第09話 シュリーフェン・プラン
大戦中、プロイセン軍参謀本部内では、戦争の方向性に際して2つの派閥があった。
故シュリーフェンの流れを組む西方派と、故大モルトケの流れを組む東方派だ。西方派はフランス共和国への先制攻撃を主張し、東方派はロシア帝国への先制攻撃をそれぞれ主張した。
西方派
アウフマーシュ・I・ヴェスト・・・・西部戦線に全軍を投入、ロシアが中立を維持した場合
アウフマーシュ・II・ヴェスト・・・・西部:東部=8:2、フランス軍を撃破後は西部:東部=6:4へ
東方派
アウフマーシュ・I・オスト・・・・西部:東部=6:4、ロシア軍撃破後は西部:東部=8:2へ
アウフマーシュ・II・オスト・・・・西部:東部=6:4、兵力の移動は無し
ニコライ2世による事実上の参戦見送りを受け、東方派からは「西部戦線は防御を固めるに留め、東部戦線で大攻勢をかけるべきでは?」という意見も提出された。
「ロシア帝国が総動員をしていない今こそ、ロシア帝国を楽に倒せるチャンスなのではないだろうか? 」
「フランスへ先制攻撃をかけるプランは、ベルギーへの侵攻を前提としており、イギリスの参戦が予想される。対ロシア先制攻撃であれば、イギリスを当分は敵に回さずに済む」
各個撃破が戦争の基本だとすれば、東方派の意見にはかなりの説得力があるように思われる。しかし参謀総長モルトケは西方重視にこだわり、東方派の意見を一蹴した。
「現状の補給事情では、ナポレオンの二の舞となる」
モルトケは戦略面というより、シュリーフェンと同じく兵站の問題としてロシアとの早期講和は不可能と見ていた。
シュリーフェンは「ロシアは鉄道などの交通インフラが脆弱であり、総動員には時間がかかる」ことを己の名を冠した計画の根拠としたが、旧ポーランド領における交通インフラの脆弱性は、ロシア帝国だけでなくドイツ帝国にとっても言えることだったからだ。
実際、ドイツとロシアの国境付近は防衛のために両国も道がほとんど舗装されておらず、わずかに砂地の上に道が作られていただけという有様だ。鉄道に至っても同様で、しかもロシアの鉄道は広軌を採用していたために、ドイツから気動車や貨車を直接乗り入れることができなかった。
ただでさえ貧弱な交通インフラでは大軍を投入すれば却ってそれが仇となって進軍に支障をきたすため、結局は全軍の4割程度しか東方には展開できない。ロシア軍も限定的とはいえ動員を終えているために防御に回られれば、秋までにペトログラードに辿り着くことは困難になる。そして冬になれば、かのナポレオンをも撃退した冬将軍が、ドイツ帝国の前にも立ちはだかる。
だが、幸いにもロシアは三国協商を事実上破棄し、対独参戦を見送った。かくして、モルトケが採用したのは全軍を対フランス戦に向けるアウフマーシュ・I・ヴェストであった。
「我が軍はこれより、アウフマーシュ・I・ヴェストを発動する! 全軍、パリに向かって一心不乱に前進せよ!!」
**
この時、ドイツ軍が保有していた9個の軍の内訳は以下の通りである(ただし第9軍は編成中)
第1軍・・・4個歩兵軍団(8個師団)+3個予備歩兵軍団(6個師団)+騎兵2個師団+司令部、約20万
第2軍・・・3個歩兵軍団(6個師団)+3個予備歩兵軍団(6個師団)+騎兵1個師団+司令部、約15万
第3軍・・・3個歩兵軍団(6個師団)+1個予備歩兵軍団(2個師団)+騎兵2個師団+司令部、約12万
第4軍・・・3個歩兵軍団(6個師団)+2個予備歩兵軍団(4個師団)+騎兵1個師団+司令部、約13万
第5軍・・・3個歩兵軍団(6個師団)+2個予備歩兵軍団(4個師団)+騎兵1個師団+司令部、約13万
第6軍・・・4個歩兵軍団(6個師団)+3個予備歩兵軍団(6個師団)+騎兵3個師団+司令部、約16万
第7軍・・・2個歩兵軍団(4個師団)+1個予備歩兵軍団(2個師団)+司令部、約7万
