第一幕
二〇十六年六月深夜、東京都世田谷区立世田谷公園。
閑静な公園に銃弾を連射する音がこだまする。
「いーひっひっひ! 無駄じゃ無駄無駄無駄じゃ!」
顔……というにはあまりにも規格外ではあるが、五メートルはあろうかという巨大な顔だけのアヤカシが嗤う。アヤカシは、中世日本の女性で、髪はぼさぼさ、白粉とお歯黒で化粧している。一週間前から、世田谷公園で首だけのアヤカシが人間を食らうという事件が起き、調査にやってきたのである。まさか初日で出遭うとは運が良いのか悪いのか、考えさせられることではある。
「そりゃそうだ。そんだけでかけりゃ、五.七ミリ弾なんて銀玉レベルだな」
公園内を走りつつ、手に持つP90というPDW――個人防衛火器を乱射する少年、立花 飛鳥はぼやく。五.七ミリ弾は、小型化したライフル弾の形をしているのが特徴で、貫通力が高められている。しかしそれは人間サイズを想定した場合だ。
「まったく、文献ほど当てにならないものはないな。ろくろ首は人の顔サイズだと描かれているのに……」
ろくろ首は、首が長くなるアヤカシと思われがちだが、飛頭蛮のように顔だけ宙に浮く種類もいる。とはいえ、人間の頭程度の大きさに描かれていることが多い。
「喰らってやる喰らってやるぞ!」
ろくろ首が加速し、襲いかかってくるがアスカはサイドステップで避けつつ、P90を連射する。ずぶずぶと顔に弾が刺さるが、効果はないようだ。
「こりゃダメだな……サイズが大きすぎる。シャル、聞こえるか」
アスカは、インターカムに話しかけながら、木々が茂る方向へ走り出す。ろくろ首は、「にぃがぁすかぁ!」と歯をガチガチ鳴らし、木々をなぎ倒しながら、アスカを追っていく。
「聞こえます、兄様」
インターカムに応答したのは、シャルロット 秋桜 プチ 立花。
「遺憾なことだが、俺の武器じゃ歯が立たん。誘導するから頼む」
「はい」
アスカはP90をろくろ首に投げ、背中からペラッチ製のショットガンを取り出す。ペラッチは上下二段式のショットガンである。
「備えあれば憂いなしってね。スラッグ弾ならどうだ」
バゴン! バゴン!
爆音を鳴らしながら、ショットガンからスラッグ弾が発射される。
「ぐおおおおおおおおお! 痛い痛い痛い!」
ろくろ首の額に二発、スラッグ弾が命中。たまらずろくろ首はもがき苦しむ。アスカは、ショットガンにスラッグ弾を再装填し、再び狙いを付け撃つ。
「許さぬぞ許さぬぞ!!」
ろくろ首は、その巨顔に似合わずひらりひらりと避ける。
「おいおい、いくらスラッグ弾の初速が遅いとはいえ、その顔で避けられるのか」
「食ってやる食ってやる食ってるぞ!」
アスカは、身軽になるためショットガンもろくろ首に投げ、今度は腰からファイブセブンを取り出す。ファイブセブンはP90用のサイドアームで五.七ミリ弾を使用する。アスカは走りながら、ファイブセブンを乱射し、シャルが待つ場所へ駆ける。
「シャル、そろそろ着く!」
「はい、お待ちしておりました」
アスカの目先には、ロリータファッションをまとい、手には太刀を持ち、腰に鞘を下げ、片膝の状態で八相の構えを取った少女――シャルが待機していた。
「いーひっひっひ! 増えた! 人が増えおった! 貴様も喰らってやる喰らってやるぞ!」
アスカは、立ち止まり、ろくろ首を引きつける。
「よいっしょっと!」と言いながら、右に飛ぶ。不安定な姿勢ではあるが、近距離から横っ面にありったけの五.七ミリ弾を撃つ。五.七ミリ弾はろくろ首の両目に当たる。
「ぐおおおおおおお! 喰らってやる喰らってやるぞ!」
ろくろ首は、そのまままっすぐ気配の感じる方角へ突き進む。そして大きな口を広げ、シャルに襲いかかった。
「シャル!」
カチャ。
シャルが、太刀を握る手を強めると、鍔が鳴った。
「タイ捨流免許皆伝――シャルロット 秋桜 プチ 立花、参ります!」
シャルが、閉じていた目を開く。その目は宝石のような碧眼。
「食らってや――」
「やあああああああああああ!」
斬!
