夜のギンナン採り
「コータくん……」
わたしは小さく、その人の名前を呼びました。
学校からの帰りでしょうか。
見覚えのある、中学校の学生服。
ツンツンした髪の毛。
クリクリよく動く目。
優しそうな顔立ち。
立っていたのは、小学校まで一緒だった幼馴染の男の子でした。
時城コータくんです。
「やっぱりナっちゃんか!」
「わ、わ、コータくん。どうしてここに!?」
わたしは慌てて手に持った小枝と袋を、自分の後ろに隠します。
なんでそんなこと、してるんだろう。
「取材だよ取材。聞き込みと現場検証。今日も出たらしいんだ」
「出たって、何が?」
「アイツだよ、アイツ。多摩の七不思議の1つ『噴水女』だよ!」
「ファ……噴水女?」
「そう。いろんな公園で、誰もいないはずの噴水の中からいきなり出てきて何処かに消えちまうんだって。公園の噴水でおぼれた中学生の幽霊だって噂もあるけど、普通おぼれるか? そんな場所で?」
あー。
それ、多分わたし。
てゆうか絶対にわたしです。
公園の噴水からこっちに出て来たのは3回目くらいのはずなのに。
一体いつの間に、そんな噂に……。
どうもコータくんは、そういう話が大好きみたいです。
街の噂を聞きつけて、わたしの行き先を追いかけていたみたい。
「今日は一之宮緑地公園から現れて、どうもこっちの方まで歩いて行ったらしいんだけど。ナっちゃんも何か見なかった?」
「み、見てない見てない。知らないですぅ!」
わたしは頭をブンブン振って、そう答えます。
「ふーん、そうか。それよりさ。ナっちゃんこそ、こんな所で何してるんだよ?」
「わ、わたしは……」
そう尋ねて来るコータくん。
わたしは地面に目を伏せます。
もういいや。
正直に言おう。
「集めてるの。イチョウの種を」
「イチョウの種って……銀杏を?」
「そ、そうギンナン。この袋いっぱい。でももう、暗くなってきたし……」
「この袋いっぱい? めっちゃ多すぎだろ!?」
コータくんが、わたしが差し出した袋を見て呆れ顔です。
「でも一体どうして?」
「あ、あのあの……ごはんに使おうと思って」
わたしは、嘘をつきました。
「炊き込みごはん? そんなにたくさん?」
「うん……」
「そうか。しょーがないな。手伝うよ」
「え!?」
「ギンナン取り。その袋いっぱい欲しいんだろ。2人でやれば夜になるまでは集まるさ」
コータくんが地面に屈みこんで、金色の葉っぱをガサガサし始めました。
イチョウの種を集めるのを、いっしょに手伝ってくれるって!
「あ、ありがとう! コータくん!」
わたしも慌てて、地面に屈みます。
あたりに落ちてるイチョウの種を、コータくんと集めはじめました。
「気をつけろよナっちゃん。ギンナンて食べ過ぎると毒なんだぜ。死んじゃうこともあるんだぜ。知ってた?」
「あ、あ、うん……気をつけます……」
「それにしても、この前会ったときは驚いたなあ」
「ごめんねコータくん。いきなり声をかけたりして」
「いーよいーよ。でもナっちゃん、ずっとこっちに居たんだな。小6の頃、急に学校に来なくなっちゃっただろ? 先生に訊いても、何か事情があって引っ越したってだけだし。また会えてスゲーあがるわ。いまドコ中?」
「えーと……ここの隣の……」
「永山一中?」
「そう。ソコだよ。そこそこ!」
わたしは、また嘘をつきました。
小6の頃に行かなくなってから、こっちの世界の学校とは縁がありません。
わたしが住んでいるのは、この世界ではない遠い場所。
お師匠さまのお屋敷です。
そしてお師匠さまがかけた魔法のせいで、この世界で元のわたしの事を覚えている人は、もういません。
叔父さんと、コータくんの2人をのぞいて。
「そうか。まあいいや。やっぱりナっちゃんは変わってるよなあ」
「変わって……るよね?」
コータくんと何年かぶりに再会したのは、1ヶ月前にこっちの世界に来た時でした。
お師匠さまからお休みをもらって、こっちで働いている叔父さんのお店を手伝っている時でした。
偶然お店にやってきたコータくんの姿を見て、わたしは思わず声をかけてしまったのです。
小学校の時とは全然違うわたしを見て、コータくんはビックリした顏をしてました。
だから、わたしが「普通」じゃないってことは、もうコータくんも知っています。
小学校の頃は、一緒に虫捕りをしたり、市営プールで泳いだり、林間学舎を抜け出して山を探検したコータくん。
コータくんは、今のわたしの姿をどう思っているのでしょう。
コータくんは、わたしの事をどう思っているのでしょう。
コータくんに、本当の事を打ち明けたい。
コータくんに、わたしの気持ちを伝えたい。
しばらくの間、2人きり。
黙って種を集めつづけました。
夕日は、すっかり暮れてしまいました。
児童広場に並んだ水銀灯からさしこむ冷たい光だけが、わたしとコータくんにお互いの居場所を教えてくれます。
もう明かり無しで、地面から種を探すのは無理でした。
「あのね、コータくん……」
わたしはコータくんの方を向きました。
コータくんに何かを伝えたくて、声をかけようとした、その時でした。
「よしナっちゃん。ミッションコンプリートだ!」
