乙女ゲームの断罪の場に転生した俺は悪役令嬢に一目ぼれしたので、シナリオをぶち壊してみました! (『心優しき令嬢の復讐』シリーズ1)
メインで連載しているハイファンタジー「ありふれたクラス転移」の息抜きに、全く違うテイストの話を書いてみました。
(追記)
調子に乗って本作の続編「敵国の姫騎士と恋の駆け引きをしていたら、転生者の悪役令嬢が絡んできました!(『心優しき令嬢の復讐』シリーズ2)」と「転生悪役令嬢の憂鬱と人生やり直し侍女の献身(『心優しき令嬢の復讐』シリーズ3)」も投稿しているので読んでみてくださいね。
(2025.3.12追記)
シリーズ三作の繋がりを考えて大幅に加筆修正しました。
俺は気がついたら転生していた。
そこは学園の卒業パーティーの会場で、今まさに悪役令嬢エカテリーナ・ボルジアが断罪されるところだった。
「エカテリーナ・ボルジア! 僕、オーギュスト・デナウはお前との婚約を破棄する!」
エカテリーナはカッと目を見開くと悪女らしい笑みを浮かべた。
俺は、そんなエカテリーナに見惚れていた。エカテリーナは悪役令嬢ものでよくある金髪縦ロールではなく艶のある黒髪だ。だが、それはエカテリーナのキリっとした顔立ちによく似合っていた。
「殿下、そんな勝手なことができるとでも。大体、私の父上がそんなことを許すはずがありませんわ。それに殿下のお父上でもある我がデナウ王国のザイラス王はご存知なのですか?」
エカテリーナの言葉に王太子のオーギュストは一歩も引かずに言い返す。
「エカテリーナ、お前が、ここにいるサーシャをいじめていたのはとっくにバレている。昨日はサーシャを階段から突き落とそうとさえしたらしいじゃないか」
サーシャ・ミグル、ミグル男爵令嬢だ。ミグル男爵が侍女に産ませた子供で、ミグル男爵夫人が亡くなったのを契機に正式にミグル男爵の娘として引き取られたため、貴族としてのマナーに若干疎い傾向のある令嬢だ。
だが一生懸命に学園に馴染もうとする姿勢が多くの男子生徒に受け入れられ人気が高い。女性徒からの人気は、まあ普通だ。
今はオーギュストの隣に立ち、胸の前で両手を握ってオーギュストを見上げている。童顔に巨乳、それにピンク髪、よくある主人公タイプだが俺の好みとは、ちょっと違う。だが、可愛いのは認める。
サーシャはもちろん、このゲームの主人公だ!
「もう我慢の限界だ!」
「私がサーシャをいじめていた? 証拠はあるんですの?」
なおも、エカテリーナは引かない。
「俺はエカテリーナがサーシャの教科書を隠しているのを見た」
そう言ったのは、この国の宰相の嫡男でオーギュストの側近候補でもあるジルベール・コーエン、インテリ眼鏡枠の攻略対象だ。
サーシャはコクコクと頷いている。
「ぼ、僕はエカテリーナ様が、サーシャ嬢をお茶会から仲間外れにするよう他のご令嬢たちに圧力をかけていたのを知っています」
そう言ったのは宮廷魔導士の息子のエロール・デビアだと思う。ジルベールと同じくオーギュストの側近候補だ。こいつは年下可愛い系男子でやはり攻略対象だ。エロールはオーギュストたちより一年後輩だ。おどおどした外見とは異なり、攻略対象の中でも最も魔法が得意で、王都の近くで主人公たちが魔物に遭遇するちょっとしたイベントでは大活躍だったはずだ。
ここでもサーシャは、そうなの、とでも言うように頷いている。
「僕は昨日、エカテリーナがサーシャを階段から突き落とそうとしたのを見た。僕が声をかけなかったら大怪我をしてたかもしれない。そうだよね、アレク」