ろくろ首が口を閉じる瞬間、シャルの太刀が振り下ろされた。振り下ろされた太刀は、ろくろ首の顔を斬り割いていく。五メートルもあった顔が、一瞬にして二つに割れた。まさに一刀両断とはこのことである。
「斬られた斬られた斬られた! ばかな! たかが人ごときに! ああ……ああああ……死にたくない……死にたく……ぎゃあああああああ……」
シャルが大きく太刀を振り、刀身に付いた血を払うと腰まである金髪のポニーテールがシャルの動きに合わせなびいていく。
チン。
納刀をすると、ろくろ首は灰となって散っていった。
「シャル、怪我はないか」
「はい、わたしは大丈夫です。兄様がろくろ首の勢いを削いでいただいたおかげです。ですが、兄様の腕が……」
アスカは、ろくろ首と交錯する際に左腕を切り裂かれていた。地面には、ぽたぽたと血が落ちる。
「大丈夫だ。すぐ治る」
シャルは心配そうな顔をしてアスカを見つめる。その様子を見たアスカは、シャルの頭に手を乗せ、なでる。シャルはくすぐったそうに目を細める。シャルは、アスカが髪をなで終えると、ポニーテールをほどき、首の後ろで束ねた。
「よし、無事討伐も終わったことだ。報告しておこうか」
アスカは、ポケットから陰陽師専用端末を手にすると、「ろくろ首討伐完了っと」と入力をする。
「よし、帰るか」
「はい、兄様」
二人の陰陽師――シャルとアスカは、公園を後にしたのであった。
陰陽師は、陰陽庁から発行される陰陽師免許を取得することでなれる。
第二次世界大戦時に国力の低下に伴い、資源の徴収や空襲などで各地にあったアヤカシの封印が解け、爆発的に増殖。
日本政府は、アヤカシの対応で戦争どころではなくなり、各国と終戦調停を結ぶこととなった。戦勝国は、日本の植民地化を画策したが、アヤカシ問題に莫大な費用がかかるため、植民地化を行わず独立を認めた。
そこで日本政府は戦後、その各国ですら投げ出したアヤカシ問題を解決するために、公的機関に陰陽庁を発足。陰陽庁は旧大田区にある紅葉特別区に置かれ、人間に害するアヤカシの殲滅および、人間に益のあるアヤカシの保護、研究を目的とする。陰陽師は、あらゆる武器の携帯、使用が許可され、アヤカシに関することに対しては、権限が警察、自衛隊などの公的機関より上位に置かれる。
アスカが持っていた陰陽師専用端末では、アヤカシの出没情報や討伐、保護報告などが行えるである。
翌朝、立花家。
アスカは、ベッドからのそのそと起き出す。
「眠い……」
時計を見ると長針と短針が一直線に並んでいた。普段起きている時間通りの六時である。クローゼットにかかっているシャツと制服を取り出し、着替える。ネクタイを締め、ジャケットと鞄を手に持ち、障子を開ける。部屋を出てすぐの縁側には、小鳥が二羽いた。小鳥たちは、チュンチュンと鳴き、アスカが歩き出すと飛び立っていった。
立花家は、時代が時代なら大名屋敷に引けを取らないほどの武家屋敷だ。庭には池があり、ししおどしが鳴り響く。部屋の数は両指でも足りない。それだけ広大な屋敷であるものの、三人しか住んでいない。
アスカは時折、掃除する身にもなってくれと嘆きたくなるが、それが贅沢な悩みだと言うこともわかっている。
長い廊下を歩き、食堂に着くとアスカより早く起きるのが珍しいシャルが座っていた。それもただ座っているだけでなく、ご機嫌そうに鼻歌付きだ。
アスカはそんなシャルを見て、「おはよう、シャル」と挨拶をする。するとシャルが笑顔で「おはようございます、兄様」と返してくる。
アスカは、そんなシャルを不思議そうに見ながら台所へ向かう。
(なにか良いことがあったのかなあ。まあ、なにはともあれ、機嫌が良いのなら重畳だ)
とアスカは思ったのである。
アスカが冷蔵庫を開けると、なぜか食材が少なかった。
(あれ……こんなに少なかったか……? まあ、最近忙しかったし、姉さんが使ったのかもしれないな)
アスカは、とりあえず簡単なもので朝食を作ることとした。立花家では、ほぼアスカが料理を作るのである。
