Ⅲ
「………お父さん、眠い。膝枕して」
上の息子が普段では言わなそうなことを言ってくる。その前に、子供にするならまだいいが、いい大人に膝枕をするのは見栄え的に良くない。
成人祝いに酒を飲ませたら、今のように甘えてきたし、顔を見ると、顔が真っ赤なので、酔っているということが分かる。俺の一家は酒に強いが、サーシャは酒が弱い。おそらく、サーシャの遺伝によるものだろう。
だが、息子はお酒を飲んでいない。ただのシュースを飲んだはずだ。おそらく、この飲み物に酒が混入していたのだろう。
「………お前、その飲み物に盛ったな」
そんなことをしそうな犯人は一人しかいない。
「盛ったとは人聞きが悪い。美味しくお酒を飲めるように、ジュースで薄めてあげただけだ」
その犯人は悪びれた様子を見せずにそう言ってくる。こいつのことだから、酒が弱いことを知って、息子に飲ませたのだろう。昔からだが、相変わらず性格が悪い。
「甘え上戸だって聞いたから、どんなになるのか気になるものだろ?」
こいつはそう言って、笑みを浮かべる。こいつの情報収集能力や情報操作能力は桁外れだ。欲しい情報があれば、すぐに持ってくることができる。話によると、こいつはこの国の諜報機関に属し、ルーフェル王国の情勢から機密事項まで集めてくるらしい。
先代があのまま戦争を続けていれば、ルーフェル王国はこの男が仕掛けた罠に嵌まっていただろう。だが、奴がそれに気づき、間一髪であの国の崩壊を食い止めたようである。
白虎がこの国に協力し始めてから、奴と情報戦を繰り広げていたようである。今でも、その攻防が続いているようである。おそらく、互いがくたばるまでやっているだろう。はっきり言って、付いていける話ではない。
とは言え、俺がルーフェル王国に住みつき、妻と子供と一緒に暮らしているということをこの国は勿論、ルーフェル王国にばれないように情報を操作してくれたのは奴と白虎だろう。あの“眠れる龍”が俺のことを知らずに、息子を宮廷魔法使いに雇ったのがいい例だ。そこだけはあの二人には感謝している。白虎はとにかく、奴がそんなことをしてくれたのかは謎だが、おそらく、奴らの共同作業は俺の存在の隠ぺいだけだろう。
「………本当に、お前はそう言った情報を得ているんだ?」
この男の情報網はどうなっている?
「それは企業秘密だ」
白虎はあくどい笑みを浮かべる。
「まあ、そんなことよりも、お前の息子はいろいろな連中に狙われてんぞ?あの眠れる龍は勿論、教会も狙っているそうだ。中でも、執行者の一人“鏡の中の支配者”が画策しているという話も聞くが、聖焔も注目し始めているという話だ」
俺はそれを聞いて、眉を顰める。
執行者。裏の抹殺屋。奴らには何回か会ったことがあり、戦ったこともある。そして、その頂点にいる奴と殺し合いをしたこともある。
俺はあの組織と敵対しかしなかったが、息子達は何故かそんな組織と友好関係を築いている。そいつらは俺達の村に遊びに来たり、目の前で息子達を誘拐して行ったり、挙句の果てにはあの村に住まわせている。俺の息子がおかしいというよりも、あの少女の頭がぶっ飛びすぎなのかもしれない。
「もうそれはどうすることもできないだろう。どうやら、あいつの周りを飛んでいる不幸を呼ぶ鳥が至る所で漁ってきて、トラブルを運んでるみたいだからな」
眠れる龍はとにかく、教会の方はあの少女が持ってきたものだ。
「………その言い方は酷いです。彼が不幸になっているのを、私が喜んでいるように聞こえます」
私はそんな悪女ではありません、と青髪青眼の少女が姿を現す。縄を持ったままのようで、探し人は捕まえられなかったようだ。
「……帝王とやら名乗っている赤毛の男は見つからなかったのか?」
