ー第1話新人さん
ー第1話新人さん
高宮愛は、タイフーンアイに入って行く路地を見渡せる'たこ焼きタナチュー'の店先で、たこ焼きを食べながら店のオバチャンと世間話をしていた。
「でさぁ、おかしいのよ……」
愛は、店のオバチャンの視線が動くのを見た。愛は店に向いており、オバチャンは道に向いている。たこ焼きのようじをクワエタまま愛も振り返った。
「あの子まただね。何回目?」
愛は、可愛い丸顔の男性がタイフーンアイの路地を通り過ぎるのを見た。
「4回目だね。一回につき3回通り過ぎて帰ってく。ちょっと多いかな〜。前回で普通は、入っちゃうんだけどね」
「入るのは自分の意志で?」
「リスクの有る世界だもの。自己責任を取れない人間は、入れちゃ駄目なの」
オバチャンは、2回目の彼を見ながら言った。
「目が大きいし、ショートボブでワンピ着たら結構レベル高いんじゃない?」
愛は、少しイラッとした。それが何なのかは思いつかない。
「愛さんのタイプじゃない?似てるな〜」
「誰に?」
オバチャンは、ミナミで女装ショップに居た事がある。
「言わなくてもわかるでしょう?彼も最初はあんな感じだった…」
「誰?わかんない」
3回目に男性は、リュックを背負って、愛に背を向けて路地を見ていた。そしてクルリと回って、愛を見た。
澄んだ瞳が愛を捉えた。胸がキュンとなった自分に戸惑いながら、視線を外せない。
ーいったい何?この子ー
彼は、そのまま愛に向かって歩いてきた。
「すいません。失礼ですが高宮愛先生ですか?」
声も可愛い。
「あっはい。そうです」
「本よませてもらってます。すごく参考にさせてもらってます」
「ありがとう。興味があるの?」
彼は少し黙った。核心にそっと触れたはずだ。
「はい。でも、入れないんです。越えられないんです。越えたら、越える前に戻れないと思うと…」
これだけ素直に自分を言葉にできる女装っ子さんは、初めてだ。彼らは、自分が女の子になりたい欲求を他人に知られる事を最も回避しようとする。
「いい?。ここから先…あの路地の奥は違う世界でも何でもない。いつでも自分の意志で戻って来られるし、本当の一線はもっと先だよ。ここまで来たあなたには、逃げ切る事はできないと思う…でも、誰もあなたの背中を押す事はできないの。差別を受けたり、職を失った人が居るからね。もっと云うなら、体を売ってヤクザに取り込まれたり、暴行されたり。そのリスクを誰も肩代わりは出来ないし、助けてあげる事も出来ない。自己責任の世界なの。冷たいんじゃなく、それでそれぞれが身を守るしかないの」
愛は何度も新人さんに言った文句を、フワフワした気分でしゃべる自分に戸惑っていた。
「でも。愛先生は、助けてこられましたよね?」
「助けられなかった人もいるの。まったく手が出せなかった人もね。突然自殺された事もある。あなたもそうなるかもしれない。だから、背中は押さないの」
彼は、また背中を向けて路地を見た。
「でも。高宮さんが居てくれるんですよね?あの先に…」
「そうね。居るよ」
彼は、振り返らずに歩き始めた。道を越えて、ジャンボカラオケの横を…立ち止まらず。路地の奥突き当たりのビルの中に消えた。
「行ったね。また1人苦労の種が」
オバチャンは路地を見ながら愛に言った。
「史也を救えなかったから…私はやらなきゃならないの。彼が残した仕事だもの」
「女装っ子さんは、誰にも救えやしないさ。救えるのは、女装っ子さん自身しかない」
「でも、導く事は出来る。道を照らしてあげる事はできる。それは、私にしか出来ない。浜省の歌がある…」
愛は歌った。
「…星がひとつ 空から降りて来てぇ あなたの道を照らすのよと」
「きっとそうだね。彼が気づいてくれる事を祈るのみ」
愛は、自分の気持ちを思い出した。史也を始めて意識した時の懐かしいフワフワした気持ちを…。
愛もたこ焼き屋を出て、路地に入って行った。それは、愛の最後の恋の始まりとは気づかずに…。
ー次話!
ー第2話 デジャヴ