5 頭痛
作業場に籠って、私はただ泣いていた。
『どうして……』
ああ、悲しくて辛くて、胸がつぶれてしまいそう。
「……さま、フローラお嬢様、大丈夫ですか?」
目を開けると、そこは自室のベッド。
夢?を見ていたような……。
内容が思い出せない。
「どうしたの?サリー。心配そうな顔をして。」
「フローラお嬢様が、泣きながらうなされておりましたから、どうされたのかと。怖い夢でも見ましたか?」
「うーん……よく、覚えていないのだけど……っ!」
何か思い出そうとして、ズキリと頭痛がした。
思わず頭を押さえると、すぐに痛みは引いた。
「どうされました?」
「ちょっと頭痛がしただけ。すぐに治まったけれど、何だったのかしら。」
「昨夜は色々とございましたから、お疲れになったのでしょう。体調が優れないようでしたら、領地への移動は、明日以降に延期されては?」
「サリー、心配してくれて有り難う。でも、大丈夫よ。予定通り今日、領地へ行くわ。やらなければならない事があるの。」
「畏まりました。準備は出来ておりますので、何時でも出発出来ます。くれぐれも無理はなさいませんように。」
「分かったわ。」
部屋で朝食を済ませて、馬車の待つ停車場へ行くと、既に、アニュアス様と護衛騎士のモーリウスが、待っていた。
昨夜、お父様は、サリーとモーリウスに、このような説明をしていた。
「アニュアス様は高位貴族だが、事情があって身分を明かせない。表向きは、フローラの専属護衛騎士として領地で過ごしてもらう」と。
その為、アニュアス様は、モーリウスと同じ、騎士服を身に纏っている。
辺境騎士団の騎士服は紺色で、王国騎士団の赤と白が主体の、華やかな騎士服とは違って、クールな印象がある。
アニュアス様の月光を思わせる月白色の髪と、空色の瞳。
そして、筋肉質で均整のとれた長身の体に纏った辺境騎士団の騎士服は、とてもよく似合っていた。
なるほど、目の保養とは、まさにこの事ね。
そう思うのに、誰に似ているか考えようとすると、分からなくなってしまう。
「おはようございます、アニュアス様。お待たせしました。」
「おはよう、フローラ。私達も今、来たところだ。」
アニュアス様は手を出して、馬車に乗る時、補助してくれた。
手馴れている。
「有り難うございます。」
後から馬車に乗ったアニュアス様が、私の隣に座った。
向かいにも席はあるのですが?
「では、閉めます。」
扉を閉めたモーリウスが、サリーのいる御者台に移動して間もなく、馬車が出発した。
いつも車内は、私一人だけど、今日はアニュアス様が乗っている。
沈黙が気まずい。
「今日は晴れて良かったですね」「昨夜は良く眠れましたか?」「騎士服似合っていますね」「婚約について詳しく」……
話題は思ったよりも思い付いた。
話しかけようと、アニュアス様に顔を向けた時、アニュアス様の指が私の髪を、さらりと撫でた。
「え?」
「フローラ、いつ髪を切ったの?」
以前はロングヘアーだったけれど、今は肩位の長さになっている。
「数日前位?よく気が付きましたね。私は、お父様やイヴァンお兄様の髪型が変わっても、言われるまで気付きませんのに。」
フッと、アニュアス様が笑った。
「それは気の毒に。二人ともフローラには、直ぐに気付いて欲しかっただろうに。」
指摘されて思い出した。
お父様とイヴァンお兄様は、度々「どこか変わったところはないか?」と聞いてきた。
あれは、髪型が変わったことに、気付いて欲しかったのかも。
「何か変わったかと聞かれて、特には?と答えていましたが、可哀想な事をしてしまいました。」
「ふふっ、フローラらしい。で、髪を切った理由は?」
「それは……」
何だったかしら。
『早く、良いから直ぐに……』
ズキン!
「っ!」
「どうした、フローラ。」
「……っ、少し頭痛がしただけです。今朝もあったのですが、直ぐに治まるので、大丈夫です。」
もう痛くない。
さっき、一瞬、何か思い出しかけた気がするのに、何だったのか分からない。
「本当に大丈夫か?酷くなるようなら、我慢せずに言ってくれ。」
「はい、有り難うござ!?」
背中から回されたアニュアス様の手が、私の肩を抱き寄せた。
左側面がアニュアス様に密着している!
「急に何です?」
アニュアス様の方へ顔を向ける。
顔が近い!
思わず息をのむ。
「車内は狭くて横にはなれないが、私に寄り掛かって目を閉じるだけでも、少しは休まるだろう。」
「お気持ちは嬉しいのですが、家族以外の男性に、甘えるわけには参りません。」
距離を取りたいのに、動けない。
肩に回されたアニュアス様の手が、岩かと思うほど、びくともしない。
「家族以外に、か。イヴァン殿に言われたのだろう?」
「え?ええ。よく御存知ですね。」
「まあね、だが、イヴァン殿の言葉は、気にしなくていい。私達は婚約している。つまり、家族も同然だ。」
「その話、まだ信じられないのですが。」
アニュアス様は、自分のおでこを私のおでこに、コツンとくっ付けてきた。
何これ、近い!近すぎて、顔のどこが見えているのか、よく分からない。
「思い出せば分かる。私達は既に口付けまでした仲だと。」
口付けですって――――!!