まず、台所にかけてあったうさぎ柄でピンクのエプロンを着用。そして、冷凍しておいたご飯をレンジにかけ、サケの切り身をグリルで焼き、トマトなどの野菜を切っていく。みそ汁は、豆腐とわかめでシンプルに。みそ汁にみそを溶かすところで、アスカは、シャルに話しかける。
「シャル、もうすぐご飯できるから、姉さんをたたき起こしてくれ」
「わかりました」
食堂からシャルが答えるとそのまま廊下に遠ざかる足音。アスカは、みそ汁が沸騰する直前に火を止め、盛りつけし、食堂のテーブルに並べていく。そうこうしていると食堂の障子が開き、女性がふらふらと入ってきた。女性は、透き通るような銀の髪をし、全てを見透かすような赤い目をしている。さらに突出している点は、アスカよりも背が高く、だぼだぼの寝間着を着ていながらも、すらっとしていながら、出るところは大きく出ていることがわかるプロポーションであることだ。
「おはよう、姉さん」
姉さんと呼ばれた女性――フレイヤは、のそのそとアスカの元へ。
「姉さん?」
「おっはよーーー! アスカくーーーん!」
がばっと、まさにがばっとという表現が適しているような勢いでアスカを抱きしめる。アスカはその勢いに負け、床に倒れてしまった。
「姉さん! ちょっま!」
アスカは抵抗もむなしく、フレイヤの為すがままとなっていた。そこにシャルが戻ってくる。
「フレイヤ……兄様になにしてるの……?」
食堂の空気が凍り付く。
フレイヤは、アスカを解放すると、じりじりとシャルの方へ近づく。そして、
「シャルちゃああああああん!」
と両手を広げてシャルに駆け寄るが、避けられて柱にゴツンと頭をぶつける。
「いったーい……なんで避けるのよ……」
その様子を見ていたアスカが立ち上がり、「姉さん、ばかやってないで、そろそろ食べないと遅刻するよ」と注意する。
「あらあら! さ、シャルちゃんも座って食べましょ。お姉さんの膝の上でもいいのよ」
フレイヤは、膝をパンパン叩きながら言うが、シャルは定位置であるアスカの隣に座った。フレイヤは「お姉さん悲しい」と呟き、みそ汁に手を伸ばすのであった。
食事を終えたフレイヤは、「それじゃあ、行ってくるわね。アスカくんもシャルちゃんも遅刻しないようにね」と愛用の車である、プジョーRCZで出勤していった。
シャルとアスカも、食器の片付けをして学園に向かう。シャルとアスカが通う紅葉学園は、陰陽庁長官が理事長を務める陰陽庁直轄の国立学園で、現理事長はフレイヤである。また、陰陽庁庁舎も兼ねている。またアヤカシの研究施設もあり、広大な土地を所有している。
後期中等教育――いわゆる高等学校レベルの教育機関で日本唯一の陰陽師育成学園である。しかし、陰陽師育成学園とはいえ科目に陰陽師関連の授業が増えているだけで、卒業すれば陰陽師の免許を貰えるというわけではない。もちろん陰陽師を目指さない一般生徒も入学できる。むしろそちらの方が多い。
理事長の方針で、学園運営自体は生徒会が行い、理事長は承認のみで、教師は生徒のサポートを行う。表向きは生徒の自主性をうんたらかんたらと謳っているが、フレイヤが仕事したくないだけという見方もできる。
通学途中、アスカはシャルの制服を見ると、シャルは「?」という顔をする。
紅葉学園には指定制服があり、それを着ることが校則で決められている。女子用の制服は、ブレザーに普通のスカートだが、シャルは制服を改造している。ひらひらのスカートに、リボンネクタイ、そして胸が強調されるような、言わばロリータファッション制服バージョンである。金髪碧眼の容姿に良く似合っている。余談だが、シャルは胸が大きい。
(まあ、制服を改造してもなにも言われないのは、良くも悪くも姉さんのおかげだろうが、やはり目立つな……)
「お、アスカとシャルちゃんじゃねーか」
後ろから自転車に乗った茶髪の生徒が話しかけてくる。
「おはよう、コン」「おはようございます」とアスカとシャルが挨拶をした相手は、六条 狐。シャルたちと同じクラスの生徒である。
「おっすおっす」
コンはそう言うと、自転車から降りるとシャルたちの歩く速度に合わせて歩き出す。
「なあ、アスカ」
「ん?」
コンが真面目な顔をし、アスカを見る。
「理事長は?」
「先に行ったよ」
「そうなのか……」
