9 靄
『存在消し』は見えているのに、気付けない認識阻害の効果もある。
次は『冷静の薬』を手に取った。
思い込みや感情にとらわれず、常に物事を客観的に見たり捉えたり出来る効果がある。
別の日、夕食後。
本邸の図書室にあるソファー席に、私とアニュアス様は、並んで腰かけていた。
人払いはしてある。
アニュアス様が本当に王子ならば、絶対に名前が載っている筈の本をテーブルに置いて、目的のページを開いた。
アニュアス様が、本を覗き込む。
「王家の家系図か。」
「はい、アニュアス様の名前は載っていますか?」
「勿論だ。ここ。兄上の隣だ。」
アニュアス様が、王太子殿下の隣を指差すので、目を凝らす。
「空白にしか見えませんが。」
「確かに書いてある。ここだ。アニュアス・ファースと。」
アニュアス様が、指で名前をなぞって、教えてくれる。
「やっぱり私には見えません。では、これを試してみます。」
『冷静の薬』を飲んで、再びアニュアス様の指差した所を見た。
「え!?」
「どうした。見えたか?」
「いえ、空白に見えていた所に、黒い靄がかかって見えます。あと、アニュアス様にも。黒い靄が全身をベールで覆っているように見えます。」
瞳や髪の色、顔形は、ぼんやりと分かるのに、ハッキリと誰か判別出来ない感じ。
「靄?私には見えないが。」
「『存在消し』を使われた本人は、靄の影響を受けないようですね。他にもアニュアス様が関係している物に、靄が見えるか確認したいのですが、贈って頂いたドレスは王都の邸だと思いますし、他に思い当たりません。困りました。」
「私が領地にいるフローラに贈った手紙やプレゼントを捨てていなければ、どこかにあるのでは?」
手紙やプレゼントを贈られていたなんて、知らなかった。
「頂いた物を捨てはしないので、きっと部屋にある筈です。」
図書室を出て、アニュアス様と一緒に、私の部屋へ向かった。
自室に入る前、侍女兼護衛のサリーに、人払いをお願いした。
「お嬢様、人払いと言いますが、夜に、お嬢様のお部屋で、未婚の男女が、二人きりでお過ごしになるのは、如何なものかと思います。」
「では、朝にするわ。本当は直ぐにでもアニュアス様と部屋を確認したいところだけど、我慢するわ。」
サリーに溜め息を吐かれてしまった。
「朝とか夜の問題ではなく、お嬢様の部屋で、男性と、二人きり、が問題なのです。」
「人払いは、心配されるような事をするために、お願いするわけではないのよ。それに、アニュアス様とは何度も二人きりで過ごしているけれど、今まで何も問題は無かったでしょう?」
「それは、そうですが……。」
サリーに鋭い視線を向けられたアニュアス様が、苦笑している。
「サリー、そんなに警戒しなくても、世話になっている恩人を裏切る行為はしないと約束するよ。」
「……そこまで言われてしまうと、侍女の私は引き下がるしかありません。」
渋々サリーは、了承してくれた。
「ひゃ!」
「どうした、フローラ。」
「室内のあちこちに、黒い靄が。」
黒い靄に覆われた何かが、沢山ある。
目を凝らせば、何となく形が見える気がする。
小物?でも、色は分からない。
そもそもこんなに沢山の小物を飾った記憶が無い。
起きて寝るだけの、飾り気の無い殺風景な部屋だった筈。
それが今は、呪われた部屋のよう。不気味で怖い。
「私の贈ったプレゼントが、全て飾られている。」
アニュアス様が、部屋を見回して呟いた。
「そうなのですか?私は今、初めて小物の存在に気付いたのに、短時間でよく、お気付きになりましたね。靄が見えているのですか?」
「いや、プレゼントは全て私の瞳と同じ空色の小物にしたから、直ぐに分かった。」
「なるほど。」
確かに、色を統一していれば、見付けやすい。
「フローラの部屋を私色に染めたくてね。プレゼントした甲斐があったよ。」
色恋に疎かったから、忘れてた!
男性が、瞳と同じ色の小物を女性に贈る意味は、「貴女を私色に染めたい」。
贈られた小物を部屋に飾る意味は、「貴方色に染まりたい」だった!
「小物の数は、想いの強さ」と言われているけれど、アニュアス様ったら、プレゼントし過ぎでは?
私は私で、どうしてご丁寧に全て飾って、アニュアス様が好き過ぎる部屋にしてしまったのか。
恥ずかしいにも程がある。
きっと、何か理由があったに違いない。
「っ、頂き物は大切にするタイプなのです。」
多分。
そういう事にして、取りあえず、気持ちを切り替える。
「それより、手紙も探してみます。ソファーに座ってお待ち下さい。」
私が手紙を仕舞うとしたら、書棚の引き出しの筈。
引き出しを開けると、黒い靄のかかった不気味な手紙の束が見付かった。
手に取るのを躊躇いつつ、取り出して、ソファーに腰掛けているアニュアス様に渡した。
「私には靄で読めませんが、これらはアニュアス様の書いた手紙ですか?」
アニュアス様が、靄に覆われた手紙の束を確認して、頷く。
「確かに私が書いた手紙だ。私には普通の手紙にしか見えない。初めて書いた手紙から日付順に全て取ってあったとは。嬉しいよ。」
「っ、ですから、貰った物は大切にするタイプなのです。誰からの物でも。」
何だか言い訳しているみたいで、恥ずかしい。
「もしかして、他の男からも何か贈られた?」
アニュアス様の声色が、一段階低くなった。何故?
