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皇帝になった独裁者  作者: ツァーリライヒ
第2章 諸国民の戦争
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第10話 パリへの道

 ヴィルヘルム2世が植民地拡大にこだわって強硬な外交政策を唱えたのは、帝国主義より国内の社会問題を抑えるという目的の為だった。



 ドイツはビスマルクの時代に悲願のドイツ人による統一帝国を誕生させていたが、大きく変化する社会の陰で様々な問題を抱えていたのも事実である。


 植民地政策は国民の関心を国内問題から対外問題に逸らし、外交の場で戦争も辞さぬ断固とした態度を示すことは、誕生まもない統一国家ドイツ帝国を団結させるうえで最も有効な手段であった。



(余には祖父のような経験と実力もなければ、ビスマルクのような智謀もない。余のような若輩が国内をまとめるには、どうしても外国という共通の敵がいる……)



 国家に限らず組織というのは、多くの場合『敵』を必要としている。外敵と争っている時は滅多に内紛は起こらないものだが、外敵が無くなった途端に内紛が表面化した例は歴史上にも少なくはない。


 とりわけドイツは分裂していた時期が長く、父ヴィルヘルム1世の時に名宰相ビスマルクが権謀術数を駆使してどうにか統一にこぎつけた、というのが実態だ。




 ――何よりドイツ統一の歴史自体、「共通の敵」と戦う事で作られている。



 もともとドイツ統一にあたってはオーストリア主導の「大ドイツ主義」と、それを排除したプロイセン主導の「小ドイツ主義」が対立していた。

 当初は劣勢だった小ドイツ主義が最終的に勝利できたのは、ドイツ人の間で高まっていた「民族主義」を利用したビスマルクが多民族国家であるオーストリアを「共通の敵」としたからだ。


 続いてビスマルクはナショナリズムを利用し、フランスという共通の敵を作ることでドイツ国民の団結を促した。貧富や身分の差はあれど、「同じドイツ人」なのだから協力してフランスと戦おう、という訳だ。


 

 もっとも優秀な策略家であったビスマルクの場合、必ずしも国内世論だけを頼りにしたわけではない。上流階級のネットワークや国家間の微妙なパワーバランスなど、状況に応じて様々な手段を巧みに使い分けている。



 だが、それは類まれなる頭脳を持つビスマルクと、長年にわたって社交界で存在を誇示してきたヴィルヘルム1世だからこそ出来た絶妙な政治の曲芸である。

 若くて経験も不足しているヴィルヘルム2世が同じようにドイツを導こうとすれば、「共通の敵」に断固とした態度で立ち向かう事で国民のガス抜きをするしかなかった。


(それでも、自国民同士で争うよりははるかにマシなのだ。ドイツ人同士が争った三十年戦争では、人口の半分が死んだのだから……)


 だからこそ未曽有の殺戮戦となった第一次世界大戦に際して、ヴィルヘルム2世は苦悩を隠せない。 ドイツ人を内戦から守るための対外強硬姿勢が、かつてないほどの殺戮を伴う総力戦へと移行しつつある。ある意味では、己の能力不足と未熟さが招いた結果でもあるからだ。



(……それでも、余は統一ドイツの皇帝なのだ。逃げるわけにはいかぬ)



 迷いもしよう。後悔もしよう。だが決して、歩みを止める事だけはしない……それがドイツ皇帝として生まれたヴィルヘルムに出来る、最大限の王族としての責務だった。

 


 **



 戦争開始から約2週間後――。


 ベルギーに侵入したドイツ軍はリエージュ要塞で一時的に足止めを食らったものの、8月20日には首都ブリュッセルへの侵入を果たしていた。


「ベルギーの降伏は目前です。4日後にはフランス国内へ侵入できるでしょう」



 そう報告するのは西部方面軍司令官のエーリッヒ・フォン・ファルケンハインだ。


 現実主義者であるファルケンハインの分析では、ベルギーは落とせるだろうがシュリーフェン・プランで計画していたフランス軍の包囲殲滅は困難であった。



(ジョフルがプラン17を放棄したせいで、北部に続々とフランス軍が集結しつつある……。5個師団相当のイギリス軍が既にベルギーに上陸した上、植民地から100万人規模の志願兵を募集しているとの話も聞く)



