六、植田環生
この物語はフィクションです。
小学生までは、珠緒という双子の姉がいた。俺と同じくらいの身長で、はかなげに笑う姉。俺も当時は小柄だったけれど、珠緒はそれ以上に細くて折れそうだった。生まれつき、右耳の後ろに変な形の痣みたいな染みがあり、それを意識して隠そうと、よく耳元に手をやっていた。
いや、今考えてみれば、あれは必死に声を拾おうとしていたのかもしれない。あの染みの意味することを、今ならうんざりするほどに承知している。
小学最後の夏休みの直前、急に「頭が痛い」と言い出して入院し、そのまま呆気なく逝ってしまった。力なく横たわる姉の姿を呆然と眺めていると、ふと右耳の染みが消えていることに気がついた。
死んだら消えるのか。不思議に思いながらも、他の誰も気にする様子はなく、どことなく気味悪かったので、自分からあえて誰に言うこともなかった。
だが、葬式が終わり、しばらく経ってから、その染みのことも忘れかけていた頃、自分の右耳が異様に熱を持ちはじめ、次第に痛みも現れたことで急激に怖くなり、慌てて両親に報告した。すると珠緒と同じ病にかかったのかもしれないと、動揺しながらも病院へ連れて行かれた。結果はどこにも異常なく、しかし、両親はなかなか納得できずに「もっとよく診てくれ」と、いくつかの病院を転々とした。
そのうち痛み以外にも異変が出てきて、幻聴がきこえるようになった。それは俺の精神を確実に削っていき、最終的にはあまりにも酷くなってしまったために、俺は両親の手によって精神科にぶち込まれそうになった。それをすんでのところで防いでくれたのが、大元さんだった。
彼女の話しによると、俺を見つけ出したときには錯乱が激し過ぎて、結構ギリギリの状態だったのだそうだ。実は自分のなかで、その時期の記憶はすっぽりと抜けている。脳が拒否反応を示すほどに悲惨な状況だったのだろう。
「植田君は人よりも霊界に近くて、引きつけられやすいみたい。珠緒ちゃんが亡くなってからは、その霊能力が移行したから、ますます霊を引きつけているわ。でも、なぜ低級な霊ばかりなのかしら……?」
そんなことも言われたが、大元さんの手解きによって心霊は徐々に向上していき、高校に上がるときには日常生活に支障を来さないくらいに回復していた。右耳の痛みも落ち着き、今のところ低級な霊に引きずられることもない。ただ、大元さんに確認してもらったところ、うっすらと染みが残っているらしい。
何はともあれ、俺は基本、大元さんに頭が上がらない。それ以前に霊媒師の師匠として尊敬しているし、逆らうなんて恐れ多くてとてもできない。だから黒川に初めて会ったとき、そのあまりにふてぶてしい態度にびっくりしたのだが、それはそれで彼らしいと、今では慣れっこになっている。かと言って、たまにさらっととんでもないことを言ってくれたりもするので、そのたびにヒヤリとさせられて心臓に悪いのだが。
今現在、俺は芸術系の専門学校に入学し、親元を離れている。というのも両親は珠緒を亡くしてから、ずいぶんと熱心なクリスチャンとなり、それによって反りが合わなくなってしまった。キリスト教では霊界が認められていない。大元さんと仲良くすることで、両親は良い顔をせず、あるとき面と向かって霊界を完全否定されたため、ついに反発してそのまま家を出た。ここらへんが黒川の現状と似通っており、だから俺は黒川に親近感がわいたのだ。
生活費はすべて自分のバイト代でまかなっているので、結構カツカツだったりする。あまりにどうしようもないときには、大元さんのところにお世話になりに行ったりと、本当にもう逆らえない状態だ。
そういえば、最近優が俺のそういう事情を大元さんからきいたらしく、「たまにはご飯食べにおいで」と、大変ありがたいお言葉をいただいたのだが、その背後にある恐ろしい影に怯えつつ、泣く泣く丁重にお断りした。
高校生の優は、大学三年になる兄の直人と二人で暮らしているのだが、両親からの仕送りも受けている。俺にはそれがないのだということが、少なからずショックだったらしい。なんて優しい子なんだろうと、本当は頭をなでてやりたいくらいだったのだが、さすがに命は惜しいのでその場で我慢した。
家出して初日、俺を一時的に泊めてくれると言って出迎えてくれた大元さんは、とても悲しげに見えた。
――ごめんなさい。私のせいで、家族をバラバラにしてしまった……
――大元さんが気にする必要はないですよ。向こうも俺も引くつもりは一切ないし。それは俺たちの問題であって、仕方のないことですから。
――仕方のないこと、ね……
大元さんはふと遠くに視線を合わせたかと思うと、しばらくしてからまたこちらに目を合わせて言った。
――どうしてこんなにもバラバラになっちゃうのかしらね? 本来はどれもが正しいはずなのに……霊界を信じない、無神論者や唯物論者たちにだって、人の役に立とうと頑張る人は多いのよ。その思想の中に神という存在がないという違いで……目指す目標は同じ、世界が平和になるようにと。
急に話題が変わってきたので、俺はどう返せばいいのかわからなかったが、それにかまわず大元さんは苦しそうに言葉を吐き出した。
――そもそも人間始祖が堕落しなければ、宗教なんてものも必要なかったんだよ。ねぇ、そう思わない……?
優:「ねぇ、今夜はカレーにしようと思うんだけど、良かったらどう?」
環生:「えっと……行きたいのは山々なんだけど……」
優:「?」
環生:「(直人が怖すぎてマジで無理です(泣))」