第19話 シコルスキー、翼を授ける
皇帝ニコライの怪文書?を解読すべく、タチアナはさっそく行動を開始した。
さすがに勤務中の時間を割くわけにはいかないので、食事中にそれとなく手紙を見せてみる。幸いにも戦線が膠着しているおかげで、暇を持て余している将軍たちは快く話を聞いてくれた。
将軍たち曰く、「まっ、我々の存在意義は“ロシアの援軍がいる”という存在そのものであって、英仏としても姫様に万が一の事があっては困るでしょうし、戦力的にはオマケに過ぎませんからな。姫様の頼みとあらば」との事である。
**
こうして数人の将軍たちを集めたところまではよかったものの、数分もしない内に全員が頭を抱え込んでいた。
「砲撃は当たらんでも、って外れ弾に何の意味が? 戦争映画の撮影じゃないんだぞ」
「“戦いは機動戦”というが、露日戦争でもこの西部戦線でもそんなものは見かけませんな」
「そもそも書いてある事が抽象的すぎるんだよなぁ……。巷で流行りのクロスワード・パズルでもここまで酷くは無いぞ」
「……なんか色々、スミマセン」
居心地悪そうに肩を縮めるタチアナ。
「いえいえ、姫様が気に病むことはありません。それに我々は、こう見えても陛下の軍才には感激しておるのです」
慰めるような言葉をかけたのは、元・東部方面軍総司令官のアレクセイ・クロパトキン中将だ。
紳士然とした風貌そのままに武官というより文官タイプの軍人で、優れた事務能力を持つ一方で実戦能力の低さゆえに露日戦争では連戦連敗を重ねている。戦後は責任をとって軍中央からは退いているが、露日での経験を活かして貴重な助言役となっている。
「特に新兵器に関する考察はずば抜けておられます。毒ガスや飛行船の活躍を予言されたばかりか、飛行機が偵察や爆撃などに幅広く使えること誰よりも早く見抜いておられました」
敗軍の将として軍部で煙たがれていたクロパトキンを、ニコライは彼にしては珍しく弁護し、陸軍の軍事技術総局へ移籍した上で局長に任命する。そればかりか新兵器開発に関して広範囲にわたる権限を与えられたクロパトキンは、日露戦争で学んだ経験を兵器開発や軍編成に反映させるよう努力した。
そして勿論、恩人であり絶対的な神の代理人たる皇帝ニコライ2世の横槍に対して、クロパトキンが反論したことは一度として無い。政治とはそういうものである。
「不思議なものです。日本軍との戦いでは、敵の無線通信や迫撃砲に苦しめられ、大して期待していなかった塹壕や鉄条網には大いに助けられた。その経験のお陰で、弱兵と評判の我が軍が“あの”ドイツ軍を相手にして一歩も引いていない」
世の中は何が起こるか分からないものです、とクロパトキンは感慨深げにパイプを咥える。
「そういえば、鉄製ヘルメットを被るよう勧めたのもクロパトキン中将でしたね。見た目が悪い上に重いので私も最初は嫌でしたけど、イープルでこれを付けていなかったらと思うと……」
最後まで言わず、タチアナはブルッと身震いした。
銃器の発達で伝統的な飾りに近い存在になっていたヘルメットであるが、榴弾の登場と共に破片で頭部を負傷する兵士が相次いでいた。かくいう彼女もまた、砲撃戦の中でドイツ軍の放った砲弾の破片が頭を直撃した経験が1度だけある。
**
ちなみに第一次世界大戦は機関銃に迫撃砲、火炎放射器に潜水艦と新兵器が数多く登場した戦いである。軍人ではないスターリンとはいえ、流石にどの兵器が役に立つか程度は覚えているため、軍の研究所に命じて、これらの新兵器の開発に力を入れるように指示していた。
「ニコライ陛下がわざわざ手紙まで書いて伝えようとしているのです。きっとあのお方には深いお考えがあるはず」
スメタナたっぷりのシチーを頬張りながら口を挟んだのは、イーゴリ・シコルスキー博士だ。後のヘリコプター開発の父でもあり、自身の名を冠した会社を世界的メーカーに育て上げた実業家でもある。
「いやはや、しかし陛下が航空機に理解のある方であったおかげで、今やロシアはアメリカ、ドイツに次ぐ飛行機・飛行船大国になりつつある。ニコライ陛下には感謝しきれません。是非とも協力させて頂きましょう」
フランスで飛行機の研究を重ねた後、技術者として世界初の4発飛行機を開発するなどしていたシコルスキーだったが、それに目を付けたのが皇帝ニコライ2世である。その功績を高く評価したニコライは彼を大抜擢し、国営の航空・軍事企業「帝立シコルスキー設計局」を設立してシコルスキーを主任技術者に任命した。
