好みを操作する技術
私は現在、古原という名のナノテクノロジーの技術者について調べている。
――ナノマシンによって実現した脳直結インターフェース時代。外部から人格に影響を与える事も可能になってしまった。当然、悪用しようとする人間も現れる。その古原という技術者も恐らくはその一人だ。
私の掴んだ情報では、彼は“人の好み”を操作する技術を開発しているはずだった。今の法律ではグレーゾーンだが、強調するまでもなく問題がある。
例えば、ある特定の企業の商品を好きにさせたり、政治家の支持率を上げたりといった悪用が可能になってしまう。
私は彼の研究内容を記事にして公にし、糾弾するつもりでいる。
私は彼がその技術の実験に成功したというところまでは情報を掴んでいた。がしかし、それ以降は情報が掴めない。技術を確立したからには、彼はその技術を使って恐らくは悪事だろう何かに利用しているはずなのだ。
痺れを切らせた私は、彼に直撃取材をする事を思い立った。言葉の端々からの推測、或いは態度に怪しい点があるでも何でも良い。無理矢理にでも何かしら記事にできれば、彼の悪事の抑止力にできるはずである。そう考えて。
――が、
「ええ、“好み”をコントロールする技術は既に存在していますよ」
彼は悪びれる様子もなく、呆気なくそう認めてしまったのだった。しかも、突然道端で取材を申し込んだにも拘わらず、少しも不機嫌にならず、むしろ上機嫌で私の問いに答えてくれた。
不可解である。
何か裏があるのではないかと疑った私は、「――しかし、あなたはそれを活用している素振りはない」と話を振ってみた。裏で悪事に利用しているのなら、誤魔化そうとするはずだと考えて。ところがそれに彼は、
「いえいえ、私は充分に活用していますよ」
と、そう返すのだった。
「は?」
と、私は思わず疑問符を伴った声を上げてしまった。
「あなたが何処かでその技術を売った形跡もないし、事業も何も興していない。一体、何に活用していると言うのです?」
それを聞くと彼は軽く笑った。
「“事業”ですか。確かに研究当初はそのようなことを考えていました。ですが、今は必要ありません。必要なくなったのですよ。むしろ邪魔だ」
「何故です?」
調べた限りでは、現在この男は慎ましい生活を送っている。大金を稼いでいるようには思えない。彼は静かに答えた。
「記者さん。私はね、“好み”をコントロールする技術を自分自身に使ったのですよ。
すると、どうでしょう? 一気に人生が充実した。例えば、朝パンを食べる。ただそれだけの事で満ち足りて思えるのです。“好み”をコントロールできるようになると、そのような事も可能なのです。大金など必要ない」
その言葉に私は驚いた。
「そんなに素晴らしいのなら、何故、あなたはそれを公にしようとしないのです?」
彼は馬鹿にしたように笑う。
「公にすれば、悪用しようとする者が現れるでしょう? いいえ、仮に現れなかったとしても、この技術を危険視して禁止にしようとする者は必ずいる。
……記者さん。あなたのように」
それを聞いて、私は何故彼が素直に取材を受けてくれたのかを察した。
「自分だけこの技術を独り占めする事に多少の罪悪感はありますが、それでも禁止にされるよりはマシだ。だから早く誤解を解いておきたかったのですよ」
静かにそう述べる彼の姿を見て、私は自分の傲慢さが恥ずかしくなった。
――そして、
もし仮に、彼の開発した技術を適切に使えるくらいこの世の中の人々の頭が良ければどんなに良いかと夢想した。
否、もし人類の頭がそこまで良かったならば、そもそもそんな技術がなくとも、とっくの昔に仕合せな社会を実現しているのかもしれない。