「まさか。そんな物好きな方はおりませんよ。それより、手紙は何て書いてあるのですか?」
今まで認知出来なかった手紙の内容が、普通に気になる。
「自分の書いた手紙を朗読するのは恥ずかしいが、証明の為には仕方がない、か。」
コホンと咳払いをして、アニュアス様が手紙を読み始めた。
「私の愛しいフローラへ。緑を目にすると、君の美しい黄緑の髪と翡翠色の瞳を思い出して…」
きゃあぁぁぁあ!出だしから何を言っているの、この人は――!
「待って!もう大丈夫、大丈夫ですから!」
恋愛小説の朗読かと思った。
「まだ出だしだが?」
「それはもう結構です。他の手紙は?」
「どれも似たような感じだ。」
「でしたら、大丈夫です。」
もしかして、全部恋文なの?それとも、始まりの定型文がアレなの?どちらにしても、朗読は耐えられそうにない。
手紙を返して貰い、サッサと書棚の引き出しに片付けて、ソファーに座っているアニュアス様の隣に腰掛けた。
分かった事や今後について話す。
「私達がアニュアス様や、アニュアス様に関する全てを認識出来ない原因は、人には見えない黒い靄が全てを覆って、隠しているせいでしょう。靄を消せれば、アニュアス様が王家の一員だと証明出来そうですので、先に靄を消す方法を探そうと思います。」
「世話をかけるね。私に手伝える事があれば、何でも言って欲しい。」
とっても有難いお言葉。
早速、お言葉に甘えてしまおう。
「では、薬の効果が切れるまで、暫く、一緒に居て下さいませんか?」
「構わないよ。他にも何か確認したいことが?」
「いえ、その……部屋のあちこちにある黒い靄が、とても不気味で怖いので、効果が切れるまで、お付き合い頂けないかと。」
サリーには、怖い理由を言えないし。
「なるほど。だが、それなら私も怖いのでは?私にも靄が見えるのだろう?」
「アニュアス様の靄は他と比べて凄く薄いので、大丈夫です。」
「そうか、良かった。ならば、部屋ではなく、私に集中しようか。きっと怖さも和らぐ。」
「それはどういう……え!?」
つい、および腰になってしまった。
だって、隣に座っているアニュアス様が、更に距離を詰めてくるから。
戸惑っている間に、アニュアス様の右手が私の腰に回され、左手は私の右頬に添えられた。
近い!すっごい、見てくる!
でも、手を添えられているせいで顔を逸らせないし、逃げられない!
何これ、恥ずかしい!!
「ほら。私だけを見て、私の事だけ考えて。」
「っ~~~」
無理!いや、アニュアス様の事を考えるのが、って意味ではなくて、このまま目を合わせ続けるなんて、恥ずかしくて無理!
「むぐっ…」
思わず両手を前に出して、アニュアス様の顔を掌で覆ってしまった。
「あっ!ご、ごめんなさい。」
慌てて顔から手を離したら、クスリと笑われた。
「構わないよ。まだ怖い?」
「いえ、それどころでは。あ!薬の効果が切れています。」
靄は見えず、小物の無い(実際は見えていないだけ)殺風景な部屋に戻っていた。
アニュアス様が退室した後、急に思い出した。
さっき、アニュアス様の顔を覆った時、思いっきりアニュアス様の唇に、掌を押し付けてしまった!
私ったら、なんて事を。
顔を赤くして、ソファーで転がりまくっている姿を、入室したサリーに見られてしまった。
「あの方、何かやらかしたようですね。」
サリーが、アニュアス様の部屋に乗り込む気満々でいる。
「アニュアス様は何もしていないわ。寧ろ私が……。」
思い出して、また顔が熱くなる。
「まさか、お嬢様から手を出されたのですか?」
「そうね、思わず手を出してしまったわ。」
「え?ちょっと、本当ですか?何がどうなったのです?」
サリーがいつになく、ぐいぐい聞いてくる。
「私の出した手が、アニュアス様の顔に当たったの。」
サリーが途端に、スンとした。
「恋愛経験の無いお嬢様でも、それくらいでは頬を染めないと分かりますよ。」
「だって、掌に唇が触れたのよ!」
「まあ、お可愛らしいこと。サリーは安心致しました。ですが、アニュアス様は、お嬢様に口付けしようと迫られたようですね。」
サリーの笑顔が怖い。手をボキボキ鳴らしている。
「違うわ。本当に手が当たっただけよ。」
距離は凄く近かったけれど。
それは黙っておいた。