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旅立ち

 その『魔王』は、戦いよりも書を好んだ。

 彼は世界をものの数日で掌握できる存在でありながら、殺戮を良しとしない。

 『勇者』を名乗って剣を向けてくる一握りの人間に対峙はするが、他の『魔王』のように大っぴらに戦を仕掛けようなどとは思ったこともない。

 ふたつの土地――『世界』の支配権などより、それそのものに対する興味が強い。

 そういう彼だから、あらゆる本を取り寄せ読み漁るうちに、『魔王』としての己の存在に疑問を抱くようになった。

 余は決して弱気王にあらず……然れども、歴史は無暗に版図を広げることの愚かさを教えている。

 ならば、余は何故に『魔王』として存在できている? 魔界の一国の王に過ぎぬという己の実感は決して一般化されたものではないはずだ。

 『魔王』とはそもそも、人間の世界に仇をなすものなのではないか?

 あらゆる多様性を許容し内包するこの『世界』でも、善なる『勇者』が悪の『魔王』を打ち滅ぼすという構図も腐るほど展開されてきた。

 以前読破した長編小説の中の『魔王』は確かに争いを忌避し、勇者と手を取ってその世界に繁栄をもたらした。

 だが、余の尊敬する『彼』とて、優しき王となる前は戦いを好む勇敢な戦士であった。余の選択は間違っているのか。『魔王』としての力を持ちながらそれを奮わないのは間違いであるのか。

 物思いに囚われても、本がそれを教えてくれるわけではなかった。

 魔王は転移術を唱え執務室へ戻ると、「ロデル、在るか」側近と秘書を兼ねる美女を呼び出す。

「魔王さま、いかなるご用向きでしょう」

「うむ。余は、世界征服とやらをしてみようと思うのだ。如何であるか」

「『魔王』の使命とも申せる所業にございますれば、その御決断は正しきものでありましょう」

「左様、余にしてみれば善きことであるか……だがなぁ……」

 言いよどむ王の葛藤を察し、側近はその手を取った。

「仰いませ、我が王。わたくしは不肖の身なれど、魔王さまをお慕いする気持ちは誰にも勝ります。

貴方様のお悩みをひとつとてもお話しいただけず、そんな者の何が側近足り得ましょう」

「うむ……。どうなのだろうな、今さらに『戦争』を始めるなどは。この魔界の王ならば、誰でもできることだと思う。この国の王としての道には少々悖るのではないだろうか」

 魔王は秘書の頭をくしゃくしゃとやる。落ち着きたいときの、彼のクセだった。

 可憐な獣人はぐるぐると喉を鳴らしながらも、知識と経験をフル稼働させて適切な言葉を探す。

 ロデルはこの魔王の治める小さな国が好きだった。他国とのいさかいに興味を持たず、来る者を拒むことなく受け入れ、最小限ながら民の幸福も約束してくれるこの国が。いや、より正確に言うなら――

「この温かきお手が人間の血に染まるは、正しきことでありましょう。正しかれども、わたくしは」

 魔王は黙っている。何かを考えているようだけれど、彼女にしてみれば正直それどころではない。

 今、言わねばならないと、ひとり固唾を飲む。この機を逃してはならない。彼ほど彼女を惹きつけてやまない『男』は、彼だけなのだ。

「――わたくしは、今の魔王さまを、お慕いしております……」

 頬を紅潮させてどうにか絞り出した言葉を、どう受け取ったものか。

「やはり、余は世界征服をせねばならぬ」

「何ゆえで……ございましょう」

「余を堂々と慕い呉れるそなたのような者の血を下賤とする世界……。捨て置けぬ」

 人間界における猫族などの亜人の地位は低い。少なくとも、魔王が持つ知識や経験ではそうだ。

 側近は何も言わず、配下の魔王軍に指令を発するべく魔法を行使――しようとして制止された。

「……今度は如何なさいました、魔王さま。わたくし、もっと意志の堅い方だと思っておりましたよ?」

「余は一度決めたことを簡単に保護にはせん。だが、だからこそ悩ましき問題に気付いたのである。忠実にして勇敢なる魔王軍にあって、余が最も信を置く可憐にして誠実なる臣下よ。余はそなたにのみ尋ねよう」

「はっ、魔王さま」優しく手を取り、恭しく唇を落とし、慎重に尋ねる。「如何なる問いにてあられましょう」

「余が覇を唱えるべき『世界』とは果たして、何処より始まり何処に涯つる世界なのであろうか……我が前に、問いはこれのみである」

 魔界にあっては最も強く、様々な種族を束ねるにふさわしい種族――『覇龍ロード・ドラグーン』であり、多くのことを知る賢人であり、一国一城一軍の君主である彼をして、なお世界は推定に余る広さであった。どの大陸にどのような種族が暮らすというような大まかな分布図はあるものの、今までの誰もその果てを見た者は居ない。

