十三、決意
あれから半月が経った頃、環生が黒川に話したいことがあるからと黒川のアパートを訪れて、久々に互いの顔を見合わせていた。六畳の狭い部屋の中、二人の間にはぎこちない空気が漂っていたが、環生は意を決して話し始めた。
「あれからな、鵺のことをずっと考えていた」
黒川はきいているのかいないのか微動だにせず、ただ視線を下の方に向けたまま沈黙を守っていた。
「もううろ覚えなんだけど、昔、大元さんからきいた話があるんだけどさ……ある映画の話。俺には観てほしくないからって、タイトルは教えられなかったけど……主人公の男性はとても人生に成功した人間で、恋人もいて順風満帆だった。そんなある日、謎の男が現れて、主人公にいろいろと悪知恵を囁くんだよ。主人公はそれに従っていって、最終的には破滅する。恋人も自殺して、それで主人公は男に『これも全部お前のせいだ』って言うんだよ。そしたら最後、謎の男は『俺は何もしていない。ただ、お前が喜ぶだろうなと思うことを言っただけだ』って立ち去るんだ……その男の姿がまさにサタンだと言っていたよ」
そこで一息ついた環生は、「これからが本題だ」と深刻な表情でまたさらに話し出した。
「鵺もそんな感じだった。サタンとか悪魔みたいな……でもさ、鵺の過去を見たときに何か感じるものがあったんだよ。鵺だってもともとは人間だったから、あり得なくはないよなとか考えたりして……」
「それで結局何が言いたい?」
しびれを切らしたように黒川が口を挟んできた。切れ長の目が環生を射抜く。
「……鵺が鬼部に虐待されていたとき、火傷で耳が酷いことになっていただろう。それでさ……もしかしたら、俺にも関係しているんじゃないかと思って……」
「は?」
黒川はまったく意味がわからないというように顔をしかめた。環生自身、説明が下手くそだなと感じていたが、それでも話すことに抵抗があってなかなか前に踏み出せないでいた。
「黒川には話したことなかったっけ? 俺の耳にも変な痣みたいな染みがあるんだよ」
そこでようやく、黒川にも環生の言いたいことが伝わってきたようだった。環生は一瞬だけためらった様子だったが、やがて右手をゆっくり持ち上げると、普段は茶髪の髪に隠れていた部分を掻き上げて見せた。黒川の眉根がぴくりと動く。
「遺伝? とかそんな類のものなんだろうな。大元さんにも相談してみて、確認してもらったら……見事にビンゴだった」
鵺にも子孫はいた。正式な婚姻関係はなかったが、彼は一人の女性との間に子どもを儲けており、その末裔が植田家だったのだ。家系をさかのぼっていくと、しばらくは殺人や色情因縁などの強い血統が代々と続いていたようだったが、鵺の相手の女性が品行の正しい人間であったために、その恩恵のおかげで時代が経過するうちに善人も現れてきたのだという。現に、環生の両親はクリスチャンへと導かれている。
「鵺はたしかに悪魔みたいな奴だ……だが、間違いなく俺の先祖でもあって、あいつがいなければ俺という人間は存在しなかった……」
鵺にも大切に思う女性がいたのだ。しかし、結果的に彼の心は深い怨恨と憤怒と憎悪に満たされてしまった。その背景にもまた、人知れない悲劇があったのだろうが……大元が環生に対してその詳細を伝えなかったのは、語ることが憚られるくらいに悲惨な出来事だったからだとも考えられる。そうでなければ、あんなにも絶望して深いところまで堕ちていくものだろうか……
これも大元に教えられたことだが……『うらみ』と一言で言っても、それには二種類のものがあるという。
鵺が抱いているのは『怨』のほうであって、それは「自分は愛されなかった」「一生忘れられないほどの酷いことをされた」といった、自分から他人へと向けられる感情だ。それは炎のように燃え上がる心情であって、復讐を果たすことによって晴れる怨み。
だが、『恨』とは自分に対して向けられる感情であり、たとえばクロのように「幸せにしてあげたかった人が結局は幸せになれなかった」「幸せにできる可能性があったのにそれができず、永遠に叶わない願いとなって残った」ものだ。それは自分の内部に沈澱し、まるで雪のように切々と積もっていく情の固まりである。そして望みが叶えられなければ解くことができない。
「そんな話は初めてきいたが……」
黒川が眉根をひそめながら話をきいている。環生はうなずきながら、また先を続けた。
「俺も初めてきいたときにはよくわからなかった。実は今でも、俺自身はっきりと区別がついているとは自信持って言えないんだけど……韓国では『恨の民族』として、二つのうらみの違いを教えられるんだとか言っていたよ」
「恨の民族……」
黒川は困惑したような顔になり、それを見た環生はふぅと長く息を吐いた。
「まあ、小難しい話は終わりにしようぜ。俺も上手く説明はできないから……とにかく、俺が言いたかったのは鵺の血が俺にも流れていましたって事実と……」
環生は黒川に、すっと澄んだ瞳を向けて、その様子はまるで彼の師匠と似たような雰囲気を醸し出していた。目の前の青年から自分の知らない一面が垣間見えて、そのことに気がついた黒川は思わず息を飲む。
「あとな、俺は決めたよ。鵺の『愛されなかった怨み』を解くためにこれからも修行する。以上が決意表明。黒川鉄矢……俺の遠い親戚だったってことで伝えにきた!」
にっこりと笑った環生の太陽のような笑顔に、黒川はまぶしそうに目を細めた。そして短い沈黙の後、
「……わかった。何か俺に協力できることがあれば言ってくれ……環生」
「おう、ありがとうよ! これからも仲良くしようぜ、兄弟!」
そう言って、いつか一緒に行った動物園でやったみたいに黒川は背中をパンッと軽く叩かれた。それはとても心地の良い音であり、二人の青年は何か吹っ切れたような、爽やかな表情で笑い合っていた。
鵺の怨みが果たして一代で晴れるものなのか、わからない。容易に晴れる怨みでもないことはわかっている。それでも、鵺とクロ、夕や鬼夜といったそれぞれの子孫たちがこうやって巡り会えたということは、つまりそういう「時」が来たからなのかもしれない。ぐだぐだと考えていても始まらない。たとえどんなことがあったとしても、せっかく与えられた「時」を逃してはいけないのだ。
私自身、怨と恨の違いを消化しきれていない部分があるのですが……
怨の場合は、たとえその怨みが晴らされたとしても、それは暗い喜びであり本当の意味で救われたとは言えないのではないでしょうか。
逆に恨は望みが叶えられたことによる救いなので、最終的には鵺も恨を抱いていたことになり、恨を晴らすことで救われるという……
これ以上考えると、ますますわからなくなるのでやめます(笑)
すみません;




