第11話 祖国は危機にあり!
――1914年9月12日。
各国の新聞は一様に号外を報じていた。
「マルヌ川の会戦で、ドイツ軍大勝利!!」
史実ではフランス軍の奮戦により、ドイツ軍の快進撃を止めた『マルヌ会戦』はその様相をスターリンの知る歴史とは大きく変えていた。
史実と違ってフランス軍には十分な戦力があり、ベルギー方面とアルデンヌ方面の両方で当初はドイツ軍の攻撃に対して史実以上に健闘している。
しかし史実とは逆にドイツ第6軍および第7軍がアルザス=ロレーヌで攻勢を開始、フランス第1軍と第2軍を拘束し、さらにアルデンヌとベルギーの全ての戦域で同時攻撃をかけた。そのためアルデンヌではフランス第3軍がドイツ第5軍に拘束され、ベルギーではフランス第4軍と第5軍および増援の第9軍がそれぞれドイツ第4軍、第3軍、第2軍に拘束されていた。
残るフランス第6軍はイギリス遠征軍(BEF)と共同でパリ郊外を防衛しており、ベルギー軍を蹴散らして迫りくるドイツ第1軍を待ち構える。
シュリーフェン・プランによればドイツ軍の最右翼にあたる第1軍は元々、フランス軍左翼の後ろに回り込み、パリを包囲するように攻撃して連合軍を早期に包囲殲滅する手筈になっている。しかし長距離の徒歩行軍で疲弊していたことや、包囲作戦を実施すれば戦線に穴が開いてフランス軍に付け込まれることになれば、第1軍・第2軍ともに側面を突かれる危険性があった。
そのため史実通りに参謀総長モルトケは第1軍に包囲の中止を命令し、第2軍と距離を開けないようにしつつ、パリ正面で待ち構えるフランス第6軍とBEFに対して正面突撃を命じることになる。
―――これが史実におけるマルヌ会戦までの流れであるが、史実と違ってこの世界のモルトケにはとっておきの切り札があった。
「東部戦線から引き抜いた、第8軍に当初の第1軍の任務を当たらせよ。第8軍は英仏海峡沿いに進軍し、パリの西方から連合軍の背後を突くべし」
マルヌ川では史実通りに銃剣突撃を砲撃と機関銃で粉砕する消耗戦が繰り広げられたものの、パリの後背にあるセーヌ川下流でドイツ第8軍が到着すると、フランス第6軍とBEFは挟み撃ちの危険に晒された。
「第6軍は正面での戦闘を中止せよ。秩序ある撤退を行い、首都を死守すべし」
9月11日、ついにフランス軍総司令官ジョフル元帥は、マルヌ川の防衛を諦めた。こうしてマルヌ会戦はドイツ軍の勝利に終わったのである。この日、大勢の人々が第一次世界大戦は中央同盟国の勝利に終わり、クリスマスまでには家に帰れると期待したのも無理はなかった。
マルヌ川はパリの目と鼻の先であり、ここを突破されればフランス第3共和国の首都である花の都パリはドイツ軍の手に落ちたも同然だ。海洋大国イギリスいえども単独でドイツを欧州大陸で屈服させることが不可能であり、世界最大の陸軍大国であるロシアはニコライ2世の日和見によって同盟国への義理よりも国内の富国強兵を優先させている。
フランスの敗北は誰の目にも明らかなように見えた。
―――1人の男が、動き始めるまでは。
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「ロシア軍、ついに総動員を開始!」
翌日、誰もが戦争はドイツの勝利で終わったものだと考えていた中、そんな淡い期待を一瞬で正面から粉砕した男がいた。誰あろう、ロシア皇帝ニコライ2世である。
「ロシアは古くからの盟友を決して見捨てはしない! 」
今さら何を言っているんだという総ツッコミの嵐を涼しい顔で受け止め、地上における神の代理人たるロシア帝国のツァーリ・ニコライ2世は厳かに白々しく宣言する。
「危機にある同胞を助け、欧州の解放者となるのだ!」
この突然の宣言にプロイセン軍参謀本部はパニックに陥り、逆にフランス軍参謀本部では歓喜の声で満ち溢れた。もちろん「連合国が危機に陥る原因を作った張本人のマッチポンプではないか」という冷ややかな声もイギリスを中心に指摘されていたものの、とりあえずはこれで継戦の目途が付いたことになる。
「マルヌ会戦では敗北したが、共和国はまだ敗戦したわけではない!」
すぐさまフランス軍総司令官ジョフル元帥は徹底抗戦の声明を発表し、国民に総力戦への協力を要請した。結局ファルケンハインの危惧した通り、ドイツ軍の快進撃は『マルヌ会戦』の勝利を最後に、泥沼の総力戦へと突き進んでいくのであった。
マルヌ会戦でドイツ軍が勝っていればというifですが、その時期になるとフランス政府は既にボルドーに疎開しており、そう簡単に降伏はしないんじゃないかなと考察してます。
第二次世界大戦でもレイノー首相ら徹底抗戦派は存在しており、第一次世界大戦のトラウマが無ければ継戦という選択肢は考えられますし、マルヌ会戦の段階ではまだ誰も悲惨な総力戦がこの後に待ち受けているとは想像していないので、可能性はあるかなと。