「その凶暴なまでの広大さたるや、複雑さたるや、多様さたるや」

 どれほど探査魔法を駆使しようとどれほど書を読み耽ろうと杳として知れぬ最大の謎の中で、魔王たちは生きているのだ。

「そなたはどう思う。余はこの果てもなき世界を敵に回すべきなのか?」

「先んじて行うべきは『観測』ではございますまいか、我が王」

「はて、観測とな」

「人間界より来る我ら本来の敵、『勇者』であっても、彼等に必要でない場所には赴かないと聞きます。それは貴方様を除く他の『魔王』とて同じ事。彼等は彼等で国益を得、戦わねばなりませぬ。ゆえ、世界すべてのことに関わる時間を持てぬのです」

 側近の持論を静かに聞いていた魔王は、ここで漸く眉を跳ね上げる。

「つまるところ、そなたは余がヒマ人であると申すのだな? クククッ……」

「わーわー、ごめんなさいごめんなさい! 決してそのようなことはなくてですねあのその!」

 燃えるような赤い髪の半猫人はそれまでとは打って変わったような慌てぶりを見せる。

 ロデル=カッツェは魔王にとって最も生真面目で信頼できる優秀な秘書官であるが、からかってやると実におもしろい姿を見せてくれる、愛しい育ての娘でもあった。「可愛いヤツよ。構わぬ、事実である」

なぜ嬉しげなのかよく理解できないと言いたげに小首をかしげる美少女を、王は出し抜けに抱きしめた。「にゃっ!?」

「我が所業の針は正しき方向を向いた。礼を言う」

「およぼ、ませぬ……どうかこのお手をお放しくださいませ。獣の臭いがついてしまいます」

「何を言う。花の如き香りをしか、余は嗅いでおらぬぞ。それよりも聞くのだ、ロデル=カッツェ」

「……仰いませ、我が王」

「余は世界を知る。測り、計り、量る。もし、そなたのような少なき民が苦しむような世であれば……余の流儀で変えてやろうぞ。そして、そなたらが安堵できる世の中になった暁には……そなたを、妻として迎えたい」

 そのために『魔王』の力を使えるなら、何ほども惜しむことなく奮える。腕の中で健気に呼吸するこの暖かなる者の為であるならば。

「承りましてございます。学を修め智を食み、鍛錬し武を極め……世界の誰より貴方様にふさわしい女となって、驚嘆していただくのです」

「僥倖である」

「惜しゅうございますが、何卒このお手をお放しくださいませ。冒険旅行の準備をなさらねば」

「うむ。おやつは300ゴルトまで、であるな」

 ド真面目な君主が見せるひょうきんな物言いが、ロデルは好きだった。

 生真面目な顔をほころばせ、言った。

「もう、魔王さまったら!」


 それからの魔王は迅速に行動した。兵器・武器開発を担う幹部に依頼し、たどった経路を記録できる機械を共同製作した。

 戦闘部隊には徹底して専守防衛を貫くよう厳命した。もっとも、これは彼が王として即位する以前からの、この国の伝統であるが。

 魔王はまた、学習も怠らなかった。魔界に流布した現代語と発音や意味の微妙に異なる人間界の言語を日常会話に支障ないレベルまで学習し、それに付随すべき感情表現(これはロデルがみっちり教えた)もできるようになった。

 無機的な人物と言うわけでもないが、感情よりも理知を重んじて生きてきたのである。感情表現を重んじた方が魅力的だというようなことを言われてその気になる単純さも、もちろん持っている。

