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皇帝になった独裁者  作者: ツァーリライヒ
第3章 ヨーロッパの憲兵
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第18話 それぞれの事情


 ブルシーロフ攻勢の大勝利により、ロシア軍はハンガリー王国およびガリツィア王国をほぼ制圧し、オーストリア=ハンガリー帝国の持つ領土の半分以上を手中に収めたことになる。


 

 しかし残されたオーストリア=ハンガリー帝国はというと、ここから意外な粘りを見せることになる。


「オーストリア最大の味方であり、また最大の敵こそハンガリー」


 大戦前から、ウィーンの宮廷ではそんな流言が飛び交っており、そしてその認識はあながち間違いではなかった。


 かつてハプスブルク帝国と呼ばれた東欧の老大国において、最大のマジョリティたるドイツ人はたったの24%、そして次に数の多いハンガリー人は20%、チェコ人13%、そしてポーランド人10%といった状況である。そしてハンガリーはほとんどの時期においてオーストリアに対して喧嘩腰であった。


 そのため妥協を強いられたハプスブルク帝国は「アウスグライヒ」によって二重帝国へと改編し、帝国をオーストリアの統治する「ツィスライタニエン」、そしてハンガリーの統治する「トランスライタニエン」へと統治を分割する。



 しかしブルシーロフ攻勢によってその一角であるトランスライタニエンが陥落したため、残る帝国軍は全てツィスライタニエン政府の指揮下に置かれ、亡命してきたハンガリー貴族たちもウィーンの宮廷に従わざるを得なくなった。


 皮肉にも手痛い敗戦と領土の喪失によって、オーストリア=ハンガリー二重帝国は再びドイツ人の支配が復活し、一元的な政府と軍の管理が徹底されようとしていた。



「ドナウの全ての民よ、団結せよ! スラヴの侵略者を決して許すな! 今こそ我らは真に一つとなって、奪われた故郷を取り戻すのだ!」



 ウィーンのシェーンブルン宮殿から、フランツ・ヨーゼフ1世は大勢の難民や市民たちに団結を呼びかける。60年以上の長きにわたって帝国に君臨し、温厚にして誠実な人柄から、帝国内のすべての民族に慕われた皇帝の叫び。



「余が犯した間違いの中で、最大のものは民族主義への無理解である。だが、それも今日までだ。我々はお互いを必要としている。余はこの帝国を、全ての民族が自治権を有する連邦国家とすべきだと考える」



 一瞬、静寂の後に広場全体から歓声が上がった。


 ポーランド人、チェコ人、スロバキア人、ルーマニア人にイタリア人、スロベニア人にクロアチア人、そしてウクライナ人と全ての少数民族の悲願が叶ったからだ。

 帝国崩壊を目前にしては、既得権益層たるドイツ人とハンガリー人いえども譲歩せざるを得ない。



「余は今日ここに、帝国の連邦化と諸民族内閣の成立を宣言する!」



 その長きにわたる治世において常に保守的だったフランツ・ヨーゼフ1世は、人生の終盤でついに帝国の大規模な改革に着手した。


 常々「改革などしようものなら、ツギハギだらけのハプスブルク帝国は崩壊してしまう」と漏らしていた皇帝も、帝国が崩壊の坂を転げ落ちているのを見て、やっとこのことで決断した。



 こうしてオーストリア=ハンガリー二重帝国は徹底抗戦を決め、ドイツの支援のもとで防衛体制を固めていくのであった。



 **



 オーストリア=ハンガリー二重帝国が亡国の危機に瀕して改革を進めていた頃、外交面でもロシアに圧力がかかった。


 フランス、そしてイギリスである。


 当初こそ英仏は西部戦線の負担を軽くしてくれるロシア軍の大勝利を喜んだものの、オーストリア降伏まで王手をかけたところで態度を豹変させた。



 曰く「同盟国に消耗ばかりを強いて、漁夫の利を掠め取る卑怯な国・ロシア許すまじ」との事である。



 実際、それこそがスターリンの狙いなので、その意味でスターリンの戦略は成功だったともいえる。


 何より、当の本人に言わせれば「大祖国戦争の時、ナチス・ドイツ軍の7割をこちらに押し付けて3年間も消耗戦を強いておいといて、終戦の1年前に勝利が確実になってからやっとノルマンディーに上陸して、手柄だけ掠め取ろうとした西側諸国にとやかく言われる筋合いはない」とのこと。  


 しかし何事にも限度というものはあり、チャーチルやルーズベルトも申し訳程度にドイツへの戦略爆撃といったデモンストレーションをする程度の配慮はあった。


(西側の連中がどうなろうが知ったことではないが、あまり追い詰めてドイツとの単独講和でもされたら厄介だからな。少しは花を持たせてやろうではないか)



 最後に、国内における政治的な事情が、それ以上の戦線拡大に待ったをかけた。


 当時のロシア帝国軍では派閥意識が強く残っており、ブルシーロフばかりが手柄を立てた事に他の将軍たちが不満を示し始めていたのだ。


 もちろん、それはニコライ2世ことスターリンも一緒である。彼は根っからの独裁者であり、権力維持のためには「外敵を倒す」だけでは不十分なことをよく知っていた。


(このままブルシーロフの奴が「英雄」になってしまうと儂が困る。ロシアの大地に英雄はただ一人、それは皇帝ツァーリでなければならんのだ……)


 東洋には『狡兎死して走狗烹らる』という諺がある。


 通常は「支配者は都合のいい時だけ英雄を使って不要になったら切り捨てる」のように悪い意味に使われるが、現実的な問題として支配者以上の人望や能力を持つ人間の存在は政治を不安定化させてしまう。


