魔王のちょっとした足踏み
「うむ、到着である」
魔王スゴロクは歩いた。時々疲れて浮いたりもしたが、とにかく歩いた。
三つの山を越え、ひとつの湖を渡り、大小の街を五つほど経由し、洞窟や小さな迷宮なども須らくマッピングしながら進んだ。
肥沃な平原の土を踏みしめ、その中央にでんと構える都に到着したのは、未来の勇者と別れて二週間後のことである。
『王の力』と『魔眼』を併せ持つゆえ、その道程は見るものによっては淡白に映るやも知れないが、彼にとっては収穫多き旅路であった。
登り越えた山の少数の部族から実践的な薬草学を、渡った湖のほとりの村で湖底に沈む輝石の見分け方を、経由した町ではそれぞれの特産品の生産技術を学んだ。
途中で出会った冒険者たちにはニーズを聞き取り調査し、魔力を用いたコンパスや保存食、強力で人間にも扱える武具などの着想を得た。
ダンジョンで手に入れたさまざまな素材で売り買いを繰り返して路銀を保ちつつ、洋々とここまでやってきたのである。
さて、目の前に広がるは堅固な壁と門に守られた都市国家。
「鋭敏な門番だ」
門に絡まって咲く蔓植物の葉が言下に伸び、刃物の如き鋭さを得て魔王をねめつける。「まぁ慌てるな」穏やかに『魔王の力』を発する。獰猛な警戒者は直ぐにその手を緩めてくれた。
「このローブを通しても我が力を察知するか。よい魔導師が居るな」
各地の様相を確かめ、物事を量るというよりは、面白い人物との出会いの旅の色合いが強まってきた気がする。決めたとおり世界を回ってはいるけれども、なんだか趣旨が変わってきたような気がしないでもない。旅日記も読み返してみると各所の特色などを記録しきれていない部分が多々ある。
「些事であるとは思うのだがな……どうにも順調に行き過ぎる感がある」
お前はどう思う、と我知らず口に出しかけて、らしくもないと思い直す――何処まで頼れば気が済むのだか。
ロデルは己を鍛えているのだ。自分も決めたことを完遂せねば、申し開きもたたぬ。
目指す都市国家はもう目と鼻の先――門番は引いた、扉は開いている。だが、何かが引っかかる。
「まるで同じ……作りでもしたかのようだ」
魔王の頭を鮮明によぎる一つの記憶があった。魔界にドカ雪の降った冬の夜――人間暦にして18年ほど前になるか。
「あの時はどうしたのだかな、ロデル=カッツェ」
魔王は踵を返して門を離れると、静かに『王の力』を放った。
どんな気まぐれを起こしたかはもう忘れてしまったが、ローレンスと飲みに行った城下町で、あの日もこうして周囲の気配を探って遊んでみたのだ。
助けを求めるような声は、そうせねば届きもしなかったろう。昔も、そして今も。
魔王なのに『勇者』の耳でも持っているのかと、さんざか異母妹にからかわれたものであったが……。「余は腐っても魔王である。ただでは力など貸さんのであるぞ」
赤髪の幼い半猫を連れ帰った時と同じ言い訳を口ずさみながら、来た道を取って返す。聞いたからには放っておけないのも、魔王としては困った性格であった。
2015年 08月03日 11時34分 投稿
2015年 08月03日 11時35分 誤字修正
2016年 04月28日 14時43分 誤字修正