 次は容姿である。もとから変幻自在に姿を変えられる彼だが、親しみやすいよう少年の姿をとることに決めた。

 長身痩躯であった青年の姿からするとわずかに背は低くなり、小柄なロデルと比べても頭ひとつと半くらいしか違わない。

 人減のン聯例でいえば十代後半。中性的な相貌はそれなりに整っていて、童顔と呼べなくもない程度である。

 子供に近い方が好もしいぜ、などと吹き込んできたのは鳥人部隊を率いるキザ男だった。

 やすやす乗っかる魔王も魔王だがそれはそれ。好感をもたれる容姿のほうが良いに決まっている。

一番先に目にしたロデルの真っ赤な瞳がわずかに潤み、キラキラしていた理由までは分からないが。

 その他あらから冒険旅行に必要であろうと思われることどもを2日のうちに整え、最後に300ゴルト分のおやつを用意した。

 こうと決めたら瞬時に行動できるのがこの魔王の強みであり、屈強なる軍が彼にしたがう理由のひとつでもあった。

「さすがは我が王、抜かりございませんね」

「腐っても余は『魔王』である。皆やそなたには迷惑をかける。まこと済まぬが留守を任せるぞ」

 少年の姿の魔王は、黒い長衣を羽織りつつ言った。

「承知いたしております。軍の皆は土産を楽しみに頑張ると息巻いておりましたよ? ふふっ」

「もしも手に入れば持ち帰るといっただけなのだぞ? あまりハードルを上げてくれるな」

 それと、と言葉を切り、魔王は色鮮やかなリボンを取り出した。「留守中はこれを身につけよ」

「美しゅうございますね。こちらは如何なる物でありましょう」

「余の力の一端を織り込んである。ローブや剣などもよいかと思ったが、最初の贈り物にしては味気ない気もしてな……」

「勿体なきお心遣い、痛み入ります。では早速」

 美しく整った赤毛の長髪に煌めく小さな髪留めを外し、リボンを巻き付ける。馬の尾のように垂れた赤毛が愛らしい。

「よく似合っておる」

「……ありがとうございます。ああ、できますならばお供をして、世界中を回りたい……」

 猫と人の特徴を併せ持つ瞳いっぱいに涙を溜め、娘は呟く。

「余は構わん。来るか」

「……いいえ。わたくしはわたくしが決めたことを貫き通さねば。貴方をびっくりさせたいのです」

 なれど、と言葉を切り、転移術を行使して幌に巻かれた武器を呼び寄せた。

「貴方様に相応しき魔剣を拵えましてございます。最初の贈り物とすれば無骨極まりますが、お持ちくださいませ」

「幌を通してさえ魔力があふれておる。よき業物だ、感謝するぞ」

「万に一つお困りの際は、その件にお声をおかけください。微力なれど、万難排して馳せ参じます」

「まこと有り難きことだが、そなたはここでおとなしく待つのではないのか」

「ローレンス師にそのように申しましたら、『そんなつまらん女になるつもりか』とどやされました。……ちょっと複雑です」

「ほう、ヤツもなかなか言うではないか。そうか……ヤツも強き女子が好みか! フフフ、ハハハハハ!」

 魔導師部隊を仕切る幹部ことローレンスは、魔王が自分の名前を覚えているころからの悪友であった。

「『逆鱗を撃ち貫く女子おなごでなくば娶らん』のだそうで」

「何年かかるやらな、ハハハ! ……ふむ。ちと悪戯を施してから発つと致そう」

 転移術を唱えてどこかへ消え、わずかな間を置いて戻ってきた。

「如何なる悪戯を?」

「地下の湖に異界との通路を開いておいた。時と場合に応じて様々な場より物品が流れ込み、また客人も来よう。こちらから出向くも自在である。軍の者も使ってよい、どうしてもヒマなら遊びに行けと伝えよ」

「魔王さま、よろしいのですか」

「うん?」

「もし、わたくしが異世界寄りの客人に現を抜かして、あなた様を忘れてしまったら」

「些事である。知っているだろう、我ら魔族にとって恋多きことは何ら恥じることではない。実際、余の家系にも女好きの困ったのがいてな……」

「ええっ!? 嘘ぉ!?」

「嘘ついてどうする。お前はお前の好きに動けばいいのだよ。思う通りにすればよいのだよ。シェリーに昔から憧れていることも知っているさ、フフフ」

「な、なぜそれをぉぉ~」

 ロデルは頬を盛大に赤らめた。

 シェリー=シュヴェアートは魔王の異母妹にあたる龍人―ドラゴンの血を引く亜人―の魔法戦士だ。

 常に力を抑えているせいでたおやかに見える美女であるが、最精鋭たる龍人部隊を一身に率いる実力は、君主たる異母兄に匹敵すると言われている。

 立ち居振る舞いやその他もろもろのことを教え、姉の如く育ててくれた王妹に対する彼女の憧れは、王に対するそれと同一のものである。

「じゃ、じゃあ……フラフラしててもいいんですか?」

 直接に言って恋愛感情であるが、まさかそれを持ったままで良いなどと言われるとは想像もしていなかった。

「男ばっかのハレム作るってんじゃねぇんだ、百合趣味くらい持ってたっていいじゃねぇかハハハ!」

 冗談めかして肩をばんばん叩いてくるが、その態度にさえ思いやりと好意を感じる。

 何もかも全部をひっくるめて、『好きにしろ』と言う。

 幸せになれる道を何本も見つけて、同時に辿れるならばそうしてみよ、と、言うのだ。

 そうして、ロデルは思考する。

――魔王さまは、ずるいひとだ。でも、嗚呼、なんてことだろう。このひとには決して敵わない。誰であろうと、『魔王からは逃げられない』んだわ――

 赤毛の猫娘は、少し息を吸い込んで、言った。「承知いたしました。わたくしはわたくしの思うまま、良き女子となりましょう」

「よく言った。それでよい、ロデル」魔王は目を細めて頷く。

「どんな夢に満たされようとも、この心はお前のものだ」

「……どれほど遠きにありてもお慕いいたします、我が王」

 抱きしめられた腕の中で背を伸ばし、少年の姿をした王の額にくちづける。

「お行きください。わたくしがこれ以上、貴方様をお引止めせぬうちに」

 相分かったと頷き返してから身を離し、魔王は長距離転移術を行使した。

2015/07/17 09:58 投稿

2015/07/29 10:52 誤字修正

2015/07/31 11:04 誤字修正

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