「嘘!絶対に嘘です!結婚前にそんな、あり得ません!婚約者でもしない自信があります!」
私は大真面目なのに、アニュアス様は、クスリと笑った。
「それだけ元気なら、大丈夫そうだ。」
「な!?もしかして、からかわれたのですか?」
「思い出してからの、お楽しみだよ。」
アニュアス様は、にっこりと笑うだけで、何も教えてくれない。
口付けした仲だなんて、絶対嘘に決まっている!
ガタリ……。
王都を出る直前、順調に走っていた馬車が、停車した。
「王国騎士団です。王都で不審者が出ましたので、捜索しています。ご協力をお願いします。」
外から声がして、アニュアス様と顔を見合わせた。
「これは、私を探しているな。王都内の不審者捕縛は、本来、町の下級騎士が対処する。だが、わざわざ王国騎士団が動いている。宮殿内で逃した不法侵入者を内々に捕える為、検問しているのだろう。まずいな。」
アニュアス様が小声で話すので、私もつられて小声になる。
「きっと大丈夫です。『身代わりの薬』を使わなくても、アニュアス様は護衛騎士に変装していますし、怪しまれても、二人が上手く誤魔化してくれます。」
馬車に乗る直前に『身代わりの薬』をイヴァンお兄様に振りかけて貰えば、出会った人は皆、アニュアス様をイヴァンお兄様だと思う。
でも、もし、アニュアス様が『存在消し』を使われていたら、秘薬の併用になってしまう。
副作用が予想できないので、秘薬はなるべく併用しない方が良いとされている。
だから『身代わりの薬』の使用は止めて、変装にした。
今のアニュアス様は、辺境騎士団の青い騎士服を着ている。
それに前髪を上げ、髪全体を後ろに流して、雰囲気を変えている。
サリーとモーリウスは、アニュアス様を警戒しているけれど「大事なお客様」と言う、私のお願いも理解してくれている。
だから、裏切りはしない。
「やあ、モーリウス殿にサリー殿、これから領地へ?」
「はい、フローラお嬢様と新人の護衛も一緒です。バルロッソ閣下は忙しそうですね。」
「仕事だから仕方ないよ。」
今、モーリウスが「バルロッソ閣下」と言った!
再びアニュアス様と、顔を見合わせる。
バルロッソ様は王弟殿下の息子で、現在二十歳。
つまり、アニュアス様の従兄になる。
王国騎士団第一騎士団の団長で、イヴァンお兄様とは、士官学校時代の同級生級で、親友でもある。
今もイヴァンお兄様との交流は続いていて、毎年、何度かラース辺境伯領へ遊びに来ている。
その為、領地では、すっかり顔なじみになっている。
そのせいか、仕事中にも拘わらず、バルロッソ様の口調は砕けていた。
「引き止めて申し訳ないけれど、フローラ嬢に挨拶がてら、車内と荷台を確認させて貰うよ。」
「構いません。私が扉を開けましょう。」
「いや、モーリウス殿はそのままで。私が開けるよ。」
モーリウスとバルロッソ様のやり取りが聞こえて、ノックされた後、幸い私側の扉が開かれた。
「フローラ嬢、突然で失礼するよ。」
「あら、バルロッソ様。ごきげんよう。」
アニュアス様の従兄だから、顔の造りは似ている筈なのに、分からない。
月白色の髪と空色の瞳をした、クールな印象のアニュアス様と、ブロンド髪に赤い瞳をした、力強い印象のバルロッソ様では、随分と印象が違って見える。
「仕事で不審者を探していてね、車内を確認する規則なんだ。フローラ嬢、気を悪くしないで欲しい。」
「お気になさらず。お仕事でしたら仕方がありませんもの。」
「そう言って貰えると助かる。彼が新人の護衛?」
バルロッソ様が、私から奥に座るアニュアスに視線を移した。
「フローラお嬢様専属護衛の、アニュアスと申します。」
しっかりとバルロッソ様と視線を合わせた後、礼をするアニュアス様。
本当に専属護衛騎士みたい。
「相変わらずラース辺境伯は心配性だね。モーリウス殿とサリー殿がいれば、護衛は十分だろうに。」
「私もそう思います。」
「足止めして申し訳ないね。協力感謝する。また時間が出来たら領地へ遊びに行くよ。」
「是非、お待ちしております。」
バルロッソ様が笑顔で馬車の扉を閉めて直ぐ、通過が許可され、再び馬車は領地へ向けて走り出した。
思わず、ほっと息を吐く。
「バルロッソ様は、アニュアス様を気にも留めていませんでしたね。」
「不審者と気付かれず済んで、良かった。」
「そう、ですね。」
アニュアス様は平気そうにしているけれど、身内に身内と気付かれないなんて、辛いに決まっている。
「フローラ、どうかした?また頭痛?」
アニュアス様に、余計な心配をさせてしまった。
「いえ、私よりアニュアス様の方こそ、大丈夫ですか?」
「私?私は体力に自信があるから平気だよ。」
体力の心配ではないけれど、気にしていないなら、言う必要もない気がする。
考え事をしている間に、また肩を抱き寄せられてしまった。
「やっぱり疲れているだろう。ほら、私の肩に寄り掛かって。少し眠ると良い。さあ、目を閉じて。」
困った。放して貰えなさそうだし、王族かもしれない人の厚意を拒絶し過ぎるのも、失礼になる。
「では、お言葉に甘えさせて頂きますね。」
諦めて目を閉じた。
確かに支えがあると、体は楽。
ただ、左側は密着のせいで、常にアニュアス様の体温を感じるし、何だか視線を感じる気が……。
眠れる?眠れるわけがない!
領地に着くまで、ひたすら心の中で羊を数え続けた。