ー第9話宮村理彩
−第9話宮村理彩
カウンターはすべて埋まっていて、愛はカウンターの中に入っている。愛から一番遠い席に道子ちゃんと舞ちゃんが座っており、店内は女装っ子の話声で溢れていた。
理彩は、忙しく動きながら目の前の男と話していた。
「理彩ママ。彼氏は居んの?」
男は女装子ではない。しかし、女性よりニューハーフが好きな人物だ。
「え〜口説いてるの?ここはハッテン場じゃないよ?」
ハッテン場は女装子と男性の出会いの場になっている。大阪の繁華街のほとんどに有り、目印が有る訳ではない。しかし、そこに居る女装子は自動的に男が欲しいとして認識される。知らない新人さんがトラプルになる場所のひとつだ。
「そんな意味ちゃうよ。純粋にやな〜理彩キレイや思うただけや」
女装子は意外と大阪府の外から来る人が多い。関西弁は店内ではあまり聞く事が無い。
「ありがとう。ビールおごろうか?」
「酒より理彩に酔ってるのや」
「できればお酒の方が助かるけど?」
「駄目や。もう酒なんて効かへん。彼氏にしてくれや」
「その程度の口説き文句じゃぁ落ちる訳にはいかないわね。もう少し腕磨いてね!」
「理彩〜テクニックやのうて、俺のまごころを見てくれ」
「真心ね〜それじゃあ私が酔えないじゃない。自分だけ酔ってればいい人なの?」
「負けたわ。理彩ママにはかなわんわ」
首を振っている男の隣に座っている翔子さんが声を掛けた。
「理彩ママはね。心に決めた人がいるのよ。長年見てるけど、まず口説けた男はいないよ」
「そうか〜待たせるだけの悪い男に捕まってもうとるんやな…理彩ママっいつか助け出してやるさかい待っとけや。腕磨いてくる。勘定してくれ」
男は金を払うと出て行った。
「どこで腕磨いてくるんだろうね?」
「六甲山にでも山籠りするんじゃない?」
「遭難して笑わせてくれるかもよ?」
理彩はこらえきれずに笑った。バンドのボーカルっぽいルックスの彼女が笑うと、ドキッとする程キュートだ。
翔子は、理彩がニューハーフになる前から知っている。まだニューハーフと言う言葉はなく、おかまと言う言葉と、男らしくしろと言う言葉が吹き荒れていた。彼女は幼くしてその中で耐えていた。
「それで?彼氏はどうなの?」
「え〜翔子さんまで口説いてくれるんですか?」
「まさか!おなべの奥さんと子供を捨てるガッツはないよ」
翔子はチラリと理彩の目が愛を捉えるのを見逃さなかった。
「なんだかモテモテで…ドラフト3位って感じ」
「感心しないね。移籍するのが利口だよ」
理彩は呼ばれて、微笑しながら離れて行った。
愛が翔子さんのグラスを見て近づいて来た。
「翔子さん。今日は進まないですね」
半分くらいのグラスにバドワイザーをつぎたす。
「純女さんが入ってるからね。さっきは理彩ママにアタック掛かってたし…」
「舞ちゃん?心配ないと思うけど?なにか気掛かりが有る?」
翔子さんはグラスを、右手でそっと触れた。
「勘ってない?なんか有る…。みたいな」
「有る…今の所わたしは感じないけど?」
愛は店内を見渡した。
そのまま店はラストオーダーが掛かって、理彩ママと愛、心配気な翔子さんが残った。
「無事に何事も無くて良かった」
愛はホッとして言った。
「何が?」
「翔子さんのノセタラダマスの大予言」
理彩は翔子さんを見た。
「翔子さん。こんどは、いつ世界が滅亡するの?」
翔子さんは笑っていない。
「帰り道気をつけて…うぅん送るよアパートまで」
「嬉しいけどイザとなれば野郎だよ?送るなら愛さんを送ってあげて」
そう言った後ドアが開いた。
「もう終わりました。ごめんなさい…徳さん何か?」
背広を着た初老の男が入口から店内を覗き込むように立った。
「理彩ママ。こんな奴見いへんかったか?」
