22 決意
雪が溶ける三月。
久しぶりに、アニュアス殿下が、領地に来た。
「変わりは無い?」
「ええ。殿下は?」
「変わりないよ。それよりフローラ、そろそろ殿下は止めようか。結婚したら二人とも殿下だよ。」
「確かにそうですね。」
「今更気づいたのか?遅すぎるよ。」
クスクスと笑われてしまった。
とは言え、何だか名前呼びが恥ずかしくて、私は一度も「アニュアス様」と言えなかった。
四月の始めは、毎年恒例、王家主催の夜会がある。
王都の邸には、アニュアス様から空色のドレス一式が届いていた。
そのドレスを纏って家族と夜会に参加した。
夜会の参加が交流の代わりとなり、アニュアス様と領地での交流は無くなった。
結局、ロロがアニュアス様に懐かないまま、結婚式が行われる五月になった。
結婚式の十日間前。
私は宮殿に秘薬の納品をした後、王弟殿下に控室へ案内されて、王妃様に見守られながら、結婚式で着るドレスの試着をした。
「調整は完璧ね。きっとドレス姿を見たら、アニュアスは見惚れるわ。楽しみね。」
「そうだと嬉しいです。」
王妃様に微笑まれて、私も微笑んだ。
アニュアス様が、私に見惚れるなんてあり得ない、と思いながら。
試着が終わって、何となく、アニュアス様に会いたい気持ちになった。
いつも領地に来て貰っているし、たまには私から……でも、きっとアニュアス様は、お忙しい。
それに、特別な要件も無い。
やっぱり面会申請はせず、いつものように、そのまま領地へ戻った。
そして、結婚式二日前の夜。
明日から結婚式の当日まで、王都にある邸で家族と滞在する予定になっている。
明朝には領地を出発する為、侍女達は準備に追われていた。
食堂で夕食を食べて、部屋に戻ろうと席を立った時、早馬が緊急事態を知らせに来た。
「第二王子、アニュアス殿下が暗殺されました。葬儀は明日、午後に行われます。」
目の前が真っ暗になった。
「お嬢様、お気を確かに!」
サリーが駆け寄って体を支えてくれた。
嘘だと思いたい。でも、分かっている。嘘を言う筈がない。
もう誰も失いたくないのに、また失ってしまう。
そんなの、とても耐えられない。
サリーに背中を支えられながら、自室に戻った。
「ねぇ、サリー。私の髪を切って。」
「お嬢様、急にどうされたのです。」
「アニュアス殿下の棺に入れるの。もう、結婚式も無いのだから、髪を伸ばしておく必要なんて無い。でしょ?」
「……分かりました。」
涙目で訴える私を不憫に思ったのか、サリーは渋々私の髪を切ると、丁寧に紙に包んで渡してくれた。
「私は明日の準備がありますから、モーリウスを付けますね。何かあれば遠慮なく申し付けて下さい。」
サリーは部屋を出て行き、代わりにモーリウスが入室した。
皆が慌ただしく、結婚式から葬儀へ準備を切り替えている。
「モーリウス、離れの作業場へ行きたいから付いてきて。」
「今からですか?」
「一人に、なりたいの。」
髪の毛を包んだ紙を握り締めた。
「……分かりました。」
いつもなら駄目だ、と言われそうだけど、私は余程酷い顔をしていたのかもしれない。
「お好きなだけ居て構いません。」
作業場に入る前、モーリウスが言ってくれた。
「っ――――ああああああっ」
作業場でひとり、感情のままに声をあげて泣いた。
暫く泣き続けると、涙も枯れて少し落ち着いたので、調薬を始めた。
作るのは『甦りの薬』
体の一部を材料にして作る。
お母様達が亡くなった時にも髪を切ってもらい、作ったことがある。
だけど、一人分の髪で『甦りの薬』は、一人分しか作れない。
それに、死後五日以内に使わなければ生き返らない。
当時、亡くなった四人の内、誰か一人を選ぶなんて、出来なかった。
それに、折角生き返っても私が全てを思い出すまで、生き返った人が誰なのか、皆忘れてしまう。
それは、絶対に嫌だった。
だから、迷って薬を使えなかった。
でも、今回は迷わない。
どうしても生き返って欲しい。
アニュアス様と共に生きていきたい。
ああ、私は何て愚かなの。
亡くなってから、こんなにも好きだと気付くなんて。
自分の愚かさに、また涙が溢れた。
何とかその日の内に『甦りの薬』を完成させた。
薬をポケットに忍ばせて作業場を出ると、お父様とイヴァンお兄様に抱き締められた。
「部屋にいないから心配したぞ。」
「フローラまで何かあったら、私は生きていられないよ。」
