うちのお店、メニューはございませんの。(三十と一夜の短篇第22回)
一枚の紙が、私の手に舞い込んできた。
『強風レストラン、是非、いらしてくださいませ。』
何かと思って見てみれば、そうとだけ書かれていた。
薄気味悪い女の絵と、店の場所が示されているであろう地図。
いたってシンプルな広告だ。
「変わった名前だな……。」
昼時で腹が減っていたのもあって、なんでだか、行ってみようなどと思ってしまった。
この街に住んで長いけれど、そんな店があるとは聞いたこともないので、噂になるほどのものでもないのか、それとも新しい店なのか。
地図を見ながら探すけれど、そう見つからない。
そうそう見つからなかった。
見つからないと思うほどに、見つけたいという気持ちが大きくなるのだから、不思議なものである。
偶然。なのだから、執着するところなど少しだってない。
そのはずだが、せっかくここまで来たのだから、という気持ちが強いのかもしれない。
「こんにちは。今日、お店やっていますか?」
漸くそれらしき店を発見したのだが、客が入っている様子はない。
「いらっしゃいませ。ふふっ、久しぶりのお客様で、あたくしとっても嬉しいですわ。」
笑顔の女性が受け入れてくれる。
広告に映っていた、薄気味悪い女とは別人なようだ。
いきなり、あれに出迎えられては、気味が悪くて逃げてしまいそうだ。
なんだって店の顔となる広告にあれを採用したんだか。
「メニューをもらえるかい?」
席に座ればお冷は持って来てもらえるけれど、どこを見たってメニューらしきものは見つからないし、レストランと書かれている以上、決まった料理があるというわけともわからない。
尋ねてみたらば、意味深な笑みを浮かべられる。
「ごめんなさい。うちのお店、メニューはございませんの。運次第といったところですけれど、今日は……運がいいみたいですわ。」
「それじゃあ、何がもらえるんだい? メニューがなくっちゃわからないじゃないか。」
私の言葉にも、変わらない意味深な笑みで、そのまま女性は厨房に消えていってしまう。
はて、どういうわけなのだろう。
ほかに客もいないのだし、どうしたものかと悩む。
周りを見る。見回してみる。
けれど、だれもいなかった……。
だれもいないのはわかっていたことだし、いたはずの人が消えたわけでもないのだから、不思議がるところなど少しだってない。
それなのに、不気味に思えてならない。
どこを見たって、どこを見たって、だれもいなかった。
名前も知らないというのは、あまり魅力的な店ではないのだと、やはりそういうわけなのだろうか。
「強、中、弱、どれになさいますのかしら?」
オシャレなグラスに少量注がれた、実に美味しそうな赤ワインを運んでくれて、女性はそのようなことを言う。
「どういうわけだかわからないよ。それが何だか説明もせずに、何を選べというのだか。」
「強、中、弱、どれになさいますのかしら?」
質問の意味が伝わっていないのか、それとも聞こえてもいないのか、同じことを繰り返される。
何の強弱を聞いているのだろう。
酒の度数ということだろうか……?
そう考えたけれど、運ばれてから変えるなどできるものだろうか。
けれど赤ワインしか情報がないわけだしな。
「それじゃあ、強をもらえるかな?」
わからないが、酒には強い方だから、強でいいだろう。
それに、何にしたって、強さというのは強い方がいいに決まっている。
短絡的なそういった考えで私はわけもわからず頼んでしまった。
「ふふっ、ふふふふっ、今日がオススメですの。今日は、いいえ、今日も強がオススメですのよ。さすがはお客様、わかっていらっしゃいますわね。ようこそ、強風レストランへ。」
女性の笑顔が歪んでいく。
見る見る、歪んでいく。
歪み、崩れ、壊れていく。その中に響く笑い声。
広告に映っていた薄気味悪い、あの不気味な女は、彼女と同一人物であったというわけだろうか。
笑い声に、交ざり込む強い風。
吸い込まれていって、私は漸く、メニューがないのだと、運次第なのだという意味を理解した。
理解すると同時に、消えたのは私。
「ごちそうさまでした、っと。ありがとうございました、お客様。是非、お友達も連れて、いらしてくださいませね。」