第7話:友達
目を覚ますと、白い天井が目に入る。
そこは病院だった。
一体、何があったのか。
俺は下腹部の痛みと共に思い出した。
(…………なんで、俺は……生きてんだろ?)
どうやって、助かったかなんて興味ない。
なんで死んでないのか、それが疑問だった。
「…………由愛ちゃん。……起きた?」
気付かなかったが、翼は俺の手を握り見つめていた。
「……つば……さ?」
ほっと、安堵の溜め息を吐く翼。
「…………びっくり、だよ。由愛ちゃん家行くと……その、倒れてるんだから」
翼がはぐらかす気持ちは分かる。
誰だって、あんなもの見たくないだろう。
俺は現金だ。
あんなに自分を否定したのに、今はもうどうでも良い。
多分、死ねって言われたら、何の躊躇も無く死ねるんじゃないかな。
「でも、良かったよ。全部、直るらしいよ。傷も残んないって、先生が」
だから、何なんだろう。
傷が残ろうが残るまいが俺には関係ない。
この体は俺の…………
「ぅ……く……!!!」
口に手を当てて防ぐが意味がなかった。
指の隙間から吐瀉物が溢れ出る。
胃液が喉や鼻を荒らし、勝手に涙が出る。
「っちょ、ちょっと、由愛ちゃん!? 大丈夫!?」
翼は慌てて俺の背中を摩ってくれた。
落ち着く頃には翼がナースコールを押し、医者や看護士が色々やっていったが
俺は既にどうでもよくなっていた。
医師たちが退出し翼が、俺の後始末をする。
その僅かな音だけが響く。
「…………何にも……無くなっちまった」
無意識に言葉に出していたんだろう、翼が振り返る。
「……どういう、意味?」
どうでも、良かった。
姉さんが目を覚まさないというなら、俺が黙っていても
俺の秘密が全部バレても、どっちでも変わらない。
多分心の何処かでは、全部曝け出してしまいたかったんだろう。
俺は翼に今までの事全部話していた。
俺が姉さんを見殺しにした事も、
この体じゃない事も、男ですらない事も、
盗みを働いてきた事も、全部、話した。
短いもんだった。3時間で話終えちまったんだから。
俺が苦労したと思ってた時間がたった3時間、まったく笑っちまうよ。
翼はその間、口を挟む事もないまま、じっと俺の話を聞いていた。
「…………そっか……」
そう言ったきり翼は黙ってしまう。
確かに、こんな重い話しされても困るよな。
今さらながらに気付いても遅い。
翼には悪い事しちまった。
気まずい雰囲気が漂うのを断ち切るように翼は言う。
「それで? ……一体、由愛ちゃんは何を無くしたって言うの?」
俺は調子の良い事だが、全部話してすっと楽になっていた。
だから、翼の問いに抵抗もなく答えていた。
「……全部……だ」
さも、呆れたという風に翼は肩を竦めて見せる。
「全部? 本当に?」
その言葉に自分でも訳が分からないぐらい怒りが込み上げる。
「ッ!!! お前に……!」
何が分かる!
その言葉は俺の肩に少し強く置かれた手により封じられた。
翼は激昂しかけた俺の目を見つめて話掛ける。
「分からないよ。分からない。だから、事実だけを僕は言うね」
諭すようなその声に俺は怒りが、すっと引いていくのを感じ取った。
何故、自分の怒りが引いたのかも分からない。
情緒不安定、そんな言葉が脳裏をよぎる。
きっと疲れていたんだと、そう思う。
「確かに由愛ちゃんは、こっちの世界に来る時に色々無くしたみたいだね」
そうだ……もう戻る手立てすら、ない。
「でもさ、こっちで何も手に入らなかった?」
手に入ったからこそ、辛い。
不安に襲われる。震えそうになる。
でも、翼の暖かい手がそれを押し留める。
そんな中、俺はこれまでをもう一度振り返っていた。
「手に、入ったよね? 大切な人が出来たんでしょ? 無くしちゃいけない日常があるんでしょ? 他にも色々、僕が知らない大事なモノがあるでしょ?」
あぁ、確かにある。
辛かった時も多かったけど、その中で確かに大事なモノを見つけたんだ。
「……でもよ、……全部、俺の手からすり抜けてっちまった」
そう、どうしようも無いほどに。
「由愛ちゃん。言葉を間違えちゃいけないよ。それはまだ、由愛ちゃんの手から零れてないよね? いくつかは落ちちゃったかもしれないけど。まだ、由愛ちゃんの手に残ってるモノが、あるよね?」
鏡花さんの事……だろうか?
でも、そんな事。
生きてても死んでても変わりはないはずだ。
鏡花さんが二度と目覚めないのに、一体何の違いがあるってんだ。
「その零れそうなモノに、由愛ちゃんは何かしたのかな?」
「……したさ。したけど、結局……意味のない事だった」
「……まず、否定するね。意味のない事じゃなかった。それは言えるよ、じゃないと鏡花さんは力尽きてたかもしれないしね」
それは、仮定の話だ。実際は俺が何もしなくても助かっていたかもしれない。
「次に、由愛ちゃんは一生懸命にやったと思うよ。でもさ、こんな所で何をしてるのかな?」
「鏡花さんは由愛ちゃんにとって大切な人なんだよね?」
「……あぁ、そうだ」
「じゃ、ここで不貞腐れてると鏡花さんは助かるのかな? ……違うよね?」
「だからと言って、俺が何をしようと……変わりない」
「それは違うんじゃないかな。鏡花さんは本当に助からないのかな?」
「…………?」
「この病院じゃ、確かに助からないかもしれない。でもさ、それって隣町の病院にも言えるのかな?」
「!隣町に行けば鏡花さんは治せるのか!?」
隣町に行けば鏡花さんは……
そう思いかけた俺に翼が釘を刺す。
「……早とちりしないで。あくまで、仮定の話だよ。」
怒るとかそれ以前にどうっと体の力が抜けた。
「……由愛ちゃん、諦めるのもまだ早いよ。僕が言いたいのは、その可能性を全部由愛ちゃんは試したのかな? って事」
「……可能性を確かめる?」
「うん。隣町の病院に確認を取ってみる、その魔力とやらについて詳しい人に聞いてみる、原因を突き止めて自分で何とかしてみる、色んな方法があるよね?」
……そうなのか?
