное,
Братских народов союз вековой,
Предками данная мудрость народная!!
Славься, страна! Мы гордимся тобой!!
讃えよ! 我等が自由なる祖国を
幾世の兄弟なる民族の結束よ
祖先より受け継ぐ民の知恵
祖国よ永遠なれ!我ら汝を誇らん!
力強いコーラスと素晴らしいメロディは群衆を熱狂させ、ラジオを通じて帝国中へと興奮の渦が広がっていく。国民の興奮は最高潮に達し、中には勢いあまって大通りに踏み込もうとした数人の野次馬と、憲兵隊の押し問答が始まって騒乱の様相すら呈し始めた。
罵声と喧騒が飛び交う中、それを予期していたように皇帝の近衛兵は空へ向かってライフル銃の空砲を放つ。それが合図だったのか、先頭を進んでいた飛行船が徐々に高度を下げ始めたではないか!
やや小ぶりとはいえ、全長100mを超す飛行船が悠然と降り立つ様はやはり圧巻である。人々が息をのんで見守る中、飛行船はやがてニコライたちが見守る冬宮殿の前にある広場、宮殿広場へと降り立つ。
そしてタラップが降ろされると、広場に一人の女性が姿を見せた。たおやかなドレスをまとった聖母ではない。ぱりっとした騎兵将校の軍服をスマートに着こなす、凛々しい戦乙女である。
全観衆の視線を当然のように受け流し、颯爽と降り立ったのは一人の女性将校―—――ロシア帝国第2皇女タチアナであった。
「以下、第一次ロシア=フランス遠征軍、ただいま帰還いたしました」
約1年の歳月を経て再びロシアの地を踏んだ皇女を、民衆は歓喜の声で温かく迎えた。ニコライもまたいつもの優しげな微笑みを浮かべ、敬礼で手厚く出迎えた。
開戦から2年経ち、そろそろ実戦経験を積んだ彼らを呼び戻す時期だとニコライは考えていた。
(「REF(ロシア=フランス遠征軍)」には儂の記憶の中にある限り、最高のメンバーを揃えておる。西部戦線で学んだ経験をロシアに持ち帰り、世界最強の軍隊を作り上げるのだ……!)
***
興奮冷め止まぬままパレードは大成功の内に終わり、記者たちは慌てて明日の紙面トップを飾るであろう記事を急いで事務所に持ち帰った。
軍人たちもパレードの後始末をしたり、お祭り騒ぎに混じって発生した乱闘の後始末にかかりきりだ。
「タチアナ、お前には苦労を掛けたな。1年近くの間、よくぞ耐えた」
久方ぶりに対面した娘に向かって、ニコライ2世ことスターリンは彼なりに最大限の賛辞を贈る。
「お前の手紙も読んだぞ。フランスは泥と雨で大変だったらしいな。女のお前にはつらい時もあったろう」
「お気遣い感謝いたします。しかし前線で戦う兵士を思えばその程度、なんでもありません」
「そうか! さすがは儂の娘よ」
ニコライ2世は心底嬉しそうに笑い、自慢するように部下の方を見る。やはり娘を持つ父として、立派に娘が育ったことは嬉しいのだろうか。
「では、さっそく軍議にかかる。タチアナ、これからはお前も出席せい。意見を聞きたい」
「はい!」
軍議に参加できるのは、ある程度の階級を持つか専門的知識を持つ軍人に限られる。それに出席しろという事は、ニコライから遠回しに一人前の軍人、あるいは専門家として認められたという事だ。
嬉しそうに頷く娘を見ていると、スターリン自身も嬉しくなってくる。珍しく浮かれた彼の頭からは、旅の疲れを癒すとか家族に会うとか等の常識が綺麗さっぱり消え失せていた。
「よし!では、このまま真っ直ぐ会議室まで行くぞ」
「このまま真っ直ぐ……ですか?」
「当たり前だ。時間が惜しいではないか」
何が疑問なんだ?と言わんばかりに眉根を寄せるニコライ。なにせ彼は神の代理人たる皇帝なのだ。一般人の感覚など分かるはずもない。
「どうした? 体の具合でも悪いのか?」
「いえ、そういう訳では……」
「では軍議だ。さっさと行くぞ」
「………はい」
言うが早いか、ニコライはさっさと背を向けて立ち去ってしまう。その足取りが、心なしか嬉しそうに軽やかなのが逆に恨めしい。
(これじゃ休みたい、なんて言えないよなぁ……)
相変わらず無意識に人を振り回す父親である。手紙だけでも散々に自分を振り回した父に、これから毎日会わなければならないと思うと、今更ながら後悔が沸々と湧きあがって来ないでもない。
雑念を振り切るようにタチアナは軽くかぶりを振ると、慌てて父の後を追いかけた。
避けられなかった「デェェェェエエエエンッッ!!」
一応、ロシア帝国歌として『神よツァーリを護りたまえ』というのがあるので、ニコライ2世こと転生したスターリンが作らせた例の曲は、北○鮮の「将軍様を讃える歌」シリーズみたいなイメージで、ニコライ2世個人を讃える曲という位置づけになります。