コンは、がっかりしたような顔をし、うなだれる。
「俺はな、アスカ……」再び顔を上げるコン。
「うん」
「夢があるんだ……」とコンは拳をぎゅっと握りながら言う。
「それで?」
「いつか……いつか……あの理事長の胸に顔を埋めたい! だから理事長の兄妹であるアスカと友だちになったのだ!」
高々と宣言したコンに、周りの人はいぶかしげな視線を送る。
「あれ、俺たち友だちだったの?」とアスカはまじまじと言うと、「そうさ! 友だちさ!」と両腕を広げながら高く挙げる。勿論、手で支えていた自転車はガシャンと倒れてしまうが、さすがに倒れた自転車がトラックに轢かれるというイベントはなかった。
そんな様子を気にせず先に行くシャルとアスカであったが、コンが「ちょっとまってまてまてって!」と追いかけてくる。
周りの視線が痛いなあ思うアスカであった。
「だがな、アスカ」
そんなアスカの気持ちを無視して、コンは語り出す。
「おまえと友だちになった理由はもう一つある」
アスカは、救いを求めるようにシャルに顔を向けると、シャルは静かに首を振る。
「それはだな! シャルちゃんの胸にも顔を埋め……」とシャルに向かって抱きつこうとしたコンは、いつの間にかふわりと空中にいた。
コンは「え……?」という声を出すとそのまま地面に激しく打ち付けられた。シャルが、小手返しで投げたのである。
「さ、兄様。遅刻しますよ」
アスカの手を取り、先に行こうと促すのである。アスカは、コンを見て
(これが無きゃモテる容姿なのになあ)
と思いつつ先を急ぐのであった。
「ちょっと……待って……あ、痛っ! あれ、立ち上がれない!?」
シャルは投げた際に腰から落とすようにし、腰に力が入らないようにしたのであった。
「ちょっとーーーーーー! アスカーーーーー! シャルちゃあああああん! 謝るから! 遅刻しちゃうから! 今日一時間目小テストだからあああああ!」
コンの叫び声が木霊すると同時にチャイムの音が鳴り響くのであった。
「そうなんだ、そんなことがあったんだ」
昼休み、屋上に向かう道中で、ミディアムウェーブの女の子、祐乗坊 菫が言う。スミレは、コンの幼なじみでシャルたちと同じクラスメートである。幼なじみとは言え、スミレは小学生の頃に福岡に引っ越している。今も実家は福岡にあり、スミレだけがこちらに戻り寮に住んでいる。
普段からシャル、アスカ、コン、スミレの四人で昼食を摂る。紅葉学園の屋上は、就業時間中は解放されており、床は人工芝ではあるものの、花壇やベンチなどが置いてあり、憩いの場としてそれなりに人気がある。
雑談をしながら、屋上に出たシャルたちは、眺めの良い場所を見つけシートを敷くと、
「梅雨入りした途端に天気が良くなったよね」
スミレが空を見て言う。
「そうだね。梅雨入りする前は雨ばっかだったのにね」
アスカも釣られて空を見上げる。
「でも明日から、天気が悪くなるらしいぜ」
コンがそう言うと、スミレが「そっか、じゃあしばらくここでご飯食べられなくなるかもね」と残念そうに言う。
「ま、とりあえず飯にしようぜ飯に。スミレ弁当くれ弁当」
コンが急かすようにスミレに言う。
「もう、はしたないんだから」
スミレはぼやきつつ、コンの弁当を出す。
コンの両親は早くに他界し祖父母の家に住んでいる。祖父母も高齢なため、コンはいつもパンなどを買っていたが、スミレがそれでは栄養が偏ると、コンの分まで弁当を作るようになったのである。
「へへ、サンキュー。アスカたちは弁当か?」
「いや、食材がなかったからパンとかを持ってきてるよ」とアスカは、弁当袋を取り出すと重さがおかしいことに気づく。
「あれ……なぜ重箱が?」
朝、弁当袋にパンを入れたのは覚えている。ふとシャルを見ると、まぶしいくらいの笑顔でニコニコとしている。普段あまり感情を表情に出さないシャルが珍しい。嫌な予感しかしないとアスカは思った。
「兄様、開けないのですか?」
「いや、パンを重箱に詰めた覚えはないから、この重箱はなにかなと思ってるんだけど」
「それはですね、兄様……」
シャルが、人差し指を立てて言う。
「たまにはわたしが兄様のお弁当を……と思った次第なのです」
