狂う月
全ての種火となったのは錦国立病院と呼ばれる病院での患者の精神異常であった。
最初は病院関係者たちも病院の生活や不安から起こるものだと思われていた。
精神安定剤やカウンセリングを行うことで軽減を図れるという方針で進めていた。
しかし、症状は良くならず、むしろエスカレートし始めた。
患者たちが他の患者や医師への暴力行為などが認められるようになった。
国の方でも対応策を練ろうと重い腰を上げた。
いや、上げようとしたときには全てが遅かった。
『洗脳』された人たちによって暴動が開始されていたのだ。
「この病院はね、【神託力】が原因で起こる病気の人の研究と治療を行う施設だったんだ。しかも暴れ始めた人たちは出力とかだけを見れば単純に≪英雄≫って呼ばれる人たちと変わらないほど強かったらしいんだ」
「確かに言われてみれば」
絆の言葉に雅は納得する。
雅が相対した操られた一般の人たちの中には飛びぬけて強い人もいた。
黎人が抑え込んでいたからこそ、何とかなった部分も多い。
だが一つ疑問点が残った。
雅たちも後から錦国立病院がその類の施設だと後で知ったのだ。
普通ならば、絆もこの情報を知っているはずがないはずだ。
とある条件を除けば。
「もしかして、それを知ってるのって」
「そうさ……ボクもここにいたからさ」
「そういうこと、か」
雅の頭の中で少しだけ記憶のピースが合致する。
この場所は、数年前に絆と雅が出会った場所だったのだ。
まだお互いが完全な他人だった頃に。
「ボクは誰よりも病弱で虚弱だった。あの部屋の中でしか生きていくことができないほどの、ね」
隅っこの病室を指さすと、寂しげに言う。
「ボクは夢想型心臓収縮症っていう病名で2,3年ほど入院してたんだ」
「なにそれ?」
「簡単に言えば、自分にストレスがかかりすぎると心臓が上手く動かなくなってしまう病気らしいんだ。【神託力】の規格が強い人ほどかかりやすいんだって」
「なるほど」
雅は合点がいった。
原罪使いに対して、能力のみで圧倒していた絆ならばあり得る話である。
彼女自身も【神託力】の強さがずば抜けているためだ。
「他の皆には内緒だけど、昔は毎日が不安で怖かったんだ。家族を亡くしてから、僕は一人だった。例え友達がいても、義理の家族がいても孤独感は消えることはなかったさ」
いつもの快活な笑顔でポジティブなことしか言わない絆らしくない発言だった。
重い話が絆の口から出ること自体が雅にとっては信じられないほどである。
……いや、むしろ今の方が無理をしているのかもしれなかった。
絆はそんな雅の気持ちなどしらずに話を続けた。
「さらに病状は悪化して、ボクの余命も数ヶ月のところまで縮まった日に『洗脳事件』が起きた。誰もが怖がるあの事件がね。」
茶化すような言葉にすら、雅は重みを感じた。
「ボクは『病気で死んでも仕方ない』ってあきらめてた癖に、いざ死を前にすると怖くて病院中を駆けずり回った」
今でもその時の恐怖が忘れられないのか、腕が微かに震えていた。
「でもまぁ、体力が無いボクは一瞬で追い詰められた。結構あっさりとね」
当たり前の話だろう。
何か月もベットの上にいた少女がたった一人で動き回るにも限度がある。
精々1,2時間動くのが限界であろう。
「その時にさ、ここで人生が終わるんだなって思った。これがボクの終わりなのかって」
雅が黙ったままでいると、絆は振り返らずに静かに続けた。
もう腕の震えは完全になくなっていた。
「でも違った。キミが助けてくれた。雅が身を挺して守ってくれたから、ボクは今ここで生きている」
「他の英雄たちも来てたから、絶対助けられていたと思うけどな」
「いや、雅以外じゃ絶対に『生きよう』と思わなかった」
雅が絆の言葉を皮肉気に返すが、絆は即座に否定した。
「……なんでさ?」
「それは――――――」
絆は少しだけ言葉を詰まらせた。
しかし、はっきりと答える。
「君が『強い人』ではないからかもね」
「弱いってことを言いたいん?」
「まさか。英雄ほどではないって言いたいだけだよ」
「……」
同じ意味じゃないか、と雅が無言で睨むと絆は苦笑する。
「そんな怒らないでよ。ボクも『英雄』っていう存在になれなくても、君みたいな、誰かを守るヒーローになれるって思ったのさ」
「ヒーロー?」
ヒーロー。
それは子どもたちの夢であり、正義の味方でもある英雄たちの象徴である。
そんな存在になりたいのだと絆は平然と言いのけた。
さらには雅が目標であるかのようにも言った。
