第十二話 「戦争の結末は、準備の段階で決まっている」
その朝、俺は記録室ではなく、城壁の内側にある半壊した詰所にいた。瓦礫を避けるために設けられた臨時の作業場で、紙とインクを広げ、昨夜から続く数値と報告を淡々と整理していた。城の中は騒がしいはずなのに、この一角だけが妙に静かで、その静けさがかえって不吉だった。
その朝、俺は記録室ではなく、城壁の内側にある半壊した詰所にいた。瓦礫を避けるために設けられた臨時の作業場で、紙とインクを広げ、昨夜から続く数値と報告を淡々と整理していた。城の中は騒がしいはずなのに、この一角だけが妙に静かで、その静けさがかえって不吉だった。
「……また数字?」
背後から声がした。振り返らなくても分かる。リィナだ。鎧は着ていない。前線に立つ人間の装備じゃないが、目だけは何度も死にかけたやつの色をしている。
「数字は嘘をつかないからな」
顔を上げずに答えると、彼女は俺の隣に腰を下ろし、紙の上を覗き込んできた。
「でも、意味が分からないまま置いていくんでしょ。……魔力流量、前日比マイナス二八パーセント。
これって、何がそんなにまずいの?」
いいところを突いてくる。だからこそ、ちゃんと答えた。
「魔力はな、リィナ。個人が好き勝手に振り回す力じゃない。この国じゃ、魔力は全部“契約”で回してる」
「契約?」
「兵士、魔法使い、術式、城壁、防衛陣。その全部が互いに繋がって、誰がどれだけ力を使って、どこへ流すかを決めてる。それが魔力契約だ」
彼女は首を傾げた。
「繋がってるって……そんなに?」
「血管みたいなもんだ。一本詰まれば、別の場所が壊れる」
俺は紙の端に、簡単な線図を書いた。
「で、その契約を束ねてるのが魔力網。王国全体に張り巡らされた、見えないインフラだ。道路より厄介で、壊れてもすぐには見えない」
リィナは小さく息を吸った。
「……だから、勝手に力を使うなって訓練で言われてたんだ」
「そういうことだ」
俺はペンを置いた。
「前日比マイナス二八パーセントってのは、昨日まで普通に動いてた部隊が、今日は三割近く力を失ってるって意味になる。魔法の威力、持続、補助、全部が落ちる」
沈黙が落ちた。
「……それ、戦う前から負けてない?」
「負け始めてる、が正確だ」
俺はそう言い直した。
「戦争は、戦場で始まる前に決まる。魔力流量が安定してない時点で、もう致命傷なんだ」
その時、遠くで警鐘が鳴った。一つだけじゃない。間を置かず、二つ、三つと重なり、城全体が遅れて異変を理解し始める。
同時に、胸の奥が冷えた。魔力網が、今この瞬間に沈み始めている。破壊じゃない。断絶でもない。もっと厄介な、組み替えだ。
「……リィナ、立て」
「え?」
「戦争だ」
詰所の外を、兵士たちが走り抜けていく。
「北門、魔力契約更新不能!」
「西補給都市、防衛術式停止!」
「前線との魔力通信、途絶!」
城が、音もなく壊れていく感覚があった。壁が崩れる前に、仕組みの方が死んでいく。
俺は紙を掴み、記録を始めた。
魔力網が切られている。だが単純な破壊じゃない。誰かが、この国の魔力契約を“戦争ができない形”に書き換えている。
「……魔法じゃ、ないよね」
リィナの声は、確信に近かった。
「魔法なら、もっと派手だ。これは設計だよ。戦術でも戦闘でもない。戦争そのもののルール変更だ」
その直後、大地が揺れた。爆発じゃない。重く、規則的な振動。敵軍の行軍音だ。
魔力に頼らない部隊。魔力が弱まる瞬間を、ずっと待っていた連中。
「……準備、してたんだ」
リィナの呟きが、やけに遠く聞こえた。
「してた。ずっと前から」
王国軍は応戦した。だが、いつもの戦い方は通じなかった。魔法は遅れ、強化は途切れ、連携は紙一枚分、確実に噛み合わない。その僅かなズレを、敵は逃さない。
最小限の魔力と、徹底した物量。英雄が立ち上がる前に、前提条件を踏み潰す戦い方。
城壁の一部が落ちた。防壁術式は起動条件を満たせなかった。理由は単純で、魔力が足りなかった。
俺は、その事実を書いた。
勝った、負けたじゃない。なぜ、そうなったのか。その順番を残すために。
戦争は始まった。剣が交わるより前に、魔法が飛ぶより静かに。
ここから先、英雄の物語は役に立たない。必要なのは、崩れていく順番の記録だけだ。
俺は書く。それしかできないからだ。




