月の狩人
空を木々が覆う鬱蒼とした暗い森。ちらりと覗く明かりは発光する虫と僅かな月明かりばかり。そんな人の営みを拒否するかのような森を疾駆する一人の女の影があった。
いや、正確には違う。彼女は決して地上を駆けているわけではなかった。樹上を、走っているのだ。木々から木々へと、枝の上を滑るかのように走り、木の幹の間を撫でるようにすり抜け、よどみなく次へ、また次へと木々を渡っていく。
彼女の肢体は酷くしなやかで、力強く、そしてとても艶めかしかった。身に纏うのは胸当てと腰巻き、そして幾つかの装具のみ。彼女はその鍛え抜かれた体躯の殆どを、夜の森に晒している。均整の取れた胴廻り、肉厚で引き締まった太腿、逞しい二の腕。どれも女性にしては骨太く、戦う者としての力強さを感じさせた。
もし太陽のもと。日の当たる場所で彼女を眺めたなら、その健康的で肉感的な身体に男は情欲を掻き立て、一夜の交わりを夢想させたかもしれない。
ある一点にさえ目をつむれば。
それは、彼女の肌の色だ。それは、およそ人の肌とは思えない色をしている。白色でもなく、黒色でもなく、褐色でもなく、まして有色でもない。
彼女の肌の色は、濃紺に近い灰色だった。
まるで夜の帳を身に纏ったかのような、完全な暗色ではなく、さりとて色を持つほどの彩りはない灰色。それは闇に溶け、周囲との輪郭を曖昧にする。まるで夜陰に乗じる為に人工的に作り出されたような、そんな色だった。
◇
「なぁ聞いたか。この森よぉ、出るんだってよ」
「何が出るってんだガス」
「そりゃあオメェ、悪霊怨霊の類よ。20年前の戦争で死んだ奴らの魂がまだ彷徨っててよぅ。夜な夜なオレらみてぇな阿呆を追いましてわ、あの世まで引きずり込んでいくのさぁ」
「その陰気臭いしゃべり方を今すぐ止めねぇと鼻の骨をへし折るぞ!大体今どきアンデットもゴーストも珍しくもねえ。お前が言いたいのは、夜の森になんて入りたくなかったっていう愚痴だろうが!いいからさっさと歩けこの短足っ!」
「落ち着けヒュームレイ。夜の森で騒ぐとそれこそ余計なものを引き寄せるぞ。それにガストンの言う事もあながち間違いじゃない」
「まさか本当に幽霊でも出るってか!ガキじゃねぇんだぞ俺達ぁ?」
「この森の先では20年以上前に起きた反乱の鎮圧でかなりの人間が死んでる。女子供関係なく、一族郎党皆殺しになったって話もある。それにこの辺りは魔素が濃い。アンデットは出なくとも魔獣が居てもおかしく無い場所だ。油断はするな」