アブナイ匂い
「…………!!」
突然のできごとに、わたしは体が固まってしまいました。
銀髪をした男の子のやわらかい唇が、わたしの唇に吸いついていました。
その子の両手が、私の両手を押さえつけていました。
むきだしになったその子のしなやかな体が、わたしの体にピッタリ重なり合っていました。
その子はわたしのことを……欲しがっていました。
だめだ。
いけない。
逃げないと。
わたしは、どうにか男の子から顔を離そうと首を振ります。
男の子の体から逃げようとジタジタ暴れます。
でも、だめでした。
わたしと同じくらいの背丈なのに、その子はすごい力でした。
その子の手が、わたしをとらえて放しません。
その子の唇が、わたしをとらえて離しません。
その子の濡れた舌が、わたしの舌に絡まって、わたしの中でチロチロと泳いでいます。
「ん……ハアァ……!」
ようやくその子の唇が、わたしの唇から離れました。
わたしの口から、思わず変な声が漏れました。
その子の唇が、こんどはわたしの喉もとに吸いつきました。
その子の舌先が、わたしの首筋をゆっくりと這っていきます。
逃げないと。離れないと。
こんな所をお師匠さまに見つかったら。
でも……!
自分の顔が、耳まで赤くなってるのがわかりました。
体全体が、炎みたいに熱くてズクズクしてきました。
もう、わたしはその子のされるがままだったのです。
ジットリと汗ばんだその子の体。
体ぜんたいから、ハチミツみたいな甘い匂いがしました。
その子の匂いに包まれて、わたしは頭の中が痺れるような、焼けつくような。
どうにもならない変な気持ちになってきました。
「ううああっ!」
わたしは掠れた声を吐き出しました。
ツッ……ツッ……
わたしの喉もとに、何度も何度もキスをしながら。
その子の右手が、わたしのシャツをひきはがしていきます。
その子の左手が、わたしのお腹の下まで這っていきます。
「アアあ……ダメ……コータくん……!」
わたしの口から思わずあの人の名前がこぼれた、でもその時でした。
「ア……?」
その子が不思議そうな声を上げました。
わたしは我にかえって、その子を見上げました。
銀色の綺麗な目で、その子はわたしの胸元をのぞきこんでいました。
むきだしになった、わたしの胸を見ていました。
お腹の下までのびた左手が、戸惑ったようにわたしの一部を握りしめていました。
「オマ……オ……オ……!?」
わたしの顏を向いて、その子が困ったような声を上げました。
わたしに重なったその子の身体から、急に力が抜けていくのがわかりました。
その子の銀色の目が、ジッとわたしの目を覗いています。
まるで何かを謝るみたいに。
まるで何かを怖がるみたいに。
「馬鹿ッ!」
「キャンッ!」
わたしは思わず大声を上げて、その子の体を両手で突き飛ばしました。
その子が悲鳴を上げて、わたしから跳ね上がります。
「馬鹿ッ! 馬鹿ッ! 馬鹿ッ!」
「キャンッ! キャンッ! キャンッ!」
わたしも床から跳ね上がりました。
オタマ。空バケツ。出来そこないの花火玉。
足元に転がっていたモノを次々に拾いあげて。
その子の裸めがけて、何度も何度も。
思い切り投げつけました。
そのたびに、その子は哀れっぽい悲鳴を上げました。
頭の上に、燃えた重石を乗せられたみたいでした。
カッカと熱くて。それでいて重くて苦しい感じでした。
胸の中が、情けない気持ちでいっぱいでした。
両目からポロポロ涙がこぼれてきます。
なにやってるんだろう、わたし。
こんな半分ケダモノみたいな子に、いきなりいいようにされてしまって。
ほんの少しの間でも、ソノ気になったりしてしまって。
あげくの果てに、体を見られて、困った顔をされて、怖がられて。
本当になにやってるんだろう。
なにやってるんだろう。
「グッ……!」
まわりに投げつけるものが無くなると、わたしはその場にしゃがみこんでしまいました。
目をつぶり、両ひざに顏をうずめて、しばらくまわりが見えないようにします。
わたしは本当に馬鹿でした。
あんな子のことを、一瞬でも、かわいそうだなんて思ったりして。
綺麗だなんて思ったりして。
もういい。もう知らない。
もう思い出したくもありません。
お師匠さまに言いつけて、どこかに捨てて来てもらおう。
そう心に決めて、やっと立ちあがるだけの力が戻ってきたように感じました。
でもその時でした。
「ダイ……ジョウブ?」
わたしの耳元で、そう呼びかけて来るかすれた声。
「…………!」
