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凡人戦記― 異世界転生したら崩壊した王国スタート ―  作者: harap1239


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第十話 「書かれなかった行」

王都の空気が、目に見えて重くなった。


朝の鐘は鳴っているのに、通りに人が少ない。市場は開いているが、声が低い。値段交渉も短く、誰も長居をしない。笑顔が減ったわけじゃない。ただ、笑う余裕が削られている。



王都の空気が、目に見えて重くなった。


朝の鐘は鳴っているのに、通りに人が少ない。市場は開いているが、声が低い。値段交渉も短く、誰も長居をしない。笑顔が減ったわけじゃない。ただ、笑う余裕が削られている。


戦況の悪化は、公式には発表されていない。だが、前線から戻ってこない部隊の数と、増え続ける「再編成中」という曖昧な言葉が、十分すぎるほど雄弁だった。


第三観測線は、半ば公的な部署になりかけていた。


俺の机の上には、以前より質のいい紙が積まれ、インクも切らさず補充されるようになった。その代わり、提出先が増えた。参謀本部、王都防衛局、戦術補佐室。名前だけは立派だ。


「ここ、消されてる」


リィナが俺の書いた草稿を指でなぞった。赤い線が一本、綺麗に引かれている。


「南門崩落時の指揮遅延、か」


「うん。これ、原因なのに」


「原因だからだろ」


俺は修正後の正式文書を見た。そこには、「予測不能な敵の奇襲」とだけ書かれている。便利な言葉だ。誰の責任にもならない。


「ねえ仁之」


「分かってる」


俺は、まだ提出していない原稿の束に手を置いた。


「全部出したら、採用されない」


「でも、出さなかったら」


「同じことが、また起きる」


リィナは黙った。否定も肯定もしない。その沈黙が、妙にありがたかった。


昼過ぎ、アルトが来た。


以前より立場が上がったはずなのに、態度は変わっていない。むしろ、余計な言葉が減った。


「仁之、次の会議で使う資料だ」


渡されたのは、俺の記録を元に再構成された戦況図だった。矢印は整理され、失敗の要因は丸められ、勝てそうな雰囲気だけが丁寧に残されている。


「これで、また人が前に出るな」


「そうだ」


即答だった。


「でも、全滅はしない」


その言葉に、怒りよりも疲労が来た。


「それが、選んだ負け方か」


アルトは一瞬だけ目を伏せた。


「生き残った人間が、次を考えるための負けだ」


「都合のいい言い方だな」


「現実的だ」


どちらも間違っていないのが、厄介だった。


夜、俺は一行だけ、正式文書に書き足した。


消されるのを承知で、だ。


――指揮の遅延は、構造上の問題であり、個人の判断ミスではない。


たった一文。責任を誰か一人に押し付けないための、ささやかな抵抗。


翌朝、その行は消えていた。


代わりに、文書の余白に、知らない筆跡で小さな印が付いていた。参謀でも役人でもない、現場の符号。


「……読んだな」


リィナが覗き込んで、言った。


「届いてるってこと?」


「ああ。たぶん、必要なところには」


王国は、もう一枚岩じゃない。上は整え、下は察し、現場は勝手に動き始めている。


英雄が戦争を動かす時代は、とうに終わっている。今は、誰が何を書き、何を消すかで、流れが変わる。


「ねえ、仁之」


「ん?」


「それでも書く?」


俺はペンを取り、次の紙に向かった。


「書かない理由が、なくなった」


凡人の仕事は、派手じゃない。剣も振らない。奇跡も起こさない。


ただ、消されると分かっている行を、それでも書き続けるだけだ。


王国がどんな形で終わるのかは分からない。


でも、少なくとも――

嘘だけで終わらせる気は、俺にはなかった。

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