そう言ってこっちを向いたコータくんが、ニカッと笑いました。
「え……あ……」
わたしは驚きました。
2人で並んで、だまってイチョウの種を集め続けて、どれくらい経っていたのでしょう。
袋はもう、集まった種でいっぱいになっています。
「あ、ありがとうコータくん!」
「なーにナっちゃん。ちょろいちょろい」
わたしはコータくんに、思い切り頭を下げてお礼を言います。
これで今日の仕事はおしまいです。
お師匠さまにも怒られずに済みます。
「大げさだなあナっちゃん。やめろって」
コータくんの言葉に、わたしは頭を上げました。
コータくんと目が合って、2人してクスッと笑います。
感謝の気持ちとなんだかわからない気持ち。
胸にホワホワ、あったかいものがわいてきました。
でも、その時でした。
「コータくん。まだここに居たの?」
児童広場の方角から、女の人の声が聞こえてきました。
「エナ!」
コータくんが、声の方を向きます。
「まったく。ちょっとだけアッチの方も見て来るから、ココで待っててって、いったい何分待たせるの?」
「悪い。悪い。もうこんな時間だったのか。ごめんエナ、待たせちゃって」
コータくんとその人は、お友達みたいでした。
水銀灯の光を背中にして、その人がツカツカとこっちに歩いてきます。
中学校のブレザー。
ツインテールにまとめた長い髪。
キラリと光った眼鏡。
スラッとしたプロポーション。
綺麗な顏の人でした。
そして見たことのある人でした。
1ヶ月前、叔父さんのお店にやって来たコータくんと一緒だった。
コータくんの、カノジョ……!?
「エナ。偶然ここでさ。ナっちゃんと会っちゃってさ。ちょっと話をしていたんだ」
「ナっちゃん? ああ。コータくんの小学校の……」
エナと呼ばれたその人が、値踏みするみたいに、わたしを見ました。
「その服、面白いね。やっぱり自分で作ったりするの?」
「え、あ、あのこれは……」
わたしの服に目を遣って、その人が尋ねてきます。
わたしは地面に目を伏せて、言葉に詰まります。
「女装が好きなんだって? ずいぶん面白い趣味してるのね。学校ではどうしてるの? ねえトイレは? 着替えは?」
「おい、やめろってエナ。そんな風に言うの」
わたしの答えも聞かないで、トゲトゲした言葉を投げかけてきます。
コータくんが、それを止めている。
「フン。まあいいわ。さ、早く帰りましょうコータくん」
「あ、ああ……じゃあ、またなナっちゃん。今度また!」
言いたい事だけ言い終わると、その人はきびすを返して公園の出口の方に歩き出しました。
コータくんも、それを追うようにわたしから離れていきました。
「面白い趣味……ですか」
わたしは自分のペタンコな胸に手を添えて、誰もいない空間にむかってそう答えました。
両手のこぶしに、ギュッと力がこもります。
「……イヤなヤツ!」
自分でも気がつかないうちに、喉の奥から搾り出すような、かすれた声がもれました。
しばらくの間、わたしはその場にうずくまっていました。
「帰ろう。なんだか疲れた……」
わたしはボソリとそう呟きます。
いきなり体が重くなった気がします。
わたしはやっと、その場から立ち上がりました。
コータくんが集めてくれた袋いっぱいの種が、今は重石みたいに思えます。
お師匠さまのお屋敷に帰ろう。
ここには大きな木の洞はないから「転界」は使えない。
池か、噴水みたいな場所を探さないと。
ボンヤリそんなことを考えながら、わたしが公園の出口に向かって歩き始めた、その時でした。
ガチャン!
通りの四つ角のむこうから、何かがぶつかる大きな音が聞こえました。
「エナ! エナ!」
そして、知っている声……いえ悲鳴が聞こえてきます。
コータくんの悲鳴でした。
「コータくん……!?」
わたしは怖くなって、コータくんの名前を叫びました。
音と悲鳴の聞こえた方に、わたしは走り出しました。
#
「そんな……こんなこと……!?」
悲鳴を上げるコータくんの元に辿り着いたわたしは、目の前で起きていることがしばらく信じられませんでした。
歩道に転がっているのは、血まみれの鉄パイプでした。
コータくんが、道端に座り込んで助けを求めていました。
そしてコータくんが上半身を抱きしめて支えているのは、頭から血を流してグッタリとした様子の、さっきの女の人。
コータくんのカノジョ。
エナさんでした。
空を見上げました。
ビルの工事現場の、2階か3階。
放置してあった鉄パイプが何かの拍子に落ちて来たのでしょうか。
パイプのぶつかったエナさんに、意識はないみたいでした。
「ナっちゃん。誰か、誰かの助けを呼んでくれよ! 救急車は呼んだけど。まだこない!」
わたしの姿に気付いたコータくんが、泣きながらそう言いました。
でも。
「…………ちゃえばイイ」
自分でも気がつかないうちに、喉の奥から変な声が漏れました。
「え……?」
コータくんが不安そうにわたしに聞き返します。
消エチャエバイイ……
わたしの耳元で、いつか聞いた誰かの声が、そう囁いているのがわかります。
ゴオゴオゴオ……
耳元で、風の音がしました。
あの日、確かに耳にした。
暗くて、恐ろしい風の音でした。