第8軍・・・3個歩兵軍団(6個師団)+1個予備歩兵軍団(2個師団)+騎兵1個師団+司令部、約11万
第9軍・・・3個歩兵軍団(6個師団)+2個予備歩兵軍団(4個師団)+騎兵1個師団+司令部、約13万
プロイセン軍参謀本部はこのうち、第1~第8軍までを西部戦線(第1・第2軍はベルギー方面、第3・第4軍はアルデンヌ方面、第5・第6軍はアルザス・ロレーヌ方面)に配置し、編成中の第9軍を東部戦線に配置した。
なお余談であるが、ドイツ帝国参謀本部というのは存在しない。あくまでプロイセン陸軍、バイエルン陸軍、ザクセン陸軍、ヴュルテンベルク陸軍といったドイツ帝国諸邦はそれぞれ独自の陸軍と参謀本部を保有しており、ドイツ皇帝の元で一緒に戦うという体裁をとっているからだ。
特に第3軍では3個軍団がザクセン王国陸軍、第5軍では1個軍団がヴュルテンベルク王国陸軍、そして第6軍では実に4個軍団がバイエルン王国陸軍であり、さらに1個軍団ほどがその他の帝国諸邦から提供されていた。
さらに第3軍司令官はザクセン王国の軍務大臣マックス・フォン・ハウゼンが、第4軍はヴェルテンベルク王国のアルブレヒト皇太子が、第6軍はバイエルン王国のループレヒト皇太子が、それぞれ務めるなど、封建時代の名残も多く残している。
史実と違って全軍を西部戦線に投入したドイツ軍に対して、フランス軍のとった対応もまた史実とは異なるものだった。
史実では『プラン17』と呼ばれた攻撃計画では、ドイツ軍がシュリーフェン・プランがベルギー経由で逆時計回りに北から侵攻する計画であるのに対して、フランス軍はプラン17はそれにカウンターをかけるようにアルザス・ロレーヌ経由でドイツ軍を南から圧迫する計画だった。
しかし二正面作戦が回避されたことでドイツ軍が数的優位に立ったことを受け、総司令官ジョフル元帥は防勢作戦へと大幅に計画を変更する。第1軍と第2軍をアルザス=ロレーヌに配置し、第3軍をアルデンヌの森へ、第4軍と第5軍をベルギー方面、第6軍と第9軍を戦略予備とすることで、徹底的に抗戦する構えだ。
「これでは……正面決戦になってしまうな」
ヴィルヘルム2世が不安そうな顔になる。
「噂によれば、イギリスからも送られた遠征軍が既にフランス軍と合流して、パリ近郊で何重もの防衛線を築いているとか」
イギリスは徴兵制こそ敷いていないものの、ボーア戦争を始めとする植民地紛争でそれなりの実戦経験を有する。小規模ではあるが、「1分間に15発速射する」とも評されたよく訓練された陸軍を持っていた。
「参謀長、勝てるのか?」
「すでに我が軍は敵を包囲下に置きつつあり、依然として兵力も優勢です。多少の遅れや損失は増えるでしょうが、大勢に影響はありません」
「……そうか」
モルトケの言葉に、ヴィルヘルム2世は小さく頷いた。
そしてこれ以上の無駄な血を流さぬよう、降伏勧告を促そうという言葉が出そうになる。だが両国の長年にわたる確執を思い出して、喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。
(そもそも今回の戦争は両国の国民の望むところだ。直接の原因は軍人や外交官たちにあるのかもしれんが、講和や軍縮を許さぬムードはそれ以前から国中に漂っていた)
帝国主義が当たり前だった時代、国家が戦争によって領土を拡張する事は当然だと考えられていた。
ダーウィンの「適者生存」の考え方が社会学に応用された事もあり、国民の間には弱肉強食を歓迎する風潮すらある。つまりは生存競争に生き残った国家は優れているのであり、戦争に勝って領土と植民地を拡張することが政府の役割だと考えられていたのだ。
(余はドイツの皇帝だ。国民がそれを望むのなら、叶えるまでのこと)
みんな大好きシュリ―フェン・プランのお話




