第10話:由愛の夢
辺りを見渡すとグラウンドや校舎、体育館などが見えた。
(…………学校……か?)
しかし、俺の知るどの学校にも当てはまらない。
遊具がある事から小学校か中学校ぐらいだと見当を付ける。
一見普通に見えるその建物達も、どこか歪な玩具を想像させる。
なにせその殆どが『途中でなくなっている』のだから。
俺の目がおかしくなった訳ではない。
その証拠に真後ろの校門を振り返り見る、
そこには『校門しか存在しなかった』
普通、その向こう側に何らかの景色や風景が見えるはずなのに。
まるで子供が書いた絵のように校門以外は黒い靄で覆われてしまっている。
好奇心に動かされてその靄に手を入れると、
何の抵抗もなく俺の手が飲み込まれ、靄の向こうに『消えていく』
慌てて引き抜くと何の変哲もない己が手が、そこにはあった。
高鳴る鼓動と、手の震えを落ち着けるのに、俺は深呼吸をしてもう一度良く辺りを見渡す。
(…………見るまでもない、か)
確かに見るまでも無かった。
他の殆どの建物が欠けている中、唯一体育館だけはその姿を残していた。
そして、その体育館を中心に球を描くように建物が広がり、
そこを少しでもはみ出すと、そこから先は靄となっている。
靄の先がどうなっているのか分からない。
けどそんなのは後で考えればいい、今は姉さんを連れ戻す事だけを考えよう。
そう考え俺は体育館に向けて歩き出した。
……いや、歩き出そうとしたら、思いっきりコケた。
「ッ!!!」
(……いっ……たー……? ……くない?)
ある程度は痛かったんだが想像していた痛みより遥かに軽い痛みに驚いた。
服に付いたホコリを払おうとして二度驚く。
(胸が……ない?)
元々、言うほど無かったとはいえ、これはあまりにも……
(まるで、男の胸みたいだ……)
と自分の胸を弄っている手を見て三度驚き、そして一つの仮定を考えた。
「……戻ってる……のか?」
低い声が懐かしく、嬉しい。
感覚的な違いがあるのか歩くのに少しふら付いたが、直ぐに慣れた。
いや、戻ったのか?
自分の顔も見ておきたかったが近くに鏡がないので断念する。
しかし、何故戻っているんだろうか?
(姉さんの夢なら、俺のこの姿を知っている訳はないし……)
……いや、一度は見たのかもしれないが、それが俺だと分かったのか?
それとも、俺の夢でもあるのか?
訳分かんねぇ。…………無事に帰ったら翼にでも聞いてみる事にしよう。
その後は真直ぐに体育館に向かった。
中は静かで靴のままの俺の足音が辺りに木霊する。
真ん中付近まで来てようやく気付く。
電気も月明かりもないのに、周囲が良く見えるのはどういう事か。
そして、気のせいでなければ
(この靄……小さくなってないか?)
俺の周囲には靄があり、今度は倉庫を中心として出来ていた。
(……選択肢は、なし……ってか。……上等)
俺は倉庫の前で立ち止まり耳を澄ませて中の音を聞き取ろうとする。
「……」
「…………」
「………………」
「……………………」
「……………………………」
しかし、中から返って来たのは『沈黙』だった。
異様だ。
中から人の気配はするのに、防音すら無さそうな、この倉庫の中の音を拾えないなんて。
嫌な予感がヒシヒシと背中を伝って来る。
俺は意を決し、扉を開くと中に入る。
そして、中の状態に驚いた。
そこには『何も無かった』のである。
四角く切り取られた箱の、その内部にいるかのようだ。
中を見渡し、壁を叩いたり、魔術をぶっ放したり、暫く待ってみたりもしたが、部屋に変化はなかった。
一度、外に出ようと入って来た扉を振り返ると、そこには鎖で幾重にも巻かれ『施錠』された扉があった。
(…………いつの間に。)
とにかく、外に一度出ようと、俺は扉ごと吹き飛ばすつもりで魔術を撃った。
しかし、扉どころか鎖にすら傷の一つもつかない。
(……閉じ込められた……か)
俺は傷も付かないその鎖を手に取り調べようとした。
じゃらり…………
その音は引き金。
後から翼に聞いた話よるとこの時どうも、
『俺の世界と姉さんの世界が繋がった』
らしい。……やっぱ良く分かんねぇけど。
「くすくすくす。まだ、ねちゃ駄目、だよ?」
声に後ろを振り返る。
そして目に飛び込んで来る。
紅く 、 赤い 、 朱の、鮮血という名の乱舞。
アカく咲いた鮮血の華。
その中に一人立ち尽くす少女の姿。
右手に異形、左手にパイプ、顔に笑い、足元に肉塊。
その少女が振り返る。
俺は気付いた。どれだけ変わっていようと、これが鏡花さんだという事に。
だから、周りの事なんて全て無視して言った。
「……姉さん。……帰ろうか」
衝撃は唐突に訪れた。
これで、帰る事が出来る。
そう安心していた所での破砕音。
半ば反射的に横へ飛び退いて直撃を回避するも、
服と、その下の皮膚の一部が持って行かれた。
そこから血が滲むと、それと同時に嫌な汗が噴出す。
そして後ろから聞こえる轟音。
振り返ると、壁に異形ごと突っ込んでいる鏡花さんがいた。
まるで、カラクリ人形のような不自然な動作で起き上がりこちらを見やる。
その顔は右の目の部分が潰れており、傷が脳に達し破壊されてしまっているのが、
ここからでも良く分かる。
動ける事自体が不可思議だ。
そんな状態なのに、鏡花さんの口は…………笑っていた。
(……理性さえ無くしてしまってるのか?)