「はい。周辺にいると思ったのですが、彼の目撃証言はあまり得られませんでした。誰かが情報操作しているようです。困りました」
今回こそ、彼を捕獲しようとしました、と青い鳥は悔しそうな様子を見せる。
「………“帝王”?執行者がここにいるのか?もしかして、黒犬が話していた赤毛の青年が帝王か?」
白虎が眉を顰める。
「恐らく、そうだと思います。彼が会ったと言っていたので、貴方も会っていると思います」
「あのスパイ野郎共、この国にノコノコやってきて、何の用だ?」
白虎は難しそうな表情で言う。スパイ野郎と言うが、それは正しくはないだろう。あの国と教会は利害一致しているから、手を組んでいるだけであって、この国を守ろうとする意思はないだろう。
「………まさか、お前、ルーフェル王国に何か仕掛けようとしてるんじゃないのか?」
流石の教会も協力関係のあるあの国が狙われていると知れば、助けにはいるだろう。
「あの国の技術力《魔法》は魅力的だが、今は立て直しをしている最中だ。手を出すわけがないだろ」
今は、か。それはいつか手を出そうとしているということの裏返しだろう。
「………黒龍は好きじゃありませんが、あの国や国王、そして、姫様は好きなので、一応ご忠告しておきます。先代の時のように簡単にそっちの思う通りに行くと思わないで下さい。眠れる龍は勿論、国王はキレ者です。ご注意を。白風」
「………それは親切にありがとうと言っておくかな。よくその名前を知ったな?」
朱雀達ですら、その名前は知らないはずだが、と、白虎は鋭いまなざしを青い鳥に向ける。
「彼なら、青い鳥マジックと言うかもしれませんが、裏はあります。一応、私は貴方のお得意様です。知っていても、おかしくはありません」
青い鳥がそう言うと、白虎は驚いたような表情を浮かべると、急に笑い出し、
「まさか、君がバードか。こんな形で会うとは思わなかったな。君とは運命を感じるな」
「私もです。まさか、貴方のような人間がゲンおじさんと知り合いだと思いませんでした。この機会ですから、お礼を申し上げます。貴方のお陰で、再生人形と帝王に会えました」
「ほう。何で、あんな情報を知りたがるかと思ったが、まさか、それに逢うだけの為、とはな。まあ俺には関係ないことだから、金さえもらえれば、どうでもいいんだがな。お前の息子のあんな姿も見れたことだし、そろそろ、俺はここでお暇させて貰うかな」
二日酔いになったら、飲ませてやってくれ、と俺にとある粉薬を渡すと、姿を消した。
「………お前、よくあいつの裏の顔を知っていたな」
俺は長い付き合いだから知っていたが、この少女はあいつと面識がないはずである。それは白虎本人もそのように言っていたから、間違いない。
「彼のことを知ったのは偶然です。友人の情報が欲しくて、知り合いの情報屋を経由して、彼を知りました。知り合いの情報屋で分からない時は彼に頼みます。ですが、彼の情報料は高すぎです。今度、知り合い割引してくれないかと思っています。それよりも」
青い鳥は俺の膝を枕代わりにしている息子を見て、
「彼がお酒を飲んだのなら、私に教えてくれないのですか?」
私が膝枕したかったです、と少女は言う。
「そうか。今度、飲んだら、教えよう」
まあ、今回のように、無理矢理飲ませないと、飲もうとしないだろうが。
***
あの後、俺達が一回りして朱雀さんの家に戻ると、疲れ切った親父とピンピンとしている青い鳥がいた。
皇帝陛下の元に連行されていった親父は皇帝陛下に揉まれに揉まれたらしい。一方、青い鳥はその間に朱雀さん達と訓練場に行き、そこに飛び入り参加したそうだ。そして、練習試合で俺達の国の貴族ばかりの宮廷騎士とは違い、優秀な武人が集まっているというのに、あいつは十人切りをしたそうだ。
あいつの実力にはいつも驚かされる。あいつは何処まで成長すれば気が済むのだろうか?
