第七話 「凡人、気づかされる」
王国は、静かに分裂を始めていた。
表向きは同じ命令が出ている。同じ旗が掲げられ、同じ言葉が使われている。だが、現場に降りてくる指示の意味が、場所によって違い始めていた。
王国は、静かに分裂を始めていた。
表向きは同じ命令が出ている。同じ旗が掲げられ、同じ言葉が使われている。だが、現場に降りてくる指示の意味が、場所によって違い始めていた。
前線では「持ちこたえろ」。
後方では「消耗を抑えろ」。
城内では「混乱を招く情報は控えろ」。
全部、正しい。全部、同時には成立しない。
それを最初に言葉として認識したのは、俺じゃなかった。
「ねえ、これ……おかしくない?」
例の女が、俺の机に紙束を置いた。第三観測線以外の記録だ。別の観測役が書いたものらしい。
「魔獣が突破した時刻と、撤退命令の時刻が合ってない。二時間ズレてる」
「記録ミスかも」
「でも、こっちも」
彼女は別の紙を指す。
「被害報告は最小限。でも、実際に戻ってきた兵の数が合わない」
俺は黙って紙を並べた。
ズレている。
偶然にしては、揃いすぎている。
「……消えてるな」
「うん」
彼女は即答した。
死者じゃない。行方不明でもない。最初から、そこにいなかったみたいに。
王国は、負けを隠し始めている。
それは恐怖からじゃない。希望を保つためでもない。
ただ、崩れる順番を先延ばしにしているだけだ。
「これ、書く?」
彼女が聞く。
「書く」
「嫌われるよ」
「もう、好かれてない」
それは冗談でも強がりでもなかった。事実だった。
その日から、俺の仕事は変わった。
戦場の出来事を書くのは同じだ。ただし、書かれていないことにも印をつけるようになった。命令が出なかった時間、誰も触れない損失、都合よく丸められた数字。
記録は、証拠じゃない。
けど、矛盾は嘘より雄弁だ。
数日後、呼び出しがかかった。
記録室じゃない。会議室だ。
長机の向こうに、見知らぬ役人が三人。全員、顔色がいい。戦場を知らない顔だ。
「額賀だな」
「はい」
「君の記録は、現場視点として評価されている」
評価。便利な言葉だ。
「ただし」
来た。
「一部、表現が過剰だ。王国の士気に影響する」
「事実です」
「事実でも、書かなくていいことはある」
俺は、一瞬だけ考えた。
前の世界なら、ここで引いていた。空気を読んで、言葉を飲み込んで、何も変えずに終わらせていた。
でも、ここはもう違う。
「じゃあ、書かない代わりに、何を信じればいいんですか」
沈黙が落ちた。
「……王国を」
「王国は、人です」
言い切った。
「人が判断を間違えることを、前提にしないなら、次はもっと壊れます」
誰かが舌打ちした。誰かが目を逸らした。
会議は、それで終わった。
帰り道、城の回廊で、老騎士に呼び止められた。
「余計なことを言ったな」
「はい」
「だが、必要なことでもある」
彼は低い声で続ける。
「上は、もう勝ち方を考えていない。負け方を選ぼうとしている」
それは、戦争の終盤にしか出てこない言葉だった。
夜、記録を閉じる前に、俺は一文だけ、別の紙に書いた。
――この戦争で、一番危険なのは、敵ではない。
――現実を編集し始めた味方だ。
それを、まだ誰にも渡さない。
いつ出すか。
誰に見せるか。
それを決める権利だけは、手放さない。
凡人は、剣を持てない。
魔法も振るえない。
でも、いつ沈むかを決める言葉なら、まだ持っていられる。
第四話が投稿されていなかったので投稿しました。




