32 忘れられた日(アニュアス視点)
アニュアス視点です。
『傍にいたい、ずっと……』
夢を見ていた気がする。
いつもの自室、いつものベッド。
いつものように、一日が始まる筈だった。
「ひっ!」
ベッドから体を起こした私を見るなり、侍女が短い悲鳴をあげて、部屋を退室した。
何だ?
訳が分からないでいると、見知った護衛騎士がノックもせずに入室して、私を見るなり剣を抜いた。
私に切っ先を向け、険しい表情で怒鳴る。
「何者だ!ここで何をしている!」
「お前こそ、王子の私に剣を向けるとは、不敬だぞ。」
「誰が王子だ!不法侵入者め!」
護衛が剣を振り上げた。
おいおい、コイツ本気で私を斬る気だ。
ベッド横に立て掛けてあった自分の剣を抜き、護衛騎士の剣をなぎ払った。
ベットから飛び降りて、後退りながら部屋の外へ出る。
「本当に、私が分からないのか?」
「だから、誰だと聞いている!」
「第二王子アニュアスだ。」
「我が国に第二王子はいない!」
どういう事だ?兎に角逃げるしか無い。
寝間着のまま、剣だけ手にして全速力で廊下を走り逃げる。
「不法侵入者だ!捕まえろ!」
叫びながら護衛騎士が追いかけてくる。
前方にある部屋から兄上が出て来た。
「兄上」
「何者だ!早く捕えろ!」
「ハッ!」
兄上の護衛が斬りかかって来る。
兄上は私を見ても、冷たい視線を向けたままだった。
兄上も私が分からないのか?
走る速度は落とさず護衛の剣を弾き、目についた部屋に入って鍵を掛けた。
「おい、開けろ!」
ドンドンと扉を叩く音がする。
そう言われて開ける馬鹿がいるかよ。
ここは鏡の裏に隠し扉があり、宮殿の外へ出られる。
幼い頃発見して、誰にも言っていないから兄上も知らないだろう。
隠し扉から枝分かれした暗い通路を歩き、宮殿の外へと続く水路を辿って王都に出た。
着の身着のまま剣だけ持って逃げて来たから、金も無い。
朝食も食べ損ねて腹が減った。足が痛い。
靴くらい持って出れば良かった。
「取りあえず信頼出来る貴族の邸を頼るか。」
幸い今は社交シーズンだ。
領地にいる貴族もタウンハウスに滞在している。
王家が最も信頼している貴族は、魔女の技術や道具を受け継いだ継承者を輩出する三家の貴族だ。
婚約者のフローラがいるラース辺境伯邸を訪ねたい所だが、ここから一番遠い。
一番近くにある『占いの魔女』の継承者がいる、マーレイ公爵邸を訪ねるとした。
「アニュアス?どちらの?王子?お約束は?していないと。ならば、お約束してから、お越しください。」
まさかの門前払い。
私の顔を見るなり一礼して、門を開けていた門番にまで忘れられているとは、どういう事だ?
立ち尽くしても何も変わらない。次だ、次。
『使役の魔女』の継承者がいる、シーン伯爵邸を訪ねた。
「いくら俺でも、王子の顔位は知っている。物乞いなら、他を当たってくれ。」
門番に物乞いと間違えられた。
やはり、ここの門番も私が分からないか。
このままラース辺境伯邸を訪ねても、門前払いは目に見えている。
だが、もう門前払いされるわけにはいかない。どうしたものか。
「おい、お前。その剣、何処で盗んだ。」
突然背後から声を掛けられた。
振り向けば、顔見知りの騎士だ。
「君も私が分からないのか?」
「訳の分からない事を言って、誤魔化すのは止めろ。ちょっと来い!」
手首を掴まれる前に腕を振って、全力疾走した。
「おい、待て!」
遠ざかる声を聞きながら、兎に角走り続けた。
どうして誰も私が分からない。
まるで私の存在自体が消えてしまったような……待てよ。
ふと立ち止まって辺りを見回した。
いつの間にか、ラース辺境伯邸の近くに来ていた。
誰も来ないであろう物陰に身を潜め、考えを整理する。
もしかして『存在消し』を盛られた?
