悪魔のプレリュード
「あー……失敗したっすねえ」
とある地下施設でエアはめんどくさそうに頭を掻きながら歩いていた。
目指す先は彼の所属する施設の通信室。
上司に失敗の連絡だけしようと思い、その部屋へと向かっていた。
絆を捕まえる予定のはずが捕獲対象の一人である雅に遭遇し、【超越者〗のせいで逆にボコボコにされてしまう事態に陥ってしまった。
朝に関しては、雅を倒せる自信をつけたようであるが注意をしておいた。
(戦闘能力は【神託力】とかだけじゃなくて、武術や精神力も左右することをあの坊ちゃんはしらないんすかねぇ)
朝にしばらくは自重するように諭したので、大丈夫だと思いたいエアである。
戦闘のセンスはなくはないのだが……
「ガチの主人公クラスには及ばないっすからねぇ、彼」
朝は計画のために必要な人材ではある。
だからこそ絆の保険代わりに用意した戦力なので充分と言えば十分なのだが。
とは言えども、ミスはミス。
絆の鹵獲失敗の報告を行おうと通信室の部屋を開けた。
「戻りましたよ~。って……ん?」
その瞬間にエアは違和感を感じた。
いつも見慣れたオペレーターたちが働いており、シンプルな色にそろえられた通信機材。
どこにもおかしい点はない。
だが、エアは勘を信じて周囲を念入りに警戒する。
「……そこっす!!」
エアはおもむろに近くにあったペンを掴むと、違和感がある方向へと投げる。
投げた方向には業務を行う一人の女性職員がいた。
投げたペンは、女性職員に寸分たがわず命中するはずだった。
「……なるほどね」
エアは額に汗を浮かべながら、予想とは違う結果に生唾を飲んだ。
しかし、その直前に他の職員が体を挺して防いだのだ。
腕にペンが深く突き刺ささっているが、防いだ人物は一言も発しなかった。
普通は痛みで悶えてもおかしくないほどの傷だ。
特に痛みに慣れていないような室内職員が堪えることが出来るとは思えない。
その職員の目は虚ろで、感情は全く籠っていなかった。
エアは額に汗を流しながら、微動だに動かなかった女性職員に向けて声をかけた。
「あんたが……『洗脳』か。趣味がすげえ悪いっすね」
「あら、動じないのが調査員の貴方じゃないのかしら?」
「……帰ったら、全員が操られていたなんて考えたくないっすよ、普通」
「それは残念」
女性職員は来ていた職員上着と帽子を脱ぐと、妖艶にほほ笑んだ。
見た目は長い黒髪を腰まで伸ばして、ポニーテールで括っていた。
小さい唇に優し気な笑みを浮かべる様子はまるで天使のようであった。
スタイルも抜群に良く、10人中8人は振り返るぐらいの美人だ。
一見するとキャリアウーマンにしか見えない。
だが、これが外面だとエアはすぐに見抜いた。
眼光は鋭く、話し方には棘が見られたからである。
ある意味では悪魔ともとれそうな印象を持たせるほどだ。
「初めまして、貴方の援助に来ました隠野若菜と言います。よろしくお願いします」
「エアです……よろしくっす」
若菜の自己紹介にエアは背筋に寒気が走った。
それは『恐ろしい』ではなく、『気持ち悪い』と感じた。
なぜなら職員を人を見る目でなく、物のように見ていたからだ。
◇◇◇
エアはとりあえず職員全員の洗脳を解除してもらい、怪我した職員を治療する。
その後、応接室で若菜に作成済みの計画書とコーヒーを出した。
エアは微妙そうな顔で若菜に話しかける。
「上の方と相談したかったのですが、大丈夫っすかね?」
「まぁ、その程度のミスならば寧ろ餌として活用できる範囲でしょう。絆を呼び出す朝を効率よく見せれただけマシです」
「……分かったっす」
若菜がコーヒーをすすりながら、そう答えた。
エアの心境としては、上司たちと相談して検討を測りたかったのだが、若菜が不要というのでやめることとした。
無論、ミスを隠し通せるならば良いことではある。
しかし、若菜を信じることはエアにはできなかった。
むしろ敵対したのに今話し合っている事すらもエアはしたくなかった。
初期対応が違えば、もう少しマシだったのだろうが。
「ふむ。些か戦力不足のようですね」
エアの計画書にザッと目を通した若菜はそう感想を残す。
(当たり前っすよ。下っ端にいる俺が持てる戦力なんて、スカウトしたメンバーぐらいなんすから)
エアが内心で毒づくと、それを読んだかのように若菜は再び口を開いた。
「ですが、私の〖原罪〗で兵力は幾らでも作成ができます。ただ、前回ほどの規模を起こすと身バレする可能性がありますからね」
「前回ほどの規模って……」
隠野若菜と言う人物は『洗脳事件』と呼ばれる事件の本当の首謀者である。
〖原罪〗による人々の洗脳により、日本を恐怖へと陥れた張本人。
さらには『洗脳事件』は世界のニュースになるほどのテロ事件だった。
多くの民衆を扇動し、国の機能を一時的に停止させるほどの大事件。
そんな軽く数万人を動かす〖原罪〗を使う、と暗に言っているのだ。
前回ほど容易に引き起こすことはほぼ不可能であろうが、近い範囲のことならばやりかねない。
(気が狂ってやがるっすよ、コイツ)
自身のことも大概と考えているエアにとっては
そんなエアの心の中は他所に若菜はテキパキと資料を作成し始める。
「ま、絆を捕まえることに関しては私にお任せください。当然、成功させることは容易でしょう」
「……」
「上司の機嫌を損ねることは貴方もしたくないでしょう?私も同じです、だから手伝ってあげるんだあから感謝ぐらいしてくれてもいいですよ」
「……は?」
若菜は事前に用意していた資料と今の場で即興で作成した資料をエアに手渡す。
エアは紙に書かれている情報に唖然としてしまう。
「若菜さん、あんた一体何を―――――――」
「何を、と仰いましたか?」
若菜はエアの言葉に凄惨な笑みを浮かべながら答えた。
「―――――――世界への売り出しですよ。この隠野若菜という最高の人材のね?」
若菜はエアの驚く様子を楽しみながら、施設を出ていった。
今ここに最凶の詐欺師が動き始める。