アスカは固まった。そんな様子に気づかないコンとスミレは、
「おおおお、シャルちゃんの手作り弁当か!」
「シャルちゃんも料理できるんだね、今度一緒に作らない?」
はしゃぐ声でスミレは言った。
(なるほど……朝から機嫌が良いなと思ってはいたが、こんなトラップが待ち受けているとは……)
「兄様……?」
シャルが不思議そうな目線をアスカに送る。アスカはその目線に耐えられなくなり、開けることを決意する。
(鬼が出るか蛇が出るか、むしろその程度済むのか)
アスカが震える手で弁当箱を開くと、シャル以外の空気が固まった。
まず、ご飯は、固いというのを通り越して、一切の水を含んでいない状態でぎっしりと詰まっていた。その横の敷居には黒くてとろみのある液体状のなにかがあり、さらに最後の敷居には黒いごろごろとした固まりがある。
「兄様、ちょっと見た目は悪いですが、大丈夫です。味はばっちりです」
ちょっとどころじゃない見た目なんですかという言葉を飲み込むアスカは、とりあえず、まず料理の正体を聞くことにした。
「シャル、なにを作ったのかな?」
「え、わからないんですか?」
逆に聞き返されてしまった。想定外の解答にアスカは汗が止まらない。
「さあ、兄様、おいしく召し上がってください」
アスカは、シャルが怒ってこの弁当を出している訳では無いことを知っている。シャルは、料理が下手だ。下手というより、致命的なくらいに刃物を扱うこと以外は不器用なのである。
アスカは意を決してシャルの弁当を食すことにした。コンとスミレを見ると、蒼白な顔をしてアスカを見ていた。アスカはそんな二人に首を振って応え、箸を付ける。
ポリポリという音が聞こえる。アスカも生煮えの米というか、ただ温められた生米を食するのは初めての経験であった。違和感はあるが、米の味である。量が半端ないが。しかし、その様子を見たシャルは、
「兄様、ご飯にカレーはかけないのですか?」と不思議そうに尋ねた。
「カレー……?」
カレーの要素はどこだと、脳みそフル稼働で考えるアスカ。そしてとろみがある黒い液体を思い出す。そう、まさしくそれがカレーだった。
「はい、兄様」と差し出されるスプーン。
一瞬受け取るのがはばかれたが、スプーンを手に取ろうとすると、シャルが思いついたように「あ、わたしが食べさせてあげますね」と良い、黒い液体を米にかける。唯一まともに食べられそうだった食べ物が汚染されていく。この重箱に救いはなくなった瞬間であった。
シャルは、スプーンいっぱいに黒いカレーと生米を取ると、アスカの口元に持って行き、「あーん」と言う。
アスカは、口を開き食べると、汗がだらだらと出た。決して辛かったわけではない。だが止めどなく汗がでるのは、ポリジャリポリジャリと砂を食べているような食感が広がるせいである。
(無心だ。無心で食すのだ)と心の中で念仏のように唱え続けるアスカ。
かろうじて飲み込むと、シャルは次に黒いごろごろとした固まりを箸で掴もうとしていた。するとスミレが、その行動を遮るように、助け船を出す。
「シャルちゃん、味見ってした?」
と聞く。しかし、シャルは黒い固まりを箸で掴み、「してませんよ? 必要があるのですか?」と至極当然のように言う。
「いや、味見は必要だとおもうよ、シャルちゃん……」
シャルはスミレの言葉に、箸を置き、
「なにを言っているのですか。昔から愛情は最高の調味料と言います。愛情さえあれば、どんなものでもおいしくなります。なるはずではありませんか。なので兄様が最初に口にしてほしい食べ物を味見とはいえ、先に食べられるわけがないではありませんか」と反論するのであった。
スミレは、「そっか、そうだよね……ははは……」諦めたように、乾いた笑いを返すのみであった。
「さ、兄様。たくさん食べてくださいね」
アスカは、この日からシャルに対し、台所接近禁止命令を出すこととなった。
放課後、シャルとアスカは、不幸な事故にして消えていった食材の補充に商店街で買い物をしていた。
「シャル、夜はなにが食べたい?」
「そうですね……夏野菜を使ったものか、アユが旬なのでどちらかが良いです」
