27 本邸にて
「え?アニュアス殿下?の筈はないですよね。」
イヴァンお兄様が退室した後、リビングに呼んだサリーとモーリウスが、アニュアス様を二度見して、困惑している。
今まで、あやふやだったアニュアス様の存在が、急に認知出来るようになって、しかも死んだと思っていた本人が現れたのだから、驚くのも無理はない。
「実は暗殺されたのは影武者で、アニュアス様は生きていたの。でも、事情があって真実は話せなかったの。」
「そうでしたか、まさか殿下が変装していたとは。全く気付きませんでした。」
特別な変装はしていないけれど、都合の良いように解釈してくれたので、敢えて否定はしないでおいた。
イヴァンお兄様の部屋に、バルロッソ様を軟禁していることもあって、本邸の敷地内には、騎士が至る所に配備されて、物々しい雰囲気になっている。
邸内には、お父様の姿があった。
「お父様、お帰りなさいませ。お戻りになっていたのですね。」
「必要な社交が終わったからな。まさか、領地に戻って早々、殿下の偽者を捕えに行くと出て行ったイヴァンが、同行していたバルロッソ様を捕えて戻って来るとは思わなかった。」
溜め息を吐いたお父様は、私の横にいるアニュアス様に気付いて、畏まった。
「息子のイヴァンから報告を受けました。第二王子殿下が、ご無事で何よりでございます。」
「ラース辺境伯やフローラには、大変世話になった。お陰で事件の犯人も捕えられた。感謝するよ。」
「殿下のお役に立てて、光栄にございます。本日はこのような状況ですので、どうか客室でお過ごし下さい。夕食も客室に運ばせます。フローラも、なるべく部屋で過ごすように。」
「はい、お父様。」
「では、私は客室で大人しくしておくよ。」
客室へ向かうアニュアス様を見送って、私も自室へ入室した。
「あ……。」
昨日まで、殺風景だった部屋の景色が、様変わりしている。
『冷静の薬』でしか認知出来ず、全て靄に包まれて不気味に見えていた小物も、今は色や形がハッキリと分かる。
机には、空色のガラスペンや、空色の花が描かれたオルゴールの小物入れ。
それに、空色の砂が入った砂時計や、空色の硝子で作られた猫の置物。
ベッドのサイドテーブルには、空色のランプシェードや、空色の花瓶。
鏡台には、装飾が美しい空色の手鏡や、空色の小瓶に入った香油。
窓際には、空色のサンキャッチャー。
書棚には、空色のブックカバーに、空色のしおり。
あらゆる場所にアニュアス様がプレゼントしてくれた、空色をモチーフにした小物が飾られている。
数えたら、全部で十一個あった。
「私色に染めたかった」と言っていたアニュアス様の言葉を思い出して、嬉しいやら、恥ずかしいやらで、頬が熱くなる。
「そうだわ。」
書棚の引き出しを開けて、中を確認した。
束になっている手紙に、もう靄は無い。
「~~っ!」
妖精のように愛らしい~とか、花のように可憐な君の笑顔~とか、何度読んでも、甘い言葉の羅列には慣れない。
アニュアス様が音読している姿を思い出して、やっぱり転げ回ってしまった。
「お嬢様、お風呂のご用意が……ってどうされました?」
「へ?あ、えっと、運動?みたいな?」
恥ずかしい!
ソファーで丸くなってバタバタ足を動かしている姿を、また、サリーに見られてしまった。
入浴後。
夕食を取って、あとは休むだけなので、紅茶を淹れて貰ってサリーを下がらせた。
一人紅茶を飲みながら、今日の出来事を振り返る。
ロロがしゃべったり、魔女のドリー様に会ったり、忘れていた事を思い出したり、アニュアス様の存在が消えた原因が判明したり、アニュアス様を暗殺した犯人がバルロッソ様だったり、イヴァンお兄様に告白されたり……。
濃い一日だった。
今夜は気持ちが高ぶって、当分眠れそうにない気がする。
不意に扉がノックされて、サリーがやって来た。
「お嬢様、アニュアス殿下が、お話ししたいとお越しですが、いかが致しますか?」
「お通しして。」
「畏まりました。その前に、何か羽織りましょう。」
「そうね。寝間着は失礼よね。」
サリーが上半身を覆う薄手のケープをクローゼットから出してくれたので、それをワンピースの上から羽織って、入室するアニュアス様を迎えた。
「夜に済まない。人払いを頼む。」
「畏まりました。」
サリーに目配せすると、了解の頷きをしてくれた。
「っ……どうぞ、こちらへ。」
私の隣に座るよう、促す。
向かいだと、寝間着の前ボタンを寛げて、色気の凄いアニュアス様を直視しなければならない。
それは心臓が持たない。
隣なら、直視を避けられる。
アニュアス様がソファーに腰かけている間に、サリーは手際よく二人分の紅茶を淹れて、退室した。
「明日、バルロッソを迎えに来た王国騎士団と宮殿に戻るよ。」
「そうですか。やっと元の生活に戻れますね。」
本当に良かった。
「ただ、心残りがある。フローラが結婚して領地を出ても継承者を続けられるよう、ドリー様に頼むつもりでいたのに、すっかり忘れていた。」
「私も忘れていました。確かにそんな話をしましたね。」
「そうだろうと思って、伝えに来てやったよ。」
「ロロ!」