顔を上げて声の方を向いたわたしは、息を飲みました。
その子が、わたしの隣に座っていました。
銀色の目で、わたしの顏を心配そうに覗き込んでいます。
「もういい。あっち行って」
わたしは右手をパタパタさせてその子を追い払おうとしました。
再び顔を伏せて、その子の顏を見えないようにします。
でも。
ス……
その子はわたしから離れませんでした。
綺麗な指先が、わたしの頬に触れていました。
「ゴメン……ダイジョウブ……」
「ゴメンって……なに言ってるの?」
男の子が、本当に済まなそうな顔で、わたしにそう言います。
わたしはワケがわからなくなってきました。
急に乱暴なことをして。
わたしの体のことを見たら、逃げ出す様な顔をして。
それでまたわたしに寄って来て、ゴメンだなんて。
いったい何を言っているのでしょう。
「コンドハ……ダイジョウブ……!」
男の子が、私の肩を優しく抱きしめてきました。
その子の綺麗な顏が、再びわたしの顏に迫ってきます。
「……ぁあ!?」
そして不意に。
わたしは恐ろしいことに気付きました。
全身の毛が、ゾワッと逆立つのを感じました。
この子がわたしにしてきたこと。
それは、この子がケダモノだからではなかった。
わたしを欲しがっていたわけでもなかった。
この子がこんなことをしてくるのは。
この子を育てた、どこかの誰かに、そうするように、教え込まれてきたから!
ただ、それだけのことだったのです。
「やめて!」
「ア……!?」
わたしは声を強くして、わたしの肩からその子の手を振り払いました。
その子が小さく、戸惑ったような声を上げました。
ギュッ!
わたしは逆に、自分の両手でその子の肩をしっかり掴みました。
「こんなこと、しなくていいんだよ!」
わたしはその子の顏を覗きこみました。
その子の銀色の目を、まっすぐに覗き込みました。
わたしは大きな声で、その子に語りかけました。
「シナクテ……イイ……?」
「そう。安心して。そんなことしなくても、誰も怒ったりしないから。ここでお師匠さまを待っていよう。2人で静かに、色々お話をしよう……!」
わたしはその子を抱きしめました。
ゆっくりと、静かに、その子に言葉を続けました。
「ァ……ァ……!?」
その子は混乱したように、イヤ、イヤと首を振りました。
スベスベしたその子の頬を、1筋、2筋、あたたかい涙が伝っていくのがわかりました。
その子の体を抱きしめながら、わたしは胸の中にわき立つような、煮えくり返るような、どうしょうもない感じがこみあげてくるのを感じました。
全身から、真っ黒なドロドロが噴き出す様な、どうしようもなくイヤな気分でした。
こんな子供に。
わたしと同じくらいの年をしたこの子に。
まだ、たどたしい言葉しか喋れないこの子に。
そんなことをするように、教え込んできた者がいる!
「大丈夫。大丈夫。お師匠さまに頼んでみよう。きっともう、大丈夫だから……!」
わたしは自分に言い聞かせるように、その子の耳元で何度も何度もそう声を上げました。
「わたしはナナオ。姫川ナナオ。きみ、名前は?」
「オレ……ナマエ……」
どうにか落ち着いてきた様子のその子に、わたしはそう尋ねました。
男の子が不思議そうに首をかしげて、何かを言おうとしました。
でもその時でした。
「やぁぁぁっと、見つけたぁ……!」
小屋の外の方から、聞き覚えのない声が聞こえました。
低いけれどよく通る、女の人の声でした。
「ヒグッ!」
わたしが抱きしめていた男の子の体が、急に引きつりました。
「ねえ。どうしたの……ああ!?」
わたしは慌てて、男の子の顏を覗きこみました。
そして思わず悲鳴を上げました。
男の子の銀色の目が、すくんでいました。
それは何かに怯える目でした。
男の子の綺麗な顏が、まるで能面みたいに固まっていました。
その顏から表情と……感情が消え失せていました。
「丘の向こうで、魔法使いのシラセ花火がパチパチ目障り。何があったのかと光と匂いを辿ってみたら、こんなところに逃げ込んでいたのかい……」
女の人の声が、小屋の入口まで近づいてきました。
ギギギィイイ……
入り口の木戸が、軋んだ音をあげてゆっくりと開きました。
「やっと見つけたよルゥ。さあ戻っておいで、あたしの元へ……!」
夜明け前。
もっとも濃さの深まった、宵闇の向こう。
木戸の外のその闇の向こう側に、その人は立っていました。
その人は手招きをしながら、わたしが抱いた男の子にそう声をかけてきました。