7 領地生活
領地到着の翌日から、アニュアス様は私の専属護衛騎士として、常に私と行動を共にするようになった。
勿論、今まで私の護衛をしていたモーリウスや、侍女兼護衛のサリーも、どちらか必ず付いてくれる。
午前中は大体、森で薬草採取をする。
薬草は、我が領地の収入源の一つで、王都にある商会に納品されている。
私が宮殿に納品している秘薬は、商会に納品している薬草とは違い、希少で貴重な薬草が使われている。
毎日足しげく森へ通っても、目的の薬草を採取できない場合も、しばしばある。
だからこそ、見つけた時の喜びは大きい。
「これは!滅多にお目にかかれない薬草だわ!」
手に取って香りを確認する。
「うっ、相変わらず凄く臭い。」
匂いが強烈だけど、解毒効果は抜群。
魔女お手製器具を使って調薬すると、あらゆる毒に有効な、『万能毒消し薬』が出来る。
丸薬にすると、粉よりも飲みやすく、使用期限も延ばせる。
けれど、作るのは、とっても大変。
「その匂い、もしかして、『万能毒消し丸薬』の匂い?」
背後から覗き込むアニュアス様。
強烈な匂いで、眉間に皺が寄っている。
私の反応で、全てを察したモーリウスは、距離を取った場所で待機している。
流石、毎日護衛として付き合ってくれているだけある。
逃げ足が速い。
「アニュアス様、よく御存知ですね。この薬草は『幸せをもたらす』という意味がありまして、希少で貴重な為、滅多に取れないのです。こんなに臭いのに、全然見つからないのですよ。だから、今日は幸運です。」
ご機嫌で採取していると、アニュアス様が私の隣に、しゃがんだ。
「そうか、それは済まないことをした。」
独り言のように呟いたアニュアス様。
何を反省しているのやら、さっぱり分からない。
モーリウスには聞かれたくないのか、急に小声で話し始めた。
「多分、その薬草で作った『万能毒消し丸薬』。フローラが私の誕生日にプレゼントしてくれた物だと思う。」
「え?私がアニュアス様に?」
勿論、覚えていない。
王子に対して個人的に誕生日プレゼントを贈るなんて、好意があると言っているようなもの。
そんな気持ちを私が持っている筈がない。
何が切っ掛けでそうなったのか、非常に気になる。
「私は服用していないが、兄上が毒を盛られてね。」
気になる所、すっ飛ばされた。
それより、アニュアス様の言う兄上って、王太子殿下よね?毒なんて盛られていたの?大ごとじゃない。
「遅効性の毒だったらしく、対処が遅れて、兄上は麻痺で起き上がれず、医師からは、なすすべもないと言われた。その時、フローラから貰った『万能毒消し丸薬』を思い出して、藁にも縋る思いで飲ませたら、兄上はすっかり元気になった。」
王太子殿下が、この貴重な薬草で作った『万能毒消し丸薬』を飲めたのは、幸運だったと思う。
何せ、全ての毒に効果があるのだから。
匂いが強烈で調薬は、とっても大変だけど、王太子殿下を救えたなら、苦労した甲斐があったのでは、と思う。
『万能毒消し丸薬』を作った記憶さえ無いから、何とも言えないけれど。
「瓶を開けた時、飲ませても大丈夫か?と思うほど強烈な匂いだったから、覚えていた。」
遠い目をするアニュアス様に、ふふっと笑ってしまった。
王太子殿下に私の作った薬を飲ませても大丈夫か、葛藤するアニュアス様の姿が見える気がしたから。
「信じて頂けて良かったです。」
「私が兄上に毒を盛って王位簒奪を狙っていると疑う者もいたが、兄上が元気になり、私の疑いは晴れた。我々はフローラに助けられた。」
そう言われても、身に覚えが無いので返答に困る。
「私の作った薬が、お役に立てたようで何よりです。」
薬草を採取しながら言うと、アニュアス様にクスリと笑われた。
何も、おかしな事は言っておりませんが?