「鏡花さん!!! 俺だ! ……由愛だ!」
俺の叫びに対する反応は、一つ首をかしげた事と再びの特攻。
今度は難無く回避するも、その風圧で髪の毛が空を舞う。
一方、鏡花さんは男達の血糊で足を滑らせて、その勢いのまま男達を巻き込み再度壁に激突した。壁が崩れ鏡花さんが下敷きになった。
慌てて俺が助けようと近寄ずくと、瓦礫の隙間から見える異形と目が合う。
その目に籠められた負の感情に、俺は思わず一歩下がった。
瓦礫の山の中から音がするので、生きている事だけはわかる。
(……この『場』においては鏡花さんは大丈夫そうだな)
そう判断出来た。
それにしても、
(…………いつも、鏡花さんはこんな悪夢を見ていたのか……)
魔術で人を害した者が受ける罰。
魔術という見えないものを使うからこその罰則。
加害者は最も見たくない現実を夢という形で定期的に見せられる。
それにより、魔術を行使する事に精神的な枷を嵌める。
しかし、魔術協会の人間は気付いているんだろうか?
悪夢が『増幅する人がいる』という事に。
この現状を見れば一目瞭然だ。
なにせ、鏡花さんは過去に男達の誰一人として体に『傷をつけていない』のだから。
それなのに、この惨状。
当たり前だ。
夢は映像を記録・再生するだけじゃない。
脳が勝手に『修正』を加えていくのだから。
それは知識が増せば増すほどに変化も大きくなる。
変わらない点は男達にイジメを受けたという事と、魔術を行使した事。
……それと『姉の死』というイメージ。
それらが断片的に頭に流れ込んでくる。
ケタケタと嗤いながら起き上がる鏡花さんは、とても歪で
俺は、とても悲しい。
「……死んじゃえ!」
その言葉と共に放たれるエネルギーの塊。
尽きる事なく、枯渇する事なく俺に降り注ぐ。
「きゃははははははははは!」
鏡花さんから、負の感情が流れ出し、俺の心に土足で踏み入ってくる。
悲哀 憤怒 不安 悔恨 苦痛 寂寥
猜疑 恐怖 嫌悪 欺瞞 憎悪 落胆
嫉妬 殺意 悲嘆 怨嗟 焦燥 絶望
悲哀は呟く、
<どうして俺が……>と。
憤怒は押し殺す、
<まだ、まだ足りぬ>と。
不安はつきまとう、
<あなたはそれでいいの?>と。
(…………入ってくるな)
悔恨は思う、
<なぜ? どうして、私だけ>と。
苦痛は叫ぶ、
<いたい、いたい、いたい>と。
寂寥は求める、
<ひとりはイヤ、ひとりにしないで>と。
(…………違う)
猜疑は囁く、
<信じるな、アレもコレもソレも全てが嘘だ>と。
恐怖は湧き出でる、
<やめて、こわい……いっそ殺して>と。
欺瞞は淡々と言う、
<偽れ、騙れ、そうしないとお前が騙されるぞ>と。
(…………五月蝿い)
憎悪は沈む、
<赦すな、例え死んでも憎め>と。
落胆は肩を叩く、
<期待するな、どうせ無理だ>と。
嫉妬は傲慢に欲張る、
<あれもそれもこれも無い、僕も欲しい>と。
(…………黙れ)
殺意は突き刺さる、
<潰せ、壊せ、抉れ、穿て、殺せ!>と。
悲嘆は嘆く、
<もうよしてくれ、我が何をした?>と。
怨嗟は後から後からやって来る、
<貴様だけ何故今も生きている?>と。
焦燥はただ急かす、
<速くしないと、早くしないと>と。
(………………)
そして、何より大きな絶望は
<………………………………>
何も言わなくても解かるだろうと黙る。
間一髪で回避していた攻撃は次第に速さを増し、俺の体を傷つける。
皮膚を破り、肉を裂き、骨を砕こうと鋭さを増す。
痛みは無い。かえってその事が不気味だ。
それでも、俺は思う。
(……だから、『どうした?』)
俺は絶望しない。
(だって、そうだろ?)
目の前で家族が、大切な人が『泣いている』のに
希望を与えてくれた人が『助け』を求めているのに
絶望しているなんて、そんな『暇』は俺には、無い。
そして想う、
(今まで、鏡花さんが居てくれたように、今度は俺が)
今、願いよ届け、
(……大切な人を支える力になる!!)
そして、俺は避ける事を止めた。
お読み下さり有難う御座います。
前の修正ですが、書き方を変えただけです。
あまり気にしないでくれて構いません。