ー第7話西堀さん
ー第7話西堀さん
タイフーンアイは、カウンターバーだが昼の12時から営業が始まる。カウンターの中には、チーママの貴ちゃんだけが居る。ドアが開いて、男性が入って来た。
「いらっしゃい。どうぞ〜」
スーツにネクタイの男性は、右足が悪いのかわずかに引きずって、イスに上がった。
「とりあえずビールを…」
「バドワイザーでよろしかったですか?」
「それで…。」
男性は店の中を見渡して言った。
「高宮愛さんは?今日は?」
貴ちゃんは、男性を観察した。日に焼けたセールスマンと言った感じに見えた。
「2時くらいって聞いてますけど、お知り合いですか?」
時計は、12時を20分回った所だ。
「岐阜の方でお世話になりました。5年か6年くらいになります。それ以来です」
「出版関係とか?」
「いや。当時はゲームソフト会社に居ました」
「えっ〜どのゲーム作ってたんですか?」
逆三角形のツンボリ高いグラスに、バドワイザーを注ぎながら貴ちゃんは聞いた。
「一番有名なのは、クライムズかな。最近だと、PC版ゲルググコックピットだな。一部分に関わっただけだけどね」
貴ちゃんは、グラスをカウンターに置いて興奮した。
「ニューグリに居たんですか!スゴイすごいスゴイ!。でも、ゲルググコックピットは今年出たばっかりですよね?」
「元のプログラムは、10年前に仲間内で作って有ったんです。あの頃は、6台モニター並べてやってました」
「へぇ〜無茶しますね。ヒューズ飛ばなかったですか?」
「もちろん、針金に変えました。恐い物知らずでしたから」
「電線燃えるって噂を聞いてますよ?」
「そういえば…焦げ臭かったかな…」
そこに、愛が入って来た。
「あら?愛さん早いですね?」
「例の舞ちゃんを、道子ちゃんが連れて来るの。1時くらいに…あら?西堀さん。ですよね?」
「高宮先生お久しぶりです。岐大病院以来ですね!」
「びっくり!どうしてここに?」
「能登島にタイフーンアイの話を聞いてましてね。梅田に来たんで寄ってみました。高宮先生座って下さい」
愛は、グラスに水をもらって西堀の横に座った。
「美花にレース関係の仕事に変わったって聞きましたけど?」
「えぇ。今もやってます」
「足はもう大丈夫ですか?」
「完全には戻りませんが、日常生活に支障はありません」
「そうですか…今でも思い出すとゾッとします」
「そうですか?当時は平気に見えましたよ?」
「詳しい話を知らなかったからですよ。後から聞いて、震えました」
貴ちゃんは、聞いてない振りをしている。
「実は。来年F1に参戦するんです」
貴ちゃんが反応した。
「それって、トモホリレーシングチーム!」
「よくご存知で?」
「知ってますよ!ドライバー大友康洋のトモと、西堀監督のホリでホリトモ…西堀監督なんですか!。握手して下さい!」
貴ちゃんの右手を、西堀は苦笑いしながら握った。
「貴ちゃん。有名なの西堀さん?」
「F3で4連覇ですよ!しかも、プライベートチームで!F1関係者がアジアで最も危険な男って呼んでる人なんですよ!西堀監督は!」
「危険なんですか西堀さん?」
西堀は笑いながら答えた。
「マスコミが騒いでるだけですよ。実際は、やれるもんならやってみろって所です。外から見る程簡単じゃ有りません。年間最低100億必要な世界です」
「最低?ですか?」
「表彰台に登るつもりなら、それプラスつぎ込めるだけ幾らでもです」
「そんなお金どうやって集めるんですか?」
「すべてのレースマンの夢は、フォーミュラー1で1位になる事です。同じ夢を見てもらうよう説得し続けます。キリスト教の伝道師みたいなもんです」
「来年参戦って事は、集まったんですね!」
「ドライバーが普通じゃないのが、武器になりました。性能で劣る車両で勝つ男です。互角ならって誰でも思います」
西堀は遠くを見つめる目をした。
「イギリスのシルバーストーンを拠点に活動を始めます。鈴鹿には来ますがプライベートな時間は無いと思います」
そこで西堀は黙った。
「今日ここに来られたのは?」
「あの時のお礼を言ってませんでした。ありがとうございました。それから、鈴鹿でF1が一年に一度開催されます。ぜひピットにお越し下さい。パスを用意しておきます。ゲートで名前を言って下さい。通れるようにしておきます。知り合いの方も一緒に歓迎します」