「本当にフローラは薬草にしか興味が無い。そんなフローラに私は興味を持った。この令嬢なら、都合が良さそうだ、と。」
都合が良さそうって何?怖い!
確かに王公貴族の結婚は、ほぼ政略だけど、アニュアス様が何を企んでいたのか、聞きたいような、聞きたくないような。
「不安に思わなくて良い。フローラは、私との婚約に乗り気だったよ。」
「え?私が?王子殿下と婚約なんて、畏れ多いのですが。」
「結婚後も実家の領地で好きに過ごして良い。と言われたら、どう?」
「それは、とても魅力的ですね。」
アニュアス様は、またクスリと笑った。
「前と同じ反応だ。」
自分が単純過ぎて恥ずかしい。
「その、つまり、利害が一致したのですね。」
「まあ、始まりはそうだ。さて、次はどこへ向かう?湖の方?」
薬草を採取した袋を、アニュアス様が、サッと持って立ち上がった。
「湖を御存知なのですか?」
稀少な薬草が自生している穴場の一つで、領民も知らないのに。
「去年、領地を訪れていた時、フローラの案内で森を散策しながら、薬草採取にも同行したから、何となく採取場所は覚えている。」
私ったらアニュアス様に、なんて拷問を。
採取場所を覚えるなんて、かなりの回数と時間を私に付き合わせたことになる。
昔、従兄妹達やお兄様を薬草採取に誘った時、「虫は出るし、汚れるし、疲れるし、もう二度と行かない!」と言われた。
モーリウスだって護衛だから、仕方なく付き合ってくれていると分かっている。
アニュアス様だって、本当は嫌だったに違いない。
「無理矢理付き合わせてしまったようで、申し訳ございません。」
「私が望んで同行して楽しかったから、こうしてまた同行しているだけだよ。で、次はどこへ行く?」
本当に楽しんでくれている?でも長時間は腰が疲れるから、そろそろ止めた方がいいかな。
「収穫は十分あったので、もう作業場へ戻ります。」
「そうか、では手を。」
アニュアス様が空いている手を差し伸べてくれる。
その手を取って立ち上がった。
そのまま流れるように手を繋がれて、離してくれない。
「モーリウス、フローラは離れに戻るそうだ。コレを頼む。」
アニュアス様がモーリウスに薬草の入った袋を渡す。
もう片方は私の手を握ったまま。
護衛は表向きで、アニュアス様はお客様として扱う。と知っているモーリウスは、眉間に皺を寄せながらも袋を受け取った。
いつも進んで袋を持ってくれるのに、アニュアス様に渡されるのは不服らしい。
暫く歩いて離れが見えてきた頃。
ズキッ!
「っ!」
また頭痛。幸い、歩けない程の痛みではない。
悟られないようにと思って、歩を進めるけれど、無意識にアニュアス様の手を強く握っていたかもしれない。
「フローラ?」
アニュアス様の窺うような視線に、何とか笑顔で応えた。
何か調薬している場面が脳裏に浮かぶ。
『私はなんて愚かなのか……』
これは記憶?それとも白昼夢?
またズキッと頭が痛む。
今度は、庭園の風景。
『……に相応しくありません』
次は領地の森?話している相手は誰?
『……今の話は』
今回の頭痛は前より続いた。
でも、もう痛くない。
何かを思い出しかけているのに、思い出せない感覚に似て、気持ちがモヤモヤする。
もしかして、『存在消し』の効果が切れかかっている?
それならば良い。でも、こんな症状になる?