 現在、ドイツ軍はベルギーに第1軍・第2軍・第3軍を置き、アルデンヌに第4軍・第5軍、アルザス=ロレーヌに第6軍・第7軍、東部から輸送された第8軍は戦略予備という布陣だ。

 第8軍が戦略予備となっているのは作戦上の理由というより、補給の限界で前線にこれ以上の増援を送っても意味が無い判断からだった。


 一方のフランス軍はアルザス=ロレーヌに第1軍・第2軍、アルデンヌに第3軍、ベルギーに第4軍・第5軍、第6軍と第9軍が戦略予備となっている。


 

 ただでさえ優勢なドイツ軍が、ロシアの参戦見送りでさらに増強されたのを見たペタンの決断は、結果から見れば英断とも杞憂ともとれた。一部の過激派からは「臆病者」と罵られることになったとはいえ、懸命な動員によって数の上では互角にまで持ち込んだ。

 まだドイツ軍の方が一個軍、10万ほど多いものの、ベルギー軍の残党やイギリス遠征軍を加えれば戦力としてはほぼ互角に近い。




 むしろ現状、困っているのはファルケンハインらドイツ軍の方だ。


(アルザス・ロレーヌにいる我が軍はフランス軍より僅かに多いが、攻勢には心もとない。かといってフランス軍が攻撃してくる気配もない・・・)


 大事なのは時間、そして速度だ。


 予想外に頑強なベルギー軍とイギリス軍の抵抗にあっている間に、フランス軍に防衛線を構築されたら包囲殲滅は出来なくなってしまう。そうなれば損害の大きい正面攻撃を敢行するしかなくなり、戦線は膠着して戦争そのものが長期化するだろう。



(だが、包囲を担当する「翼」にあたる第1軍は長距離の強行軍で激しく疲弊している。ベルギー軍の焦土作戦のせいで、補給も限界に近い。やみくもに前線に部隊を送ったところで、弾薬と食料が前線まで届かないだろう)



 ドイツ帝国が大躍進するきっかけとなった普墺戦争、そして普仏戦争でも兵站の問題は常に参謀本部を悩ませた。世間一般では鉄道を使ったドイツ軍の迅速な動員の勝利とされているが、実のところ動きが迅速だったのは鉄道が敷かれている国境線まで。敵国の鉄道は当然ながら、利用されないよう破壊されている。


 そのため、ひとたび国境を越えれば結局はナポレオン戦争の時と同じように、馬と人が前線まで弾薬や食料を運ぶしか方法が無い。実際、普墺戦争と普仏戦争でも前線に運びきれなかった補給物資が国境沿いに山積みになっており、その欠点は今回の大戦でもほとんど改善されていなかった。



(ロシアの日和見で東部戦線が消失したとはいえ、東部から輸送してきた第8軍は前線に送るだけの兵站網が確保できずに遊兵と化している……)



 ファルケンハインの見るところ、事態はどんどん悪い方向へと動いている。ジョフル率いるフランス軍はベルギーの救援要請をのらりくらりと躱すばかりで、どう見ても小国ベルギーを見捨てて時間を稼ぐつもりだとしか思えない。



 加えてイギリスでキッチナー将軍が巨大な陸軍を新設する動きが加速しているという情報もまた、ファルケンハインを不安にさせた。


(このまま泥沼の消耗戦にならなければいいが……)


 ファルケンハインの陰鬱な予想は、まもなく現実のものとなる。スターリンの転生と歴史改変を受けてなお、時代は欧州に悲惨な消耗戦を求めているかのようだった。

     

 シュリ―フェン・プランについて、「もし東部戦線の兵力が西部戦線に送られていたら」というifについてですが、結局のところ史実の修正シュリ―フェンプランでも西部戦線の兵站は限界に近く、前線の兵力を直接増強することは難しいと推測しました。


 もちろん予備兵力にはその分だけ余裕が出来るので、前線部隊に大損害覚悟の突撃を命じるという選択肢は追加されるかと思います。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ヴィルヘルム2世の父親はフリードリヒ3世で、ヴィルヘルム1世は祖父ではないですか? [一言] 国内の問題を抑える為に、対外問題に逸らすのは常套手段ですね。
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