男はカラーコピーを取り出して、右手でぶら下げた。
「さっきの!」
理彩と翔子さんが同時に叫んだ。
「来たんか?何時頃や」
「9時くらいに来て、10時には帰りました」
男はシステム手帳を取り出して、メモした。
「誰か口説かれへんかったか?」
「私が口説かれました」
「そうか。こいつなニューハーフキラー言うて、殺人鬼や。日本人なんやけど、ニューヨークで三人殺りよって国際指名手配されとる。三人ともオカマでな、殺される前に口説かれとんのや。上手い事逃亡して、偽パスポートで関空の税関抜けよった。理彩ママ待ち伏せされとるで。応援呼ぶさかい待ってくれ」
男は無線を取り出して、どこかと通信した。
「せや。梅田堂島呉羽ビルヂング4の3タイフーンアイや。星がママ口説きよった。待ち伏せとる。応援頼む」
無線を切ると男は、入口のドアを開け放った。
「理彩ママ悪いけど協力したってくれ。ケガはさせへんさかい」
愛は恐る恐る聞いた。
「刑事さんですか?」
「せや。手帳見るか?」
「別にいいです」
「お姉ちゃんは、本物やな…最近は判らんのが増えてどうもならんわ」
理彩ママが男の素性を説明した。
「マムシの徳さんって言って、売春関係の有名な刑事さん。若い頃は捜査一課のエースだったんだけど…ちょっとやっちゃって、外されてね」
「若気のいたりや。でも、キレイなオカマさんに囲まれる職場や。陰気な殺人犯より華が有ってええわ」
しばらくして、5人の若い刑事がドカドカと入って来た。
「ご苦労さん。あんたがママか?」
翔子さんに言った。徳さんが訂正する。
「ちゃう。そっちの黒シャツや」
「そうか?じゃあ協力してもらうけどええか?」
若い刑事はチラッと徳さんを見た。
「あ〜徳さんはもうええで、あとやっとくさかい。それで理彩ママやな名前」
徳さんは黙って出て行こうとした。瞬間、理彩の目が鋭くなるのを愛は見た。
「待って。あなたは誰?名乗りもせずに失礼じゃないですか?」
「なんやめんどくさいな。大阪府警の藤城や。話は徳さんに聞いとるやろ?」
警察手帳の表紙が理彩の鼻先に突き付けられた。
「私が協力すると言ったのは、大阪府警でも藤城刑事でもありません。岸谷徳三郎警部補です」
藤城刑事は理彩を黙って睨み付けた。
「そんな目力で、よく刑事が勤まりますね」
「お互い様や。刑事にたてついて…よく飲み屋が続けられるな?」
「刑事にたてついた事なんかないよ。刑事ってのは徳さんのようなレベルの警察官を言うの」
「なら俺達は何や言うねん?」
「岡っ引きだね」
後ろの4人がいろめき立った。
藤城刑事はフッと強面を崩して笑うと…手で後ろを制した。
「時間が無い。本多ぁ!岸谷警部補殿を呼んで来い!」
1人が走り去った。
「宮村理彩か…えぇオカマちゃんやな。俺の好みや。岡っ引きにはお似合いや」
徳さんが迷惑そうな顔で現れた。
「岸谷警部補。理彩ママのご指名や。協力するんは、徳さんだけやそうや。指揮して下さい」
徳さんの顔が締まった。ちいさく…おおきに…と唇が動いた。
「よし。配置は…」
徳さんは別人になって、采配し始めた。
「5分後に配置が完了する。5分後にいつものルートで帰ってくれ。3人で出て、途中で別れて理彩ママが1人になるように。ほなら、自分も配置につくさかい行くで!」
店はまた3人になった。
「根拠ないけど、大丈夫だって思えるのは何?」
愛は店の外に出ながら言った。
「そういうのを確信って云うのよ。本物が発する光の名前」
理彩は穏やかな顔で言った。そして翔子さんが締めくくった。
「ちょっと言い方が臭いけど、良いかもね」
愛は…理彩の徳さんに対する優しさに…異性に対する愛情が湧くのを感じて戸惑った。
次話!
−第10話岸谷警部補