「それがボクの不安を取り去ってくれて、さらに目標ができたんだ」
困惑する雅をほっといたまま、絆は言葉を続けた。
「君に追いつく、そして隣に立てる日を待ちわび続けてたんだよ」
そういう絆の後ろ姿は、白馬の王子様に恋焦がれた乙女のようにも師匠に追いついたやんちゃな弟子のようにも見えた。
「今がその時だと思って、打ち明けたんだ」
「……絆」
「もう二度と出会う機会がないから言わせてもらうよ」
絆は雅へと振り返ると、真剣のそのものの顔で頼み込む。
「ねぇ、雅。ボクの相棒になってくれないかな?」
「―――――――」
何の恥じらいもなく、純粋に一緒にいたいという気持ちがヒシヒシと雅に伝わってきた。
悪意も企みもなく、雅に対して恋心を抱いている可能性も0だ。
(ほんとに何度絆に重ね合わせてしまってるんやろなぁ)
実際、雅の心の中は穏やかではなかった。
彼女の取る行動の一つ一つがティアの行動に酷似していたからだ。
自身の後悔とトラウマが抉られているようなものなので、仕方ない部分があるかもしれないが。
特に今の絆の言葉は全くそっくりだった。
『雅、私はお前を相棒に選ぼう。拒否は許さん、肯定だけしてもよいぞ?』
ティアの場合は、完全な上から目線で拒否されることなど微塵も考えさせない高慢な態度だった。
その後、雅はティアのパートナーになったのだ。
彼女の盾であり、隣に立てる右腕として。
ちなみにあまりに態度が大きかったので、ティアの相棒を二度蹴っていることは秘密である。
「……」
「や、やっぱりすぐには決めれないよね!!」
絆は雅が突然の事態に困惑しきっていると勘違いしたのか、かなり慌てていた。
『一緒にいてほしい。』という言葉はあまりに場違いだと思ったのだろう。
しかし、そんな理由ではない。
「僕は……」
雅が返答をしようと顔を上げる。
その瞬間に雅は殺気を同時に感じた。
「ッ」
場所は分からなかったが、殺気を放ったのは目の前の絆ではない。
とりあえず絆の手を掴んで体を引き寄せた。
その瞬間に小さい音ともに絆に何かが掠っていた。
「絆、動かないで!!」
「え?」
それと同時に絆の背後に長剣が迫っていた。
雅は【全能力制御】で腕を強化すると、片手で剣を受け止めた。
「うりゃあああああ!!」
そのまま剣ごと敵を腕力だけで投げ飛ばした。
ポンチョを被っていた人物はそれだけで、病院の向かいの建物に叩きつけられた。
「壁にちょっとのめりこんでるけど大丈夫かな…?」
「その前に自分の危険に気付くべきやけど!?」
絆は自分が殺されそうになったにもかかわらず、相手方の心配をしていたので思わずツッコミを入れてしまった。
これが絆がマイペースなせいなのか、それとも慣れっこなのかは謎である。
それはともかく、かなりの勢いだったにもかかわらず、すぐにポンチョは立ち上がった。
「ざっけやがって……なんで反応できんだよ」
悪態を吐きながら、雅を睨む。
睨みを軽く流すと、雅は大きくため息を吐く。
「……こんな場所で気を抜く方が難しいわ。不意打ちぐらい、よくある話やしな」
「チッ」
「さて、いきなり攻撃してきた訳をはなしてもらおかな?絆がめっちゃ危なかったみたいやし」
雅が拳を鳴らしながら、喧嘩腰でポンチョに近づいた。
ちなみに絆は急な展開についていけないみたいで硬直したままである。
雅は軽く絆の頭を叩いた後、ポンチョマンを挑発した。
「それに今の感じやと、僕と戦っても互角程度みたいやしな。いつでもかかってきてええよ?」
さっき剣を弾いた感触から、本気の一撃でないとしても≪防御特化≫を超えられない時点で力量がある程度わかった。
常に格上と戦ってきた雅にとっては物足りないほどだ。
「ああ、クソ。アイツの言う通りかよ!!」
ポンチョは顔をしかめながら、苦々しく後ろに下がると同時に叫ぶ。
「軟派野郎!時間を稼げ!!」
「了解っスよ」
入れ替わるように、雅たちの前に同じ背丈ぐらいの少年が一人現れた。
追撃しようとした雅は一旦立ち止まり、増援に対して思わず舌打ちする。
「また敵増えたし……!!」
「いやいや、俺は手出さないっスよ?代わりに―――――」
後から現れた少年の後ろから数多の数の純白の機械人形が現れた。
「俺たちの≪無垢機兵≫たちが相手してくれるっスよ?」
「ッ……絆、構えて!!」
雅はそう叫ぶと【全能力制御】を瞬時に発動させた。
その瞬間に100を超える機械人形が予備動作なく、雅たちに襲い掛かった。




