11章 訓練 ⅲ
体が軋んで、指一つ動かすだけでも辛かった。
訓練場までの道のりで、蓮華は少し息切れし始めていた。これではいけない、と慌てて頭を振るが、水をかぶっても覚めない眠気がそんなことで紛れるはずもなかった。気分だけでも落ち着けようと蓮華は、深く息を吸った。
無理もない。もう、丸三日まともに睡眠を取ってない。二日後には戦場に赴くのだから、命のリスクを少しでも軽くできるなら不満を漏らすことは出来なかった。
しかし、ありえない程の短期の訓練で、戦場を駆け回るまでめざましい成長をとげることが出来るのか、と考えた場合、蓮華にはどうしてもそうは思えなかった。今更、一人増えたところで何が変わるというのか。そう思ってしまうと、それがどこまでも真実のように思えて、蓮華はこの時間は意味があるのだろうか、と疑惑を抱いた。いくら膨大な『魔法』を受け継いだとはいえ、それを使いこなせなければ意味はない。そんなことは戦に疎い蓮華にでさえ分かった。
訓練場に到着し、柔軟体操をしながら自分の見解に蓮華は我慢しきれず、言葉が口を衝いて出た。
「パンタさん、私の『魔法』って……、役に立つの?」
蓮華の特訓メニューを確認していたパンタが、見ていた資料から顔を上げた。
「自分が、役に立たないって思う? レンガ」
藪をつついた気分になって、顔を合わせないまま蓮華は口を尖らせた。
「分かんないから、聞いてる」
パンタの『魔法』がどれだけのものなのか分からない上に、基準となるものが蓮華には皆目見当もつかなかった。それでも、こんな言い方では呆れられるだろうか。
パンタは、呆れも笑いもしなかった。
「優秀よ、あなた」
簡潔に述べられた感想に蓮華は怪訝な目をした。持ち上げられているのだろうかと思ったのだ。
「……そうなの?」
「調子に乗って緊張感を損ねられると困るから、今まで言わなかったけれど……自信喪失されても困るわ。今のあなたは平均の兵士よりランクは上よ」
「へ」
思いがけない言葉に蓮華は目を点にした。今までノーコンだの注意力散漫だの罵られた日々を思い出すと、パンタの発言は到底信じられないものであった。そんな蓮華にパンタはあることを指摘した。
「レンガ。あなた、普段から体鍛えてるでしょう。
最初に言ったことを覚えてない? 『魔法』は体力を消費するのよ。いくら魔力を持っていたって、それを使えるだけの身体能力がなければ駄目。
今のあなたは通常の兵士の、二、三倍は魔力放出限界量を上回っているわ。そして、それに見合う体力も。
正直、期待以上の戦闘力をあなたは持っていて、私もかなり驚いてる」
……まさか、地球に居た頃の習い事がこんな所で役に立つとは。蓮華はそんな思いで唖然とした。心の隅でそれをどこか嬉しく思った。
しかし、安堵したのも束の間、パンタは容赦ない言葉を浴びせた。
「それでも、きっとその力の十分の一も出せないでしょうね。
――あなたは戦場を知らなすぎる」
「……!」
そうだ、と今更ながらに蓮華は自覚した。
(この魔法は……、人の命を奪うものだ……)
その思いがじわじわと心を締めつける。一人より、もっと大勢を。
「……人に、向けるものだということを、よくよく考えなさい。『魔法』はおもちゃじゃないのよ」
素直に頷くことが出来なかった。蓮華は『魔法』を習うことが楽しかったのだ。新しい世界を、もっと純粋に楽しみたかった。
――蓮華は、兵士になりきれていなかった。
そんな心境を知ってか知らずか、パンタは訓練の準備を整えていく。
「さ、もう始めましょう。
……今日で、最後よ。明日の早朝には、ここを発つわ。
今日が、最後の、あなたの命を守る訓練」
考えている暇はない。蓮華は歯を食いしばって、全身痛む体を前に向けた。
頭の違和感を確かめる余裕は残されていなかった。言い慣れた『ウーファ』を唱えて、初めて描いた陣より多い線を掲げ、なぞり始める。
何かが、違う、と叫ぶ心は、無視するより他になかった。