すぐにニコライは軍用機の開発を指示し、沢山の爆弾を搭載した爆撃機とそれを守る軽快な戦闘機の2種類を開発するよう命じた。
もっとも、全てがうまくいった訳ではない。ロシア帝国の技術力と資金では開発に限界があり、最終的にニコライは爆撃機部隊の主力をより構造の簡単な飛行船に変更する事を認めている。
こうして「帝国空中艦隊」と名付けられたロシア陸軍軍航空隊のうち、戦闘機20機と飛行船9機、そして4発爆撃機「イリヤ・ムーロメンツ」6機がフランスの戦場に送られた。
「まぁ、私としては“ロシア帝国陸軍航空隊”なんぞではなく、いっそ“ロシア空軍”を作ってしまっても良いと思っているのですがね」
真昼間からウォッカを呑み、フフフと上機嫌で語るシコルスキー博士。これも皇帝のお気に入りで、実業界の重鎮だからこそできるフリーダムさである。
そんなシコルスキー博士の様子をマンネルヘイムら陸軍将校は苦笑いで見守っているのだが、それこそが“陸軍航空隊”に留まっている原因なんだろうなーとタチアナは察した。
ちなみに航空機について、父ニコライからは以下のような手紙を受け取っている。
『 ―――よいかタチアナ、あと20年もすれば飛行機の時代がやってくるはずだ。いずれ飛行機は独立した軍種となり、『空軍』および『防空軍』の創設も必要になるだろう。だが、まだ技術的そして政治的にその時期ではない 』
技術的な課題は手紙だけでも分かったが、政治的な課題の意味するところをシコルスキー博士は失念していた。
つまるところ「俺たちの予算と縄張りをとろうとしたらタダじゃおかないからな」というのが陸軍の総意である。こればかりは皇帝とて簡単には敵には回せない。
しかし元よりスターリンは辛抱強く、必要とあらば一時的な妥協もいとわない人物である。そんな彼が示した妥協が“陸軍航空隊”であった。
『 ―――陸軍国ロシアに空軍は時期尚早。あくまで陸軍航空隊として位置づけ、砲兵に翼を授けよ。航空機は“空飛ぶ砲兵隊”たるべし。 』
むしろタチアナに送られた手紙の中では、比較的わかりやすい部類である。大砲よりも遠くまで移動できる飛行機で、敵の頭上から爆弾を落としてやればいい……そう誰もが考える中、一人だけニコライの真意を汲み取った人物がいた。
「空飛ぶ砲兵“隊”か……」
そう呟いたのはマンネルヘイム少将である。手紙には「空飛ぶ砲兵」ではなく「空飛ぶ砲兵隊」と、確かにそう書かれてあった。
「これはただ単に爆弾積んだ飛行機を大量に飛ばす、という意味ではありません。陛下は文字通り、飛行機を使った“砲兵隊”の創設をお望みなのです」
それはつまり、観測のための偵察機から、砲撃=爆撃のための爆撃機、そしてそれを護衛するための戦闘機、までを含めた航空隊を、“砲兵”という既存の陸軍のカテゴリーの延長線上に置くということ。
「たしかにマンネルヘイム少将の言う通り、爆撃する飛行機を狙う敵の飛行機が出てくるやもしれん。護衛する戦闘機も必要になるな」
「偵察機や観測機だって必要になるぞ。大砲だって、闇雲に撃って当ててるんじゃあるまいし」
「そういうことなら、たしかに既存の砲兵は移動に大きな制約がある。歩兵ならともかく、騎兵じゃまず無理だ。ブルシーロフ攻勢のような機動戦を仕掛ける場合には、飛行機の方が地上部隊との協調がとりやすいかもしれん」
マンネルヘイムの一言で、手のひらを返したように航空隊の拡大を検討し始める将軍たち。既存の砲兵の延長線上だと思えば、応用や発展もイメージしやすい。
そして重要なのは、あくまでメインは陸軍の歩兵や騎兵であって、飛行機はその支援に徹するということ。これなら陸軍の人間としても脅威には感じまい。
第1次世界大戦で発展し、第2次世界大戦は航空機の時代とも呼ばれましたが、戦間期には既得権益である陸軍と海軍から色々と妨害を受けたとか。イタリアやアメリカはドゥーエやミッチェルに先見の明があり過ぎたせいで逆に色々と反発されて難航し、むしろフランスや日本のように陸海軍の支援程度にしか考えて無かった国の方が結果的にスムーズに導入されたみたいな皮肉を聞いたことがあります。
ちなみに陸軍国のくせに空軍の地位が高かったナチス・ドイツについては、割とその理由が「ゲーリング(元パイロット)の身内ゴリ押しが大当たり」としか。