「心配かけてご免なさい。ただ、一人になりたかっただけなの。」
アニュアス様を生き返らせる薬を作る為に。
とは、とても言えない。
どんな理由があっても、それが可能なら、何故あの時……と、お父様とイヴァンお兄様は思うだろうから。
よく眠れないまま、朝早く家族と馬車で宮殿へ向かい、午後に行われる葬儀に参列した。
棺の中で目を閉じて横たわる男性は、信じたくないけれど、確かにアニュアス様だった。
アニュアス様の棺は、王都の宮殿から少し離れた丘にある、教会の墓地に埋葬される。
埋葬を見届け、人々が墓地を去る中、私は俯いたまま、成すべき事のために、最後の一人になるまで、その場に留まると決めていた。
「フローラ、そろそろ私達も」
労るように肩を撫でる感触がして、そちらに視線を向けた。
「お父様、もう少しだけ。」
今帰る訳にはいかない。
何を言われても動かないつもりでいた。
「……分かった。好きなだけいるといい。我々は馬車で待っている。イヴァン、行こう。」
お父様は、イヴァンお兄様と共に墓地を離れて、私だけが墓地に残った。
周囲を見回すと誰もいない。
ポケットから小瓶を取り出して、蓋を開けた。
どうか戻ってきて。
心の中で念じながら、瓶の中にある液体を、墓地一帯に振りかけた。
その時、どこからか、ふわりと百合の香りがして、頬を撫でられる感触と共に、声が聞こえた。
「フローラ」
「アニュアス様!?」
急に視界がぼやけて目を凝らす。
「私はここにいるよ。」
目の前に、私の顔を覗き込んでいるアニュアス様が!
ここがどこなのかも忘れて、思わず飛び起きた。
「アニュアス様、生きてる……」
「ああ、生きているよ。」
アニュアス様に向かって伸ばした両手を、アニュアス様は、しっかりと取ってくれた。
「アニュ……っ、良かっ、うう…っ――――」
色んな感情がない交ぜとなって、涙腺が決壊してしまった。
アニュアス様はベッドに座ると、私を抱き締めて、幼子をあやすように、頭を撫でてくれた。
窓から入るそよ風が、百合の香りを運んでいた。
アニュアス様の腕に包まれて、体温を感じながら頭を撫でられていると、涙も止まって、話せるまでに落ち着いてきた。
「私、アニュアス様の事を、全て思い出しました。婚約は本当だったのですね。」
「やっと信じてくれたのか。他には何を思い出した?」
私を抱き締めていた腕が緩み、体を離したアニュアス様が、話を聞こうと耳を傾けてくれる。
「ドリー様の言う通り、アニュアス様が皆に忘れられた原因は、私にありました。ご免なさい。」
俯く私の頭を、アニュアス様は、ポンポンと撫でてくれた。
「謝る必要はないよ。フローラが目覚めた時、私も忘れていた事を思い出した。騎士団の報告書通り、結婚式の二日前、私は何者かに刺された。意識が薄れる中、後悔したよ。フローラを好きだと伝えられなかったことを。」
アニュアス様が私を好きだったなんて、嬉しい。
だって私も……ん?この気持ちは前の私?それとも今の私?
兎に角今は、伝えられなかった事を伝えたい。
「私も後悔していました。アニュアス様を失って、初めてアニュアス様を好きだと自覚して、どうしても失いたくなくて『甦り』を使ったのです。」
「嬉しいよ。お陰で私は今、生きている。目覚めた時は、漠然と後悔だけが残っていて、フローラとの関係も一からやり直しかと思うと、面食らったが、今度は、フローラを好きにさせようと思っていた。」
アニュアス様が、私の部屋に不法侵入した日から、今までの日々を思い出す。
「それであんなに積極的だったのですね。恥ずかしくて心臓が、ちっとも休まりませんでした。」
だけど、何一つ嫌ではなかった。
寧ろ……
おずおずとアニュアス様の顔を見上げた。
「どうやら、アニュアス様の思惑通り、私はまた、アニュアス様に心を奪われてしまったようです。」
「それは頑張った甲斐があったよ。全てが終わったら、今度こそ結婚しよう。」
ベッドから降りたアニュアス様が、自然な流れで私の左手を取る。
更に、婚約を申し込んだ時と同じように跪いた。
「はい、以外の返事は受け付けないよ。」
返事の選択肢は今回も与えられない。
だけど、私を見つめる熱を帯びた空色の瞳からは、一途な思いが感じられて、直視は相変わらず照れるけれど、とても嬉しい。
「はい。今度こそ。」
「約束だよ。」
「っ!」
ぴくりと左手が揺れてしまった。
アニュアス様の唇が、私の薬指に触れたから。