「フローラ、顔色が悪い。大丈夫か?」
アニュアス様に心配されてしまった。
「ええ、最近よくある偏頭痛が始まったようです。でも、直ぐに治りますから、大丈夫です。」
「お嬢様、一度お医者様に診て頂きましょう。」
「大袈裟よ。モーリウス、やりたいことをしていれば、いずれ治るわ。」
「しかし……」
「にゃ~」
「あら、ロロ!」
足にすり寄って来たのは、森に住んでいる黒猫。
私が物心ついた頃からいる猫で、昼時になると、度々ご飯をねだりに離れの二階に来る。
森で出会うと、気まぐれに付いて来る。
半分ペットのようで、お母様が「ロロ」と呼んでいたので、私もそう呼んでいる。
首もとを撫でられるのが好きなので、しゃがんで撫でると、気持ち良さそうに目を細めている。
アニュアス様もしゃがんで、ロロの前にそっと手を出した。
「ロロ、私を覚えているか?」
「アニュアス様、ロロを御存知なのですか?」
「勿論。一緒に森を散策している時、黒猫が来て、ロロだとフローラが名前を教えてくれた。それから私達は、離れで昼食を取るようになった。覚えてはいない、か。」
「ええ。何も……」
基本的に部外者、例え王子でも、作業場のある離れに案内しない。
それなのに、離れで昼食を取っていた?
私がアニュアス様に気を許していたとしか思えない。
利害の一致だけの婚約者に?
ロロはアニュアス様をじっと見て、近付きもせず、プイッとそっぽを向いた。
「ロロもアニュアス様を、覚えていないようですね。」
「いや、この反応は覚えている。私はロロに嫌われているからね。」
「そうなのですか?」
「これでも動物には好かれる方だと思っていたが、毎回こんな感じだ。」
「アニュアス様だけではありませんよ。」
「モーリウスも?」
「はい、一度も触らせて貰えません。触ろうとしても、直ぐ逃げられてしまいます。サリーやイヴァン様、旦那様もそう言っていました。」
「ロロ。私とお母様の前でだけ、良い子だったの?」
「にゃ~ん」
喉をゴロゴロ鳴らしながら、掌にすり寄って来るロロ。
「アニュアス様や皆とも、仲良くしてあげて?」
「……」
私にだけスリスリして、全くアニュアス様に行く気配がない。
人懐っこいと思っていたのに、違ったの?知らなかった。
「ロロは多分、いや、絶対雄だ。」
「私もそう思います。」
アニュアス様の言葉に、モーリウスが激しく同意している。
「それなら、サリーは?」
「彼女は、女の皮を被った男ですよ。」
モーリウスが遠い目をした。
「ちょっと、サリーが聞いたら」
「だ――れ――が、男ですって――――?」
離れの方から物凄い速さで走って来るサリー。
鬼の形相をしている。
「待て。サリー、冗談だ!」
「愛する妻に、よくそんな冗談が言えますことで。」
逃げ腰のモーリウスに、サリーが素早く絞め技を繰り出す。
「ぐっ…止め…お前…そういう所…だぞ…」
「煩いわ!」
私にとっては、よく目にする日常の光景だけど、アニュアス様は驚いた様子で、二人を交互に見ていた。
「え?あの二人、夫婦だったのか?」
「ええ、結婚したら私もあんな風に強くなるのでしょうか?お父様も、お母様には頭が上がらない。と言っていましたし、そうは見えませんでしたが、お母様も強かったのかもしれません。」
何となく思い出して口にしたら、突然、アニュアス様に力強く両肩を掴まれた。
とても真剣な、寧ろ切迫感すら感じる表情。
そして相変わらず近い!
「っ、あの、どうかされ」
「フローラは、一生私が守るから、結婚しても、サリーのように強くなる必要はない。剣術や体術、武術も危ないから絶対駄目。良いね?」
「え?ええ。」
あまりの迫力に気圧されて、思わず頷いた後で気付いた。
私にそのつもりは無かったけれど、アニュアス様と結婚後の話をしている。と受け取られても仕方がない発言をしていた、と。
それに対して、一生守るなんて、盛大な告白をついでのように、さらっと言われてしまった。
アニュアス様にとっては簡単に言える、何でも無い言葉でも、色恋に無縁な私を照れさせるには、十分過ぎた。
顔の火照りをアニュアス様に知られたくなくて、モーリウスが落とした薬草の袋を抱えて、一人作業場へと直行した。