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黒戦記   作者: 子音
1章
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1章 始まりの時ⅱ

  暑い。やっぱりシャワー浴びてくれば良かったかな。

 蓮華はじわじわと周りの蝉の声を受けながら家の帰路にある並木道をだるそうに歩いていた。

 ふと、顔を前に上げると見知った顔が二つ、こちらを向いていた。

 自分が陰っているせいか、やけに二人が眩しく見える。

「あれは……、樹莉(じゅり)……、と(こう)兄さん? 何してんの?」

 小走りに駆け寄って、自身の兄妹の名前を呼んだ。

 セミロングの髪をかなり上方で結い上げている少女は、まだ幼さの残る顔をぷっくり膨らませて抗議の声をあげた。

「お姉ちゃん、今日早く帰れるって言ってたのに」

 連華が、頭に手を当てながら謝罪する。

「ご、ごめん。他校との練習試合が入ってるの忘れてて……」

 帰りが遅くなったとはいえまだ夕方、何故我が愛しき妹はこんなに機嫌が悪いのか。ちらり、と横の長身に助けを求めた。救助信号を察したのか、連華の兄は穏やかに妹へと声をかけた。

「ま、そう怒るなって。樹莉は早くお祝いしたかっただけだよ、な?」

 そう言って所々はねた髪を少し揺らして、蓮華の兄、藁貴(こうき)は自分の腰辺りにある小さな頭をくしゃりと撫でた。その言葉に、連華は一瞬の動揺を示して、記憶を探った。

「……お祝いって……」

「今日、七月六日」

 流石の藁貴も呆れ顔で、連華の脳が正常に働くのを待った。

「あ、あー……今日、もうそんな日付?」

 やっと思い当たる節があり、機嫌の悪い横顔に声をかける。

 そうか。その月に入ってしまうと、本当に日が経つのは早い。

「……これ」

 まだ顔はそっぽを向いたまま、小さな手は小さなブーケを蓮華の正面に向けた。事前に準備されていたプレゼントに連華は罪悪感を感じつつも、先に礼を述べた。

「ありがとう。

 帰り遅くなって、ごめんね」

 連華がブーケを受け取るのを、樹莉が尻目に黙認する。

「……ほんとにそう思ってる?」

 何とか機嫌を直してもらおうと、蓮華はしゃがんで妹の顔を見上げた。

「ほんとにほんと。ほんっとうにごめんね」

 真摯に迫った連華の声色を感じたのか、顔が徐々に蓮華に向けられる。どうやらお怒りは解かれるかもしれない。何か言いたそうに、手と足をもじもじと動かしている。

「……まだ、家にちゃんとしたプレゼントがあるの。受け取ってくれる? そうしたら、ちゃんと許してあげる」

 にへら、と蓮華は顔を緩ませて答える。シスコンとは、いいものだ。

「もちろん」

 


 

 しゃがんだままの蓮華に、樹莉は今度こそ真っ直ぐ顔を向けて、言った。

「……()ねちゃって、ごめんなさい。

 お姉ちゃん、十七才のお誕生日、おめでとう」


 

 その言葉に蓮華は破顔するしかなかった。




 そうして三人で和やかムードになり始めた時、蓮華は先ほど妹の不機嫌によって粉砕された質問をもう一度訊いた。

「……それで、何してるの?」

 にっこり。顔は笑ったままだが、かもし出されている黒オーラが半端ない。それを向けられた藁貴は思わず後ずさった。

「な、何って……樹莉と一緒にお前を待って……」

「稽古ほっぽり出して?」

 にこにっこり。

 私の誕生日を逃げる口実にしやがってこのやろう、といった思考が読める。これは今すぐ吐かないと、夕飯がどうなるか分かったものではない。そう感じた藁貴は正直に心情を述べることにした。

「……だって親父厳しいじゃん?」

「……そうだね」

 おっと同意が得られた。

「それに、俺もう大学生だし好きにやらせてほしいじゃん?」

「……そうだね」

 おぉこれも通った。

「それに、正直めんどいじゃん?」

「それが一番の本音かぁあ! このなまけものぉぉお!!」

 蓮華は藁貴から見事に本音を引きずり出し、容赦なく一直線に首めがけてエルボーを決めた。剣の道に入って何年も経つ蓮華の腕の筋肉の固さは見事に武器となっていた。

 というか、じゃんじゃんうるさい。

 喉が予想外にいきなりつぶされて、ぐぇっとアヒルのような声を出した後に咳をしながら、藁貴は文句を言った。

「いってえなぁ! いつもは真面目にやってるだろ!」

「嘘つけ! ここ一年三回に一回は逃げてるでしょ! 私知ってるんだから!」

 全くふてぶてしい兄である。

 蓮華は怒り心頭になりながら、我が家である道場を思った。 

 阿修羅(あしゅら)流剣術道場。それが十七年間蓮華が育ち、剣を習った場所の名称である。

 江戸時代前半に完成された流派であるとされているが、多くが習うことを初代が良しとしなかったため、今現在に至って門下生は取っていない。

 と言えば何となく格好よく聞こえるが、打ち合い稽古の相手が親か兄しかいないため実戦に活用出来るかどうかは分かったもんではない。

 しかも扱うのは真剣だ。木刀でやることもあるが、どちらにせよ斬られるかもしれない恐怖を父親が見事に植えつけてくれたおかげで、一般の剣道をやる際に支障をきたすはめになっている。

 斬られることを前提としてきた蓮華には、部活での剣道は新鮮なものだった。

 竹刀が触れて硬直するというデメリットがあっても未だに辞めていないのは、単純に好きだからである。様々な人と戦える喜びを蓮華は初めて知った。

 いつも蓮華が思うのは自分が習ってきた剣術で剣道をしてみたい、というものだ。そうすれば幾らかはマシになるかもしれない。

 儚い夢である。

「おい、蓮華?」

 そこまで考えて、藁貴がひょいと蓮華を覗き込んできた。

 私が剣のことでここまで悩んでいるのに、それなのに、この兄ときたら。

 溜息が出る。

「……大丈夫か?お前、汗すごいぞ?」

 その言葉で思考が一旦ストップした。

「え?……あぁ、稽古の名残(なごり)っていうか」

 そう言いながら、蓮華は襟元でぐいと顔の汗をぬぐった。

「お姉ちゃん汗流してこなかったの?」

 意外といった風な顔で樹莉が聞いてくる。

「んー……今日の稽古もさんざんでさ。正直シャワー借りるのが忍びなくて……」

 樹莉は蓮華の言葉を受けて、いいことを思いついた、と両手を顔の下あたりで合わせた。

「じゃあいつもの川原に寄ってこうよ。夕飯までまだちょっと時間あるし。

 お姉ちゃんは汗を流すため。お兄ちゃんは頭を冷やすため。

 ね、いいでしょう?」

 樹莉がにこやかに言った。

 あれ、俺、今何気に酷いこと言われなかった? そんな藁貴の呟きは、妹二人によって抹消されるのである。


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