貴ちゃんが興奮した。
「すごい!愛さん。わたし絶対連れてって下さいね!」
「私は詳しくないから貴ちゃんが必要だね…」
愛は西堀を見た。バドワイザーはすっかり気が抜けていた。それを西堀は一気に飲み干した。愛は驚いて目を見開いた。西堀は、グラスを膝に置いた。
「じゃあ行きます!幾らです?」
「あの…」
愛を遮るように、貴ちゃんが割り込んだ。
「私のおごりで〜す!鈴鹿絶対応援に行きますから!」
「貴ちゃん」
「愛さん…チケット幾らすると思ってるんですか?しかも、ピットですよ!。西堀さん行っちゃって行っちゃって!」
西堀はせき立てられて椅子を降り、苦笑いしながらドアを開けた。振り返った顔に、寂しそうな笑顔が見えた。
「待ってます…」
西堀はドアを閉じた。
愛は、急いで西堀を追う為に、椅子を降りた。そこに、道子ちゃんが入って来た。
「道子ちゃん!ごめん!ちょっと待ってて!」
愛は後ろに居た舞ちゃんとおぼしき女の子の横をすり抜けた。
エレベーターは閉まる所だった。愛は、階段を駆け降りる。たこ焼き屋の前で追いついた。
「西堀さん!待って下さい」
黙って、西堀は振り返った。
「西堀さん。どう言う事でしょう?」
「来年。鈴鹿に来た時には、高宮先生を受け入れる状況になります。その時に、求婚します。返事を用意しておいて下さい」
「そんな西堀さん…」
「けじめです。新しい世界に飛び込む為の。過去に忘れ物を置いておくと、気持ちに迷いが出ます。F1で迷えば、命に関わる。何も言わずに行かせて下さい。来年の鈴鹿まで。お願いします」
愛は、それで何も言えなくなった。
揚子江ラーメンの角に、後ろ姿が消えた。
「けじめか…。私は、つけるけじめが増えたね」
愛は、ため息をつきながらタイフーンアイに戻って来た。
「愛さん!まさかビール代払わせたんですか?」
貴ちゃんは怒っていた。
「違うよ。まさかの展開で、ノックアウトされた」
「どう言う事です?」
道子ちゃんと舞ちゃんも不思議そうな顔で見た。
「聞かないで。道子ちゃんのお友達が困ってるから」
丸顔のギャルが顔を振った。
「わたしは全然大丈夫です。席はずします」
椅子を降りようとした。
「待って。座ってて。貴ちゃん質疑応答はお店が終わってからね」
不満そうだが貴ちゃんはうなずいた。
「バタバタしてごめんなさい。あらためて、高宮愛です」
舞ちゃんに、名刺を差し出した。
「どうも。水島舞です」
舞ちゃんは、丁寧に両手で名刺を受け取った。
「やっぱりあの高宮愛さんなんですね…テレビで見た事が有ります」
「そう。知ってもらってて良かった」
「女装さんて初めてなんです。ちょっとドキドキしてます」
知らない振りなのか天然なのか…愛は判断できなかった。
「普通に女の子だから、心配いらないのよ。ここには、危ない人はいないから」
「危ない人もいるんですか?」
「女装っ子の振りして、女の子に近づく偽物がいるの。ひとりで近づくのは危険だよ。見分けがつかないから」
「そうなんだ。ねぇ道子ちゃん。そういうのに会った?」
「いるよ。センス悪いから判るけどね」
「ふ〜ん。おいしいねっカクテル」
舞ちゃんは、道子ちゃんの目をじっと見ている。
「舞ちゃんは道子ちゃんが好きなの?」
「大好きです!すごく優しいし、リードしてくれるし、悩みとか聞いてくれるし。恋人です。完全に。わたしレズとかじゃないけど…道子ちゃんは好き。気持ち悪い?こういうの?」
「嬉しいけど…」
「ビックリするよね。だって女の子どうしなんだもん」
愛は、舞ちゃんが真剣に恋している事を確信した。
「でもウソじゃないから。だから…道子ちゃん。道子ちゃんの彼女にして」
愛に軽くめまいが襲った。
「すごく嬉しいよ。でもね」
「でも?」
「わたしね。愛さんも好きなの。先に愛さんに出会っちゃったから…でも、愛さんには彼氏がいて、片思いだけど」
愛はさらにめまいを感じながら、舞ちゃんの憎悪に満ちた視線を感じた。
「愛さん。道子ちゃんを惑わすのはやめて下さい」
「舞ちゃん。誤解よ落ち着いて」
「どう誤解なんですか?道子ちゃんは、渡しませんよ」
完全に、道子ちゃんに告白された上に、三角関係が発生した。モテ期が来たのはいいが…修羅場まで来てしまった。
救援は無い…。
ー次話!
ー第8話喧嘩別れ