それには青龍さんも黙っていることもできず、青い鳥と青龍さんが対決したそうだが、勝負がつかなかったそうだ。青龍さんはこの国で一番強いそうなので、青い鳥が勝てるはずがない。本人曰く、もう少し長引けば、確実に負けていたそうだ。『私と彼ではまだ実力差がありすぎます。もう少し力を付けないと、勝てません』とも言っていた。
あいつは“負けない戦い”を得意とし、自分より上の実力を持つ“翡翠の騎士”相手でも引き分けに持っていくことができた。それはあいつの観察眼と洞察力の賜物かもしれないが。
「………なあ、親父」
夕食後、我が家にいるかのように寛いでいる親父に声を掛ける。ちなみに、青い鳥はと言うと、帝王を市場で見た、と言ったら、縄を持って出て行ってしまった。スノウもご飯を食べたら、満足そうに我が家に戻っていった。
「どうして、親父はこの国を出たんだ?」
この国で何をしていたのかも気になるのだが、その話題をすると、余程俺に教えたくないのか、すぐに話をすり替えてしまう。その為、ユアンスを変えて尋ねると、
「………どうして、この国を出たか?か。もともと、俺は根なし草だ。別に、この国にいる理由がなくなったから、出たに過ぎない」
どうやら、彼は俺の故郷まで流れ着くまでに点々と旅してきたそうだ。
「この国に来るまで、白虎さんと一緒に旅をしてきたのに?」
「………あいつはそんなことを言っていたのか?確かに、あいつとは何だかんだ言いながら、旅をした。俺にしては、あいつとは長くいた方だろう。別に、俺達は一緒にいたのはお互いに利用できたから、そうしていただけで、あいつがそこに残りたいから残り、俺は出たいから出たに過ぎない」
白虎さんの言っていたことは事実のようだ。
「朱雀さんと青龍さんも、旅している時に出会ったのか?」
白虎さんがそうなら、朱雀さんもそうかと思うと、親父は横に振り、
「あいつらは違う。俺がこの国に来た時、青龍が俺の食料を奪おうとしたから、返り討ちにした」
その言葉に、俺は驚きを隠せなかった。礼儀正しい青龍さんがそんな盗人の真似をするとは思えなかった。
「あの時はルーフェル王国と戦争していたから、今より貧しく、難民で溢れかえっていたからな。あいつらのような親なしの子供が生きていくには盗人のようなことをして生きていかなければならなかった状況だ。あいつの行動は許せるものではないが、仕方のないことだったのかもしれない」
親父はそんなことを言ってくる。この国は今、とても豊かになったが、20年前はとても貧しい国だったという話を聞いたことがある。だが、そこまで貧しかったとは思わなかった。
「子供とは言え、このまま育ったら、ろくな大人にならないから、お尻百叩きしようとしたら、朱雀が出てきて、自分が代わりに受けるから、青龍を許して欲しいと言って来た。その時、青龍が朱雀や他の子供達に食べさせるために、こんなことをしたのだと気付いた」
「それを知ったこのお人好しは生きていく為に、朱雀と青龍達に剣術を施し、自立できるまで世話をする為にこの国に滞在したって言うわけだ」
この男のお人好し癖には尽く困ったものだ、と白虎さんがお酒を持って、姿を見せる。
「………お前は朱雀達と酒を飲んでいたんじゃなかったのか?」
親父は白虎さんを見る。確かに、白虎さんからは酒の匂いがするのに、顔は赤くなっていない。
「朱雀は弱すぎだ。少し飲んだだけですぐに真っ赤になって寝てしまった。青龍が今介抱している」
「………あいつが酒弱いの知っていてやったな。あいつが二日酔いになったら、どうするつもりだ?確か、明日、仕事があると言っていたが?」
「そこは大丈夫だ。二日酔いの薬を煎じた。20年ぶりの再会なんだから、お前も参加して、話を咲かせればいいものを、お前はすぐに消えるとは昔から人付き合いが悪い男だ」
白虎さんはそう言って、持っていた酒を飲み干す。
「俺はお前と違って、ザルじゃないんでな。お前に付き合わされたら、俺も二日酔いになる」
親父はそう反論する。
「まあいい。黒犬、付き合いの悪い父親の代わりに付き合え。そう言えば、この前、成人を迎えたんだろ?」
白虎さんはそう言って、俺に酒を勧める。
「俺は遠慮します。お酒は苦手で……」
俺は酒に弱い方らしく、酔うと、その間の記憶がない。その為、出来るだけ飲まないようにしている。
一方、俺の師匠である赤犬さんは酒豪であるが、只今、妊娠中である為、禁酒中だ。この国の地酒は美味しいという評判なので、赤ちゃんが生まれたら、出産祝いとして渡すようにと、お酒を買って帰ろうと思っている。
「それは残念だ。君と酒を飲むのを楽しみにしていたんだが………。一杯も駄目か?この酒は絶品だぞ?」
白虎さんはそう言って、強く勧めてくる。
「本当にいいです」
あの時に、記憶を失いたくはない。その翌日、そのことを青い鳥に訊いたら、意味深なことを言ってきたから、余計に飲むわけにはいかない。
「………そうか。それなら、仕方がない。なら、ジュースで一緒に花を咲かせようじゃないか」
と、白虎さんはそう言って、ジュースを持ってくる。酒は駄目だが、ジュースで話に付き合うくらいなら、大丈夫だろう。
そう思い、そのジュースを飲んだわけだが、何故か、その後の事は何も覚えていない。翌朝、起きてみると、頭痛がした。その後、何故か、親父から頭痛にいい薬をもらった。
そして、青い鳥が『今度は私が膝枕をします』って言っていたんだが、何のことを言っているのかさっぱり分からなかったのは言うまでもないだろう。