第六話 「王国、軋む」
戦いがなかった日のほうが、この王国はよく壊れる。
城内を歩いていると、それが嫌でも分かる。壁に残った亀裂は直されないまま、割れた石畳には木の板が雑に被せられ、昨日まで兵が詰めていた詰所は、いつの間にか空になっている。人が減ったのか、配置が変わったのか、その両方か。誰も説明しないし、説明できる余裕もない。
戦いがなかった日のほうが、この王国はよく壊れる。
城内を歩いていると、それが嫌でも分かる。壁に残った亀裂は直されないまま、割れた石畳には木の板が雑に被せられ、昨日まで兵が詰めていた詰所は、いつの間にか空になっている。人が減ったのか、配置が変わったのか、その両方か。誰も説明しないし、説明できる余裕もない。
第三観測線は、しばらく待機になった。
理由は単純で、前線が押し返されたわけでも、押し切られたわけでもないからだ。敵はいる。だが、どこまで来るかが読めない。だから動けない。動けないから、余計に不安が溜まる。
兵舎では、噂だけが増えていった。
北の街が半分捨てられたとか、補給路が一つ完全に潰れたとか、王都に使者が向かったが戻っていないとか。どれも本当か分からない。ただ一つ確かなのは、王国が「持ちこたえているふり」を続ける段階に入ったということだった。
俺は記録室に通い続けていた。
戦闘の記録だけじゃない。物資の遅延、命令の変更、撤回された計画、現場と上層の認識のズレ。そういうものを書き足していくと、この国の輪郭が少しずつ見えてくる。
強くはない。
賢くもない。
ただ、すぐには死なない構造をしている。
それは前の世界で、俺がよく知っていた社会の形だった。
「額賀」
昼過ぎ、老騎士がまた来た。
「上が、記録の形式を真似し始めた」
「真似?」
「感情を切り捨てた書き方だ。誰が悪いかじゃなく、どこで判断が止まったかを書く」
それは、少しだけ危険な兆候でもあった。責任を取らないための文章に、変質する可能性がある。
「……歪められませんか」
俺が言うと、老騎士は鼻で笑った。
「歪めるには、細かすぎる。事実が多すぎる」
それは褒め言葉だったと思う。
「しばらく、お前は戦場に出ない」
「はい」
「代わりに、全体を見る位置に置く。王国の内側だ」
内側、という言葉が引っかかった。
前線よりも安全で、前線よりも腐りやすい場所。
その日の夕方、城下を歩く許可が出た。
市は、かろうじて動いていた。露店は減り、値段は上がり、笑顔は消えたが、人は生きている。パンを買うために並び、子供を連れて早足で帰り、兵を見ると視線を逸らす。
「守られてる」からじゃない。
「まだ壊れてない」だけだ。
あの女と、通りで偶然会った。
「今日は、静かだね」
「嵐の前」
「言うと思った」
彼女は、少し元気そうだった。逃げなかったことが、彼女の中で何かを固定したらしい。
「王国ってさ」
彼女が言う。
「思ってたより、弱いね」
「でも、しぶとい」
「それ、どっちが救いなんだろ」
答えは出なかった。
夜、俺はまた紙に向かう。
戦いは書かない。
今日は、王国の音を書く。人が減る音、決断が遅れる音、まだ終わっていないという自己暗示の音。
英雄がいない国は、すぐには滅びない。
凡人が多い国は、簡単には進めない。
その停滞の中で、俺は記録を続ける。
戦うためじゃない。
終わらせ方を、間違えないために。