少し開いている窓の隙間から、ロロが体を滑り込ませて部屋に入って来た。
「ロロ、盗み聞きとは趣味が悪いな。」
「使い魔って、そういうものだろ?フローラのストーカーをしているアニュアスには言われたくない。」
ロロが窓の外に目をやった。
部屋から見える木の枝には、毎朝見る、お馴染みの白い梟がいる。
「先ほど見た、アニュアス様の使い魔と似ている。と思いましたが、もしかして」
「そう、アレは、アニュアスの使い魔だよ。こっちへ来ると、いつも、ずっと、ず――っと、フローラにベッタリで、本当に鬱陶しいったら無かったよ。」
窓辺からソファーに飛び移ったロロが、私の膝に前足を乗せて、不機嫌そうに尻尾を振り下ろしている。
「そうだったの?でも、あの木に止まっている時以外は、見かけなかったけれど。」
外にいる白い梟は、知りません。と言うように、目を閉じたまま首だけ捻って、そっぽを向いている。
「アイツ、気付かれないように、ストーキングしていたからね。」
「それはロロも、だろう?使い魔は主人の心に影響される。ドリー様がフローラを気に入っているから、使い魔のロロも、フローラに懐いている。私の使い魔も同じ理由だ。」
「同じじゃない!アイツ、会う度にフローラに近づくなって警戒して来るし。独占欲強すぎて迷惑!」
使い魔同士は意志疎通が出来ると聞いていたけれど、そんなやり取りをしていたのね。
「私に言われても、知らないよ。それよりロロ。」
「それより?」
ロロの尻尾が再び振り下ろされて、ぺしん!とソファーを叩く。
アニュアス様は、お構い無しに話を続けた。
「宮殿でも、フローラが継承者でいられるように、してくれるのか?」
ロロはアニュアス様を一瞥すると、私に向かって説明してくれた。
「継承者を続けるには、嫁ぎ先に新たな作業場を作って、旧作業場内にある全てを、新作業場へ引っ越す必要がある。我が、二つの作業場を繋げれば、契約違反にならず、継承者の印も消えない。」
「なるほどね、作業場から作業場ならば、作業場内の物を外に持ち出していないし、誰にも見られずに引っ越しができるから、秘密も守れて、契約違反にならないのね。」
「そう。ただ、これをすると、ラース辺境伯家から王家へ契約が移動して、ラース辺境伯家から継承者の記憶が消えてしまう。それは、大丈夫?」
ロロに確認されて、思案する。
代々ラース辺境伯家が守ってきた伝統を、私の都合で途絶えさせる事に罪悪感はあるし、私が継承者である事を、お父様やイヴァンお兄様に忘れられるのは、寂しい。
「平気と言えば嘘になるけれど……。」
それでも、アニュアス様の傍にいたいと思ってしまう。
「因みに、主が王都に住んでいた頃、宮殿の裏門から見える森で、薬草採取をしていたから、薬の材料には困らないって。」
ドリー様は魔女狩りから逃れる為、ラース辺境伯領へ来た。
けれど、元々の生活拠点は王都だったらしい。
だから、宮殿に移り住んでも、薬草の心配はしなくて良いって事ね。
しかも、宮殿の近くに森があるから、王子妃として公務がある時も、直ぐに対応出来る。
「作業場になりそうな場所なら、幾つかある。何不自由なく継承者を続けられるよう、協力は惜しまないよ。ラース辺境伯には悪いが、私はもう、フローラと離れて生活する未来は考えられない。」
アニュアス様の手が、私の手に重ねられた。
「私もです。」
アニュアス様が生き返った奇跡を、共に過ごせる時間を、少しも無駄にしたくない。
掌を上に向けて、アニュアス様と、しっかり手を繋いだ。
「ロロ、引っ越しが決まったら、その時は、お願い出来る?」
「任せて。要件は伝えたから、我は行くけど、いつでも、どこでも駆け付けるから、名前を呼んで。」
ロロは私の手に顔を擦り付けてから、軽やかに窓辺までジャンプすると、窓の隙間から外へ出て、月明かりの届かない、静かな夜の森へと消えて行った。
白い梟は、相変わらず定位置の枝に止まって、目を閉じている。
それから、アニュアス様と今後について、色々と話し合った。
「もう十一時か。思ったより長居してしまった。そろそろ失礼するよ。」
紅茶を飲み終わったアニュアス様が立ち上がったので、出入口の扉まで見送る。
扉を開ける前、振り向いたアニュアス様が、目の前で両腕を広げた。
「お休みのハグをしよう。イヴァン殿としていたなら、これくらい平気だろ?」
イヴァンお兄様とアニュアス様では、共に過ごした時間が違うし、恥ずかしさが違う。
「平気ではないですが……。」
おずおずと腕を広げて、アニュアス様の広い背中に手を回す。
「っ!?」
顔がアニュアス様の胸元に埋まりそうな程、しっかりと抱き締められて、石鹸の香りに包まれた。
「あの、ハグって、もっと軽い感じでは?」
「私の中で、フローラとするハグは、これだよ。」
なるほど、感覚は人それぞれよね。
「だとしても、長くないですか?」
「お休みのハグなのに、まだフローラから、お休みの挨拶を聞いていない。」
確かに、言っていない。
「お休みなさいませ。」
「うん。お休み。」
私のおでこに口付けして、アニュアス様は退室した。
「っ!全然、お休みになれないっ!」
閉めた扉の前に座り込んで、思わず心の声が漏れた。




