魔王スゴロクとロクデナシと美女と
『始まりの街』で一泊した魔王は領主の城へ足を向けた。
ちょっと魔術式を展開しただけで冒険者の試験に受かったので、これで公的にも探検の自由を得たことになる。
肩まであるウェーブの掛かった黒髪とやたら澄んだ瞳と妖艶な口許――魔界ではよくある容姿だが――のせいで女性に間違われるという珍事はあったにせよ、『アークセイジ』なる妙に取り澄ました称号まで獲得できたのは僥倖といえた。
「人間界とは手続きの多い場所である。ま、他者の激賞を得るのは悪い気分ではないが」
側近を呼んで受けさせてみようかとも思ったが、まだロクな土産話も出来ていないのでやめておいた。今はガマンの時である。
「っふ、我慢か……この余が、魔王ともあろうものが。気づけばぞっこんと来ておる」
世界よりも大切な女は、もしかしたら世界などよりよほど不思議な存在なのかもしれない。
「おっと、失敬」
考え事をしながら歩いていたので、迂闊にも人間と接触してしまった。
おうガキ、と凄んで来る。ぶつかっといて謝罪もナシかよ。
「こわっぱが触れた程度で壊れる身体には見えんが」
ずんぐりむっくりの体格、野卑な相貌。話に聞くロクデナシというヤツだろうか?
「おぉー痛てぇ痛てぇ。こりゃ脚折れてンな、複雑骨折したぞ」
「……ほう?つまり金が欲しいわけか」
「そうそう、そうやって大人しく……」
やたら可愛らしい財布を取り出す彼の様子に下卑た笑いを浮かべるゴロツキの肩に、優しく触れる手がある。
あんさん、と聞こえた、西の者らしい。まだ姿は見えないがおそらく女、それもかなり熟達した戦士。
「そのお人に手を出すのはやめてきおし。分からんのやろかね、消し飛ばされますえ?」
余は人間を消し飛ばしたりしない、と抗議しようと思ったがやめておいた。見守ったほうが面白そうだ。
気色ばんだ男が振り向いたので、ようやく姿が見えた。東方の……アレは何といったか、おおそうだ、キモノであったな。
「じゃあようネエちゃん、アンタがその服売って金くれよ。俺の脚折れ…折れ…てるぅ!?」
男の脚がありえない方向に曲がってぶらり浮いている。男は悲鳴を上げ、ぴょこぴょこ跳んで逃げていった。
「助かった。礼を言う、西方の淑女」
「いらん世話やったかしらんけど、気ぃつけて歩きなんせのぅ」
西方のイントネーションも学んだことがあるが、なんだかおもしろい文法に思えた。
「愉しい言葉遣いだ」
「色々混ざってますのんや。本場の西方人に怒られますな」ケタケタ笑う。が、直す気はないらしい。
「変わり者に出くわすな、余は」
「そういう星回りなんやろ。諦めたらええがな」
少し歩こうと誘い、自分はキセルを取り出して火をつけた。「煙草は身体に悪いぞ」
「薬ですねん、これ。さっき幻術使ってもうたから魔力補給や。燃費の悪さが珠に瑕でのぅ」
くゆる紫煙を解析してみると、確かに薬の成分だった。合法なヤツだ、もちろん。
「その目、便利そうやね」
「便利である。培養すれば作れなくもないだろうが、生憎試したことがない」
「おもしろいお人や。領主はんに会いなさるんかいな?」
「否。冒険者ギルドである」
ならこっちやと明るく告げて歩き出すキモノの女について歩いた。幻みたいな甘い香りが鼻を包む。
「この香水は何の花であろうか?」
「冒険者ギルド謹製品でのぅ、残念やけど調合法と材料はナイショ。お土産にいかがでっしゃろ」
「ギルド謹製とな。ならばそなた……」
「はいな」女はキセルを仕舞い、振り向くとニッコリ微笑んだ。「ここらの冒険者ギルド仕切っとります、ヴィエネッタ言います」
「そうか! これは僥倖、余は……むぅ」
「どないしはってん?」
「否……問題ない。スゴロクと呼んでくれ」
「わかりましたえ。よろしゅう願います~」
典雅な一礼を終えた女将とともに、魔王スゴロクは冒険者ギルドへ向かった。
即席で考えたとは言い難く――誰からもこの名で呼ばれることになるだろうと、苦笑いを浮かべながら。
2015年 07月23日 15時55分 公開
2015年 07月23日 16時19分 誤字修正