『存在消し』は任務で正体を悟られないようにしたい時に使用する特別な薬だ。
その特別な薬の保管場所は、代々の国王と王妃、そして、その直系である王子しか知らず、他者は直接薬を手に出来ない。
任務で騎士に使用させる時は、王弟で騎士団総長である叔父上が、水の入ったコップに必要量だけ入れて騎士に与えている。
『存在消し』を使うとその人間がどこの誰なのか、薬の効果が切れるまで、誰にも思い出されない。
私はここ数日、任務や私用で『存在消し』を使っていない。
だが、今の私は『存在消し』を使用した時と同じ状況だ。
私に薬を盛るならば『存在消し』を扱える身内と考えられるが、家族仲は悪くないと思うし、恨まれても無い、と思う。
明日には薬の効果が切れるかもしれないが、一晩でも、無計画な野宿は厳しい。
この『存在消し』を作っているのは、ラース辺境伯家の娘で『薬の魔女』の継承者であり、私の婚約者でもあるフローラだ。
フローラならば、たとえ私が誰か分からなくても、『存在消し』を口にすれば、私が王家の者かもしれないと察して、話を聞いてくれるだろう。
何故なら、フローラが何の薬を宮殿に納品しているかを知るのは、王家だけだからだ。
もう、頼れるのはフローラしかいない。
あと、久々だから、普通に会いたい。
問題は、ラース辺境伯邸に入れてもらえるか?だ。
今までの経験から、門から訪ねても門前払いだろう。
ラース辺境伯邸には何度か訪ねているが、他家と比べて警備が厳重だ。
警備の騎士が常に邸宅内や庭を巡回している。
隙があるとすれば、フローラが食堂で食事をする時だ。
特に昼時。
警備の騎士は休憩と交代があり、若干ながら警備が手薄になる。
また、フローラが部屋を不在にする朝食時は、侍女達が掃除やベッドメイキング、夕食時は風呂の準備と部屋の出入りが激しい。
だが、昼食時は、侍女の出入りがほぼ無い。
しかも、フローラが部屋を出て戻る迄の間、空気の入れ替えで、一時的にバルコニーの扉が全て開かれる。
今だ。
私は裏口へ回った。
周囲に人がいない昼時を見計らって、木に登り、柵を飛び越えて敷地内に入った。
庭園の草むらに暫く身を隠して護衛騎士をやり過ごす。
交代の時、護衛騎士は申し送りついでに世間話をしている。
明るい時間に邸へ侵入する者は、そうそういないから、気が抜けるのも仕方がない。
その隙に、三階にあるフローラの部屋、ではなく、隣室のバルコニーへ侵入する。
足場の確認はしていたから、登るのは楽勝だ。
ただ、怪我した足の裏が痛い。靴の大切さを思い知らされた。
隣室は空室で、物置のように使われていると聞いていたから、使用人が入室する可能性は低い。
「ムー、来い。」
ダメ元で、私専用の使い魔、白梟のムーを呼べば、直ぐに飛んできた。
使い魔は『使役の魔女』の継承者から、国王とその直系にのみ献上される。
何かと便利な相棒が、私を覚えていて、助かった。
「フローラの部屋に入って、どこかに隠れていろ。夜、合図したら、バルコニーの鍵を開けてくれ。」
ムーは翼を拡げ、了解の合図をすると飛び立った。
ムーがフローラの部屋に入るのを確認して、隣のバルコニーに身を潜めた。
フローラが、一人になる夜まで待つしかない。
腹が空いて、体力を消耗していたのか、気付いたら寝落ちして、夜になっていた。
水の音が聞こえる。
フローラが風呂に入っているらしい。
巡回している警備の目を盗んで、今居るバルコニーから隣のバルコニーへと飛び移った。
「ムー、開けてくれ。」
小声で呟くと、ムーがバルコニーの扉に付いている鍵を開けた。
バルコニーから部屋に侵入し、ムーは外で待機させる。
室内には、ソファーとテーブルのセット、茶器を収納している戸棚がある。
バルコニーを背にして、右手側の扉から声が聞こえる。
恐らく浴室や衣装部屋があるのだろう。
取りあえず左手の扉に入った。
寝室だ。
ベッドの影に隠れて、暫く待った。
「お嬢様、お休みなさいませ。」
どうやら、侍女は退室したようだ。
そっと寝室の扉を開けて様子をうかがう。
薄暗い部屋でフローラが一人、こちらに背を向けた状態でソファーに座っている。
気配を消して、屈んだ状態で近づき、ソファーの背もたれまで来た。
息を殺してゆっくりと立ち上がる。
フローラは考え事でもしているのか、背後にいる私に、全く気付かない。
数日後、私達は結婚式を挙げる。
その時、フローラに伝えようと思っていた事があった。
だが、他の者達と同様に、フローラも私を忘れているとしたら、伝えても意味がない。
しかも、私は、不法侵入してここにいる。
この状況で、どう声を掛けるべきか。
きっと何を言っても、やっても驚かせて、いや、寧ろ怖がらせてしまう。
何をしても結果が同じなら、やりたいようにしようか。
私はフローラに、とても会いたかった。
だから、ゆっくりと背後から手を伸ばし、フローラを抱き締めた。
私が誰か尋ねても、やはりフローラは私を覚えていなかった。
第二王子だと信じても貰えない。
残念ながら、婚約者として過ごした約二年は、フローラの記憶から消えてしまった。
だが、何とか話は聞いて貰えた。
その後、侍女から日付を聞き、今日が結婚式当日だと知った時は、流石に驚いた。
私はフローラとの関係を築き直した上で、言えなかった事を伝え、必ず結婚すると決意した。
まさか、一度殺されて生き返っていたとは思わなかったが……。
あの日から二ヶ月程経って、漸く結婚式当日。
自室で正装に着替え、鏡の前に立った時、じわじわと実感し始めた。
「ああ、やっとだ。やっとこの日を迎えられた。」
思わず心の声が漏れてしまう。
「浮かれるのは分かるけど、人生は、これからだぞ。」
「薬の魔女」ドリーの使い魔である黒猫のロロが、いつの間にか足元にいる。
使い魔は、影があれば自由に移動出来るらしく、こうして突然現れる。
「分かっている。だから、ロロとムーには、誓いを見届けて貰おうと呼んだ。流石にドリーは無理だろう?」
「主は我を通して見ているから気にするな。我々がしっかり見届けてやる。ムーもそう言っている。」
部屋の止まり木にいるムーが、翼を広げて、私をじっと見ている。
「そうか、ムーも頼むよ。」
ムーの頭を指で撫でると、気持ち良さそうに目を閉じた。
「じゃあ、我らは先に行く。」
「では、私は、フローラを迎えに行くとするよ。」
窓から出て行くロロとムーを見送って、愛するフローラの部屋へと向かった。