 本人にその気がなくとも周囲に人が集まれば派閥ができあがり、支配の正当性を揺るがして最悪の場合には内戦に至ってしまう。フランス王シャルル7世や東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が、治世の後半にジャンヌ・ダルクやベリサリウスを冷遇したのも訳あってこそなのだ。


(ブルシーロフ本人に野心はないだろうが、今回の戦争で軍部はちと手柄を立て過ぎた……)


 軍部が手柄を立て過ぎれば、その政治的発言力は時として皇帝すら無視しえないものになる。軍部は国家よりも軍の利益のために戦争を起こすようになり、ゆくゆくは気に食わない皇帝や官僚を排除することすら厭わなくなるだろう。


 最後に、実際的な問題として急激な占領地の拡大に補給が追い付かなくなっていた。



 以上の理由から、ついにニコライは作戦の中止を命令する。


 こうしてブルシーロフ攻勢は終わり、以後しばらくロシア帝国は急拡大した領土の維持とゲリラ掃討、補給線の維持といった占領統治に追われていくことになる。


 

 ***



 フランス・ヴェルダンにて――。



 ロシア・フランス遠征軍(REFF)に割り当てられた士官用宿舎は、物資の節約を理由として可能な限りの簡素化と省スペース化が徹底されている。


 その中にあって唯一の女性将校であるタチアナには、例外的に個室が割り当てられ、居住環境を向上させるべく様々な努力が払われていた。


 休暇を使ってリヨンで買ったお洒落なランプを机に置いたり、無地だったカーテンやベッドカバーを可愛い花柄に変更したり、近所で摘んだ花を花瓶に活けて窓際に飾ったり、食器や茶器は陶器製のものを使う……男連中がだんだんと面倒になって「最悪、寝る場所があれば充分」と堕落する中、果敢に涙ぐましい抵抗を続けているのである。


(泥とか虫とか男共の汗臭さとか、今ではもう気にしないけどやっぱり女として譲れない一線はあるんだよね)



 会議やら慰問やら視察やらの日常業務を終え、寝間着に着替えて唯一安らげる空間である自室に戻ったタチアナは、そのまま布団の上に覆いかぶさるようにして倒れこんだ。



「あ、そういえば今日は手紙が届いているんだった」


 連合軍では定期的に手紙の配達が来るが、毎週送られてくる家族からの手紙はタチアナの数少ない楽しみだ。毎晩、将校用の小さな個室でジャムをたっぷり入れた紅茶を飲みながら、静かに手紙を読むのが彼女の日課だった。


「ふふっ、アナスタシアとアレクセイったら。また悪戯ばかりしてオリガ姉さまを困らせてるのね」


 文面を読む限り、ロシアにいる家族は元気のようだ。イギリスにいる妹のマリアも、見合い相手のマウントバッテン卿から熱烈なプロポーズを受けているらしい。


「マリアもイギリス料理が不味いとか勿体ぶってないで、さっさと結婚しちゃいなさいよ。相手はイケメンで金持ちな上にヴィクトリア女王の曾孫だし、いい縁談じゃない」



 そんな事を思いながら次の手紙を開くと、それまで笑顔だったタチアナの頬が引きつった。



「うわ……父上からだ」



 正直な話、タチアナは父ニコライから送られてくる手紙が大の苦手だった。


 もちろん、それには理由がある。



「………やっぱり」


 いつものようにタチアナが手紙を開くと、さっそく意味不明な言語の筆記体が羅列してあった。もともとロシア語の筆記体は外国人には落書きにしか見えないような複雑なものなのだが、父ニコライのそれは更に輪をかけて酷い。


 「敵に奪われたらどうするんだ!」という偏執的なまでの警戒心で、自分たちにしか分からないように変換してある。しかもその為に、わざわざ専用の暗号表を情報部に作らせるという徹底ぶり。


 これだけでもタチアナが辟易するのには充分なのだが、更なる問題はその中身にあった。



 ――戦争は機動戦だ!一気に突破して一気に制圧しろ!多少の犠牲は恐れるな!


 ――戦いは点でも線でも無い!面であり、立体である!総合的に考えろ!



 

「………自己啓発?」


 

 本気で放り出したくなった。


 なんとなく父親なりに励ましているのは伝わってくるのだが、肝心の内容が意味不明である。論理的に文章を組み立てたというより、その場で思いついた言葉を箇条書きしたかのようだ。


 他にも「砲撃は当たらんでも爆発すればいい!」とか「捕まえた敵は逃がすな!絶対だぞ!」とか実に抽象的な事ばかりが書いてある。



「駄目だ……本気で父上が何を言ってるのかサッパリ分からない……」


 実はニコライなりに大祖国戦争でソ連軍を勝利に導いた「作戦術」「縦深攻撃ドクトリン」といった理論を教えているつもりなのだが、政治家であったニコライは軍事理論をざっくりとしか覚えていない。うろ覚えで思い出した事を適当に書きなぐっているのだから、タチアナが混乱するのも無理のない事だろう。


「………やっぱボケてんのかな、父上」


 結局、考えあぐねたタチアナは他の将軍たちに相談することにした。餅は餅屋、戦争は戦争屋にである。 

   

ハプスブルクは滅びない!(キリッ)


Indivisibiliter ac inseparabiliter(分割できず、分かれ難い)←二重帝国の標語

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 17話から読み直してて気付いたけど、『停滞敗戦』とは『手痛い敗戦』ですよね。
[一言] ふむ、中身が変わったとはいえロシア帝国存続ならば日露の同盟関係も継続で大分世界史が変わるし、将来の主力小銃はAKではなくフェドロフM1916になって日露弾薬共通の楽しい世界線になりますね。
[一言] これは絶対面白くなるぞ!!!
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