「アユか、じゃあ、スーパーではなく、魚屋さんに行こうか」
「はい」
と歩み始めた時に、アスカは花屋に目が行く。正確には花屋の店員に目が行ったのである。アスカの視線に気づいた店員が話しかける。
「なにかお探しのお花がありますか?」
アスカは話しかけられたことも気づかず、ぼーっと店員さんを見る。
「お客様?」
店員が不思議そうに尋ねると、アスカははっとして、「あ、いえ、また今度にします」と言ってそそくさとその場を離れる。
その様子をシャルは悲しそうな顔で見つめる。
「兄様……大丈夫ですか?」
「ああ……大丈夫。ごめんな。いつまで経っても慣れることはないな」
「慣れなくても良いのです。わたしがいつまでも兄様と共にいますから」
シャルは、アスカの腕を取り、ぎゅっと抱きしめる。
「そうだな」
アスカは、反対の手でシャルの頭を撫で、商店街を後にするのであった。
「たっらいまああ!」
玄関でご機嫌な声が響く。フレイヤが帰宅したのである。
「おかえり、姉さんって酒臭い」
「ひどーい、おんにゃのこに向かって臭いってひどーい」
へべれけになりながら、フレイヤはブーブーと抗議する。
「はいはい、女の子って年でもないだろう」
「おんにゃのこはいつまでらっても、おんにゃのこなんれすよー!」
そういうとバタンと玄関に倒れ込むフレイヤであった。
「ほら、こんなところで寝ないで」と起こしながら言うと「えい!」とアスカを抱きしめる。
「アスカきゅーん」
「はあ……」
アスカはため息をつきながら、フレイヤを引き摺ることにした。
「シャル-! 水をいっぱい持ってきてくれないか」と家の中に向かい叫ぶ。
アスカはずるずると引き摺り食堂に行き、フレイヤを椅子に座らせる。
「今、水を持ってくるから待っててね」と台所に向かおうとした瞬間、障子が開きバケツを持ったシャルが入ってくる。
シャルはためらうことなく、フレイヤに水をぶっかけた。
「シャル!?」
「いえ、台所接近禁止命令があったのと、水をいっぱいと言われたので、てっきり水を頭からかけるのかと」
白々しく、シャルは言い切った。
「冷たーい!」
一方フレイヤは、一瞬で酔いが醒めた。そして水浸しでスーツが大変なことになっている。
「姉さんは風呂入りな、ここの片付けは俺がしておくから」
「いえ、兄様。フレイヤにやらせるべきです」
「シャルちゃんの愛が冷たい……しくしく」と泣きながら、浴室に向かうのであった。
平常運転な立花家であった。
その日の深夜。フレイヤは自室にいた。
黒いフードを被り、目を瞑り集中している。両手を前に出し、手と手の間には十六個の水晶が輝きながら、ぐるぐると回り宙を浮いている。
フレイヤが目を閉じながら、顔を上げていく。すると水晶の回転速度が上がっていく。そして、カッと目を開き回る水晶の一つを掴んだのである。掴んだ水晶以外は床に落ち転がりながら、消滅していった。
手に取った水晶には、ユルのルーン文字が刻まれていた。
「ふふふ……ふふふふ……ついにあの子が解放されるのね。ふふふ……楽しみだわ。さあ、これは始まりの終わりかしら。それとも終わりの始まりなのかしら。シャルちゃんとアスカくんはどう動くかしら」
フレイヤが微笑むと、外ではぽつぽつと雨が降り始めたのであった。
第一幕の投稿です。
プロローグとは時代が変わって、本来の舞台である現代です。
なお、なぜ座敷童の話を書こうと思ったのかというと、去年に神奈川近代文学館で開催されていた柳田國男生誕百四十周年に行った影響です。
遠野物語の生原稿とかみたら、妖怪の話を書きたくて書きたくてたまらなくなり、思わず書いてしまいました。
なお、神奈川近代文学館はたったの六百円で入れるのでオススメです。悲しいことに混んでることもあまりないですので。
しかし、こういった小説を書いていると、文章力の無さにへこんでしまいます。
もっと頑張らないといけません。
さて、次回は幕間です。第一話と第二話の間にある話となります。
プロローグぐらいの長さにする予定なので、早めにアップできればと思っています。
少しでも皆様の心を揺さぶれれば幸いです。
それでは、また次回もよろしくお願いいたします。