そう言って俺の方を見たのは、オーギュストの従兄弟にあたるカイル・ウィドマーク、ウィドマーク公爵の三男だ。こいつは、うーん、至って常識人でバランスの取れた性格だが、やはり攻略対象だ。
サーシャは怖かったと肩を震わせオーギュストを上目づかいで見た。オーギュストは、大丈夫だよ、というようにサーシャの肩を抱いた。
ちょっとあざとい。
そう、俺は一瞬でここが乙女ゲーム『心優しき令嬢の復讐』の世界だと理解していた。『心優しき令嬢の復讐』は妹が愛好していた乙女ゲームだ。俺はオーギュストの側近候補の一人、騎士団長の息子アレクセイ・ギルロイだ。まあ、脳筋枠の攻略対象ってやつだ。
妹は、俺の彼女だった女からこのゲームを勧められて、かなり嵌っていた。彼女との付き合いは長かったので妹とも知り合いになっていた。最後のほうはむしろ俺より妹とよく話していた気さえする。
彼女が妹に勧めた乙女ゲーム『心優しき令嬢の復讐』は隠れ攻略対象もいたりして、乙女ゲームにしては、なかなかにやりごたえがあった。もっとも俺はいくら妹に尻を叩かれても隠れ攻略対象に出会うことすらできなかった。
くそー、妹に罵倒された嫌な記憶が蘇ってきた。
まあ、とにかく俺は妹に無理やり攻略を手伝わされていた関係で乙女ゲーム『心優しき令嬢の復讐』の内容はよく知っている。
さて、次はいよいよ俺の番だ。確か俺のセリフは「俺も確かにエカテリーナ侯爵令嬢がミグル男爵令嬢の背中を押すのを見た」だったと思う。
しかし、俺の口から出たセリフは、自分でも思いがけないものだった。
「俺は確かにカイルと一緒だった。だが、エカテリーナはサーシャの背中など押してない!」
その場を一瞬沈黙が支配した。
「あ、アレクなんでそんな嘘を!」
いや、だってカイル、エカテリーナってこんなに美人なんだぜ。
「おい、さっき言ってたことと違うじゃないか?」
すまん、ジルベール。でもエカテリーナって美人ってだけじゃなくてスタイルだってすごいぞ!
「アレク先輩、もしかしてボルジア侯爵に何か頼まれたとか?」
エロールがそう疑うのも無理はない。ボルジア侯爵は軍務大臣なので騎士団長をしている俺の親父の上司に当たる。
「アレクどういうつもりだ」
オーギュスト殿下が俺を睨んでいる。
「俺は、ただ本当のことを言っただけだ」
「それは、カイルが嘘をついていると言っているのと同じだぞ!」
実際、俺は勢いで言っただけだ。
それに俺は妹と一緒にこのゲームをしていたので、エカテリーナが本当にサーシャをいじめていたことも、階段から突き落とそうとしたことが真実であることも知っている。サーシャはこのゲームの主人公らしく、とても性格はいい。
そのせいなのか、俺に庇われた正真正銘の悪役令嬢エカテリーナが最も驚いた顔をしていた。
エカテリーナの後ろにいる令嬢も同じように驚いている。あれは、誰だっただろうか? どうも思い出せない。
そのあと卒業パーティーの場は大混乱となった。
そして収集のつかない間に終了したのだった。
俺は4人の友人から絶交を告げられた。まあ、もともと利害関係ありきで集まっていただけだから、どうでもいい。
なんか疲れた。
★★★
卒業パーティーの翌日、エカテリーナを庇った俺は、ことの次第を知ったボルジアの侯爵から感謝され屋敷に招かれた。
「アレクセイ、きみのおかげで助かったよ。危うく娘は修道院送りなるところだった」
そう、俺の証言のおかげでエカテリーナのサーシャに対する虐めはの証拠不十分となった。そのため、ゲームの結末である修