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黒戦記   作者: 子音
1章
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10章 事始めⅱ

 勢いよく開け放たれたドアに、パンタは目をしばたかせた。勢いに乗じて、蓮華は叫ぶ。

「パンタさん! 『魔法』を教えて!」

 パンタは何も書かれていない紙と、ペンを手に持ったまま、口を大きく開けてひとしきり呆けた後、身をかがめて、体を震わせ始めた。

「あなたって、ほんと、予想外」

 どうやら、笑っているらしい。少しすると、笑い声がかがめた背中から漏れ出す。蓮華は何とも言えない顔をしながら、笑い声が収まるのを待った。

 しばしの笑いの後にパンタが腰を持ち上げて、涙をぬぐう。

「こんなに早く来るなんて、思わなかった」

 パンタは蓮華を部屋に通しながら、困ったようにそんなことを言った。蓮華はこれまでの出来事を思い出して、その無責任な態度に、腹立たしいよりは不信感を募らせた。

「逃げ出すとか、思わなかったの?」

 事実、一度詰所を離れたのだ。行動を規制されていた身としては、拍子抜けも甚だしい。それにパンタは笑みを崩すことなく、蓮華に椅子を薦め自身も腰かけた。

「それでも、いいと思ってたのよ」

 それに蓮華は、分からない、と体ごと横にひねった。

「あの光景に逃げ出す者は今まで何十人と居たわ。でも、戦場でそれでは、確実に命を落とす。使い物にならない兵士を置いても意味はないし、『石』はこちらにあるのだから、あなたが逃げてもデメリットはなかったの」

 勝手な言い分ではあるが、最もではある。それに自分が絶対的に国にとって必要不可欠な存在ではないのだ、と蓮華は悟り、脱力感と共に安堵した。

「そっか」

「ええ。それじゃ、始めましょうか」

 パンタは椅子から立って、勉強机に積んである何冊かの本と羅針盤のようなものを持って蓮華の近くにある小さなローテーブルにそれらを置いた。自身も近くに椅子を移動させ、再び座る。

「まずは、あなたが向かうであろう戦線について。ここね」

 パンタが地図を広げ、とん、と指し示したのは六角形の東側、ムスペルの領地だった。

「……自国じゃ、ないの?」

 戦局が不利、と言っていたのに、守りではなく攻めるのか。蓮華の疑問に応えるべく、説明のためにパンタは前に身を乗り出した。

「そうね、じゃあまずは今の戦局について、説明しましょうか。今、ヨーツン国内で戦闘が行われているのは、北のニヴル側の国境付近のロプニル砦、もうひとつが東のムスペル国境付近のガルフ砦。ガルフ砦はあなた達が、倒れていたグリッテル平原のちょうど南くらいの位置ね」

 パンタがそう言って、地図のヨーツンとムスペルの国境線を下になぞる。

「でも、最近になってムスペルの軍がガルフ砦に投入する兵の数が、徐々に減らされていることが分かったの。気付かれないよう、向こうも色々と工夫をしていたみたいだけれど。それで、どこに減らされた兵はいったのだろうか、ということになったわけね」

 指が国境付近からの中心の泉、ギンヌ湖の近くまで滑らかに動く。

「グリッテル平原は、国境に『迷いの森』と呼ばれる湿地帯を挟んで、ムスペル側にも続いてる。ここを調査した結果、彼らは平原を切り拓いて中心のギンヌ湖まで道を作っていることが分かったわ」

「じゃあ、その、ギンヌ湖を左に回って、ヨーツンの国内に侵入しようとしてるの?」

 その言葉にパンタはかぶりを振った。

「逆よ、旋回するとしたら、右ね。奴ら、ニヴル側から侵入して、ニヴルと共に、ロプニル砦を落とすつもりなのよ」

 まさかの同盟関係にあるわけか。それに蓮華は、頭をもたげた疑念を聞いた。

「だったら、ニヴルの近くから船を出すか、ニヴルに入れてもらえばいいじゃない。どうして、そんなわざわざ遠い場所から」

「奴らの狙いは、あくまで、ばれないようにヨーツンに上陸することよ。ムスペルはグリッテル周辺を越すと、湖沿いには街があって、そこからだと情報が漏れる可能性が高い。ニヴルとムスペルの国境門を開けるなんて、同盟関係にありますと大声で言うようなものだし」

「……なるほど」

 蓮華は、はぁと感嘆の声をあげた。頭を使うのは少々苦手だ。

 しかし、それだと行かなくてはならないのはニヴル側の国境の砦ではないのか。冒頭の場所を思い浮かべて蓮華は顎に手を当て、解説を待った。

 パンタの指が最初に示した場所に戻る。

「開戦は五日後よ。これは遠征し始める時だから、実際の戦日はもう少し後になるけれど。場所はガルフ砦から北の村ミスブラン、とムスペルは通告してきたけれど……、囮ね。もちろんミスブランにも、兵は派遣するけれど、私達はムスペルの兵が集結するであろうムスペル領のソリン砦に攻め入るわ」

 何だか、ややこしい。大体宣告と違う場所が戦地になるなら、通告する意味はあるのか。蓮華がそれを口にする。

「この場合、攻め入ることを伝えることに意味があるの。通告した場所に少しでも攻める姿勢を見せれば嘘の宣告にはならないわ。ようは、体面みたいなものかしら」

「変なところで律儀だね……。でもロプニル砦は守らなくていいの?」

「そちらはフリーカレグ殿に任せるわ。彼なら少数の兵でも多少時間は稼げるだろうし。私達がやることは、ロプニルに兵を投入する大元を早く叩くことで、ロプニルからのムスペルの兵を撤退させること。流石に、自国の国境付近の砦を奪われるのは痛手になるでしょうから、必ずそうすると私達は考えてる」

 加えて砦を制圧できれば一石二鳥というわけか。長い説明を受けて、蓮華は疲れた顔を見せた。それにパンタはくすりと笑う。

「まぁ、戦局を考えることは私達の仕事であって、あなたが深く考える必要はないわ。それよりも、あなたは一刻も早く『兵士』として習得しなきゃいけないことがある」

 それに、蓮華はローテーブルについていた手を膝の上に置いて、かしこまった。

「……『魔法』だね」

「さっき、あなたが教えてと言ったじゃない。時間もないことだし、始めましょう」


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