「いっそ、神様に頼んでみるのも良いかもね? ……っと流石にそれは冗談だけど」
溺れる者は……か。
「……まだ、俺に出来る事があるのか」
「うん。そうだね。こんな所で自分の容姿がどうとか、そんな『くだらない事』を気にしてる暇は、ないよね?」
……くだらない事とは言ってくれる。
多分、翼にそう言っても不思議そうな顔をされて
「だって、由愛ちゃんは由愛ちゃんでしょ?」
ぐらいは言ってくれそうだ。
でも、翼に言われると腹も立たない。
それはきっと、コイツが本当にそう思っているからこそ、躊躇いなく出る言葉。
実際に聞かなくても、それを予想出来ない程に俺たちの付き合いは短くないはずだ。
どころか、自分で悩んでた事すら小さな事に思える。
「……ほんと、なんだかなぁ」
あはは。と小さな笑いまで出てくる。
「……大分、元気が出たみたいだね。一つ、由愛ちゃんにしか出来ない事があるんだけど。試してみない?」
「……今ならどんな方法でも試してやるさ」
「そっか。……ならその前に目を閉じてくれるかな?」
「ん? ……こうか?」
「うん。それでいいよ…………せーのっ!!」
目の前に星が散る、とはこの事だと思う。
「………………」
気が付くと俺は天井を見上げていた。
「少し、すっきりした。男の子なら、遠慮する事ないよね?」
どうも、翼に殴られたらしい。
最近、殴られっぱなしだ。
そして、殴ったはずの翼が手を押さえて擦っている。
俺に気付くと何事もなかったように手を後ろ手に隠すもんだから……。
「…………ぷ。……ははは」
俺は、久しぶりに声を出して笑っていた。
「な! 何が可笑しいのさ」
翼の不貞腐れた表情が再び笑いを誘う。
そのうち笑い続ける俺に翼もつられて笑い出す。
俺の笑い声に翼の笑い声も加わり病室内に笑い声が響き渡った。
笑い声が途絶え、静かになった後も暫くは両方とも喋らなかった。
「……さて、と。……もう大丈夫だね」
「……あぁ。……方法を教えてくれないか?」
「それはね。…………」
翼から聞き出すと、俺は姉さんの病室に向かう事にした。
「んじゃ、行ってくる」
「うん。がんばって」
翼が手を小さく振り見送るのを背に俺は病室を後にする。
ふと、俺は翼に礼を言ってない事に気付いた。
扉の前で立ち止まると、翼を振り返る。
きょとんとした翼が目に入る。
「……翼! お前が友達で、本当に俺は幸せ者だ。……んじゃな!」
照れくさく、そのまま勢いで部屋を飛び出し姉さんの病室まで急いだ。
後ろで、叫ぶ声が聞こえたのは…………気のせいだろう。
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「な! ちょ! 由愛ちゃん! もう一回! もう一回だけ言ってって!!!」
そんな僕の声など聞こえないとばかりに由愛ちゃんは飛び出して行った。
しかし、
「あの照れた表情は永久保存版、確定……だよね」
でも、ナマでもう一回聞きたかった……
暫く、うっとりとして我に返る。
話の流れでつい助言してしまったんだけど。
本来、僕と由愛ちゃんが必要以上に仲良くなるのはいけない。
「まぁ。そんな事、今までも守っちゃいないんだけどね。」
あくまで監視対象だったけど、その垣根を越えて僕は由愛ちゃんの友達になりたかった。
「友達……か」
そんな資格は無いのかもしれないけど、由愛ちゃんの言葉が胸に突き刺さる。
僕はある意味由愛ちゃんは騙している事になるのんだよね……。
僕はさっきまで由愛ちゃんが寝ていたベットに仰向けになりその体を横たえた。
由愛ちゃんの匂いに包まれながら思う。
(でも、まさかリナウンスが来てるとは思わなかったな)
あいつは、由愛ちゃんが保護対象になった事を知ってたんだろうか……
僕と接触する前に、由愛ちゃんに……いや鏡花さんに倒されちゃったからなぁ。
「……複雑だよ。知らなかったとはいえ、お互いに戦う必要性なんてなかったのに……」
僕の預かり知らぬ場所で、何かが起きるのはもう勘弁して欲しいんだけどなぁ。
「…………また、一人。一体この仕事について何人の同士が旅立っただろう」
「神、空にしろしめす。なべて世はこともなし…………か」
呟きが独りでに漏れてくる。
「…………まったく、嫌になるよね」
僕らの日常に関係なく日々は流れ行く。
遅すぎず、速すぎず、淡々と時間は過ぎていく。
「はぁ、少し……疲れたな」
僕は優しい匂いに包まれながら意識を手放した。
お読み下さりありがとう御座います。
今回、由愛はこのような形での立ち直りとなりましたが、これは全ての人に当てはまる訳ではありませんのでご了承を願います。