第21話 思いもよらぬ選択
1914年から1915年にかけて、中央同盟国は優位に立っていた。
ロシアが参戦を事実上見送ったことで、ドイツ軍はパリを陥落させ、オーストリア・ハンガリー帝国はセルビアをはじめバルカン半島をほぼ制圧し、ブルガリアとオスマン帝国が参戦したことで、全ての同盟国を陸路で繋げることに成功する。
「3B政策は、現実のものとなったのだ!」
ヴィルヘルム2世は自ら提唱した『3B政策』とよばれる、ベルリン (Berlin) ・ビザンティウム (Byzantium) ・バグダード (Baghdad) を結ぶという帝国の長期戦略の完成を宣言し、欧州から中東まで広がる自給自足経済圏の誕生で永遠の繁栄を約束した。
だが、それは薄氷の上に立つ脆い栄光に過ぎなかったことが、ロシア帝国の攻勢によって明らかとなった。
1年以上かけてじっくりと準備してきたロシア軍は1916年に大規模な攻勢を開始し、ドイツに次ぐ盟主であるオーストリア・ハンガリー帝国をほぼ半壊に追い込み、東欧を一気に制圧したのである。南のオスマン帝国に対しても大規模な攻勢を行い、大軍が首都イスタンブールの目前にまで迫っていた。
だが、中央同盟の不幸はこれに留まらない。
「――イタリア王国、連合国側で参戦!」
中央同盟に追い打ちをかけたのがイタリア参戦であり、パワーバランスは一気に逆転した。オーストリアはアルプス山脈の険しい地形を利用することで辛うじて戦線を維持していたものの、もはや瀕死も同然であった。
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イタリア参戦によってドイツ軍参謀本部は大混乱の渦中にあり、ヴィルヘルム2世をはじめ政府の首脳たちはいつ祖国が滅亡するのかと気が気でなかった。
「そうか、イタリアが……」
戦争前の同盟条約を反故にして、ハイエナの如く群がってきたイタリア王国に対してヴィルヘルム2世は溜息を吐いた。すっかり意気消沈しており、心なしか自慢の髭も垂れ下がっているように見える。
「仕方ないか……所詮、世の中は弱肉強食だ」
「陛下!」
きつい口調でヒンデンブルクが咎める。ただでさえ動揺している中、最高権力者である皇帝が弱音を吐ければ士気にかかわる。
「参謀長、すまなかった。……だが、孤立状態の我が国が逆転する策はあるのか?」
「今、全ての幕僚を召集してそれを議論させているところです」
ヒンデンブルクにも、戦況が最悪に近い状態である事は分かっていた。イタリアは国力こそ列強としてはやや劣るものの、彼らの参戦によってオーストリアは東のロシアと挟み撃ちにされることとなる。
さらにオスマン帝国の方も状況は悪化しており、アナトリア半島ではロシアの大軍が首都イスタンブールへ突進しており、中東でもイギリス軍が現地人を扇動しているという。
(急がねば、オーストリア・ハンガリーとオスマン帝国が脱落してしまう……)
だが、ドイツ軍にも全くアテが無いわけでも無かった。参謀長ファルケンハインが口を挟む。
「快進撃を続けているロシア軍ですが、ポーランド、ハンガリー、スロバキア、トルコと明らかに手を広げ過ぎています」
いかにロシアが大軍とはいえ、これだけの領土を占領するには相当な数の駐屯部隊が必要になる。加えて東欧に中東の2正面作戦ともなれば、もともと工業国というより農業国であるロシアにとって兵站への負担も大きい。
「スパイによれば、ロシア軍の前線では徐々に補給が滞っているとのこと。また、そのせいで現地調達が増えたことで占領地で不満が増大し、反ロシアのゲリラが活発化しているとのことです」
占領地におけるゲリラの活性化は、補給網に大きなダメージをもたらす。この時代における兵站を支える最大のインフラは鉄道であるが、長大な鉄道網の全てを防御することは困難で、軽武装のゲリラが鉄道を爆破するだけでも前線は深刻な物資不足に陥りうる。
加えて、ロシアが占領した国々はどこも発展の遅れた農業国である。ゲリラが活動するまでもなく、そもそもロクな道路や鉄道が整備すらされていない地域も多いのだ。奇しくも現状のロシア帝国軍の状況は、大祖国戦争初期のドイツ軍にどこか似ていた。
地図を眺めながら、ファルケンハインが指さしたのは東欧の1点。
「我々はまだ戦える……! あと1押し、あと1押しあれば―――」
あと1押し。そのための布石は既に打ってある。それさえあれば、今度は我々がロシアを追い込む番だ。その、布石の名は。
「……ルーマニア」
その日、ヒンデンブルクは日記にこう記している。
「かくの如き小国が、これほどの重要な役割を与えられた事は世界史上に例の無い事だろう。ドイツとオーストリアは20分の1の人口しかない国に命運を握られたのだ」、と。
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開戦時、ルーマニアを統治していた国王カロル1世は、ドイツの皇帝一族であるホーエンツォレルン家の出身であった。それゆえ元々ルーマニアは、王の故郷プロイセンを含むドイツ帝国を盟主とする三国同盟に加わっていたのである。
しかし1914年に新王フェルデナンド1世が即位すると、ヴィクトリア女王の孫である新王妃マリヤの影響もあり、ルーマニアは急速に連合国側に傾いて行くことになる。ルーマニアでは同盟、連合の両方から参戦工作が繰り広げられ、争点はルーマニアが欲していたオーストリア領トランシルヴァニアの領有権であった。
「……かくなる上は、是非も無し」
これはブカレストで行われた秘密協定で、ドイツ側の働きかけによってオーストリア皇帝フランツ=ヨーゼフ2世がついにトランシルヴァニアの領有権を放棄した時の言葉である。
トランシルヴァニアを含む国土の東半分をロシアに占領され、国家滅亡の危機に立たされたオーストリアに抗う術は無かった。
「1916年8月31日の本日をもって、我がルーマニア王国はロシア帝国に宣戦を布告する!」
かねてからロシアがルーマニア領ベッサラビアへの領土欲をのぞかせていたこと、現状トランシルヴァニアを領有しているロシアが現地に傀儡政権を作ろうとしていること、また条約を反故にすることにかけては定評のあるイギリス・フランスがトランシルヴァニアの領有権について約束を反故にする可能性があったことから、最終的にルーマニアは史実と異なり中央同盟側で参戦することとなった。
(どうせイギリス・フランスは遠く彼方にいて、ルーマニアまで来ることはできまい。ロシアは強敵だが、戦線を広げ過ぎて行き詰っているとも聞く……)
東欧に展開しているロシア軍はポーランドとハンガリーで合計200万ほどだが、ドイツとオーストリアも150万ほどの部隊で対抗している。しかも補給線は後者の方が短い分だけ有利であり、実際のところロシア軍も補給切れで攻めあぐねていた。
そんなところに、60万の大軍を擁するルーマニアが参戦すればどうなるか。
(ハンガリーにいるロシア軍100万は東西から挟み撃ちにあれ、戦況は一気に逆転する……!)
――はずだった。
ルーマニア「負ける気せぇへん地元やし」