第十八話 「壊れる速度」
第三観測線が、観測線として機能していた時間は、もう終わっていた。
第三観測線が、観測線として機能していた時間は、もう終わっていた。
前線は押し返されてはいない。ただ、削られている。音もなく、確実に、判断の余地を一つずつ奪われていく。魔法の発動が遅れ、命力強化の維持が不安定になり、連携は回数を重ねるごとに荒れていった。
敗北の兆候は、派手には現れない。まず「迷い」として出る。
「……次、どっちだ?」
誰かがそう呟いた瞬間、もう遅れている。
俺は後方から全体を見ていた。いや、見えてしまっていた。魔力の流れが、地形と噛み合っていない。魔力網は生き物みたいに揺れていて、修復より消耗の方が早い。
数字にすれば単純だ。
魔力総流量、前日比マイナス二八パーセント。
供給源は生きているが、流れが死に始めている。
「仁之!」
リィナが叫んだ。声が少しだけ掠れている。
「右、もう持たない!」
「分かってる」
俺は地図を見た。紙の上では、まだ線は保たれている。でも現実は違う。線は、引かれているだけじゃ意味がない。人が立てなくなった瞬間、そこはもう空白だ。
「一段、下げる。右は捨てろ」
「……それ、命令?」
「提案だ。聞くかは任せる」
一瞬の沈黙。だが、リィナは迷わなかった。
「聞く。下がる!」
その判断で、数人は生き延びた。だが同時に、第三観測線は“前線”になった。
撤退路が細る。補給が止まる。魔力網の再構築が追いつかない。
壊れる速度が、加速する。
その最中、王国本陣から伝令が来た。顔色が悪い。声も落ち着いていない。
「第三観測線の記録を……即時提出しろと」
俺は一瞬、言葉を失った。
「即時?」
「はい。戦況判断に使うそうです」
使う。
捨て駒の記録を、ようやく。
皮肉だと思うより先に、理解してしまった。王国は、もう賭けに出ている。正確な情報を欲しがる段階は、とっくに過ぎている。ただ、「どこまで壊せばいいか」を測っているだけだ。
俺は紙をまとめ、渡した。
渡した瞬間、立場が変わったのを感じた。
守られる側から、使われる側へ。
だが同時に、無視されない位置に来た。
「……なあ、仁之」
夜、短い休止の合間に、リィナが隣に座った。鎧を外す余裕はない。ただ、背中を壁に預ける。
「私さ、正直、よく分かってない」
「何が」
「魔力のことも、この戦争の終わり方も」
彼女はそう言って、少しだけ笑った。
「でもさ。あなたが“これはもう駄目だ”って顔するときと、“まだ崩れきってない”って顔するときの違いは、分かるようになった」
胸の奥が、わずかに痛んだ。
「今は?」
「……まだ、後者」
俺は息を吐いた。
「なら、立て直しじゃない。遅延だ」
「遅延?」
「終わりを、少し後ろにずらすだけの作業」
「それ、意味ある?」
俺は答えた。
「ある。生き残るやつが、変わる」
彼女はその言葉を、ゆっくり噛みしめた。
遠くで爆音が鳴る。第三観測線のさらに前が、完全に潰れた合図だ。
戦争は、次の段階に入った。
もう、防ぐ話じゃない。
どこで、誰を、どう残すかの話だ。
そして俺は、その中心に立たされ始めている。
記録係として。
判断の補助として。
壊れる速度を、測る人間として。
凡人が、最前線に立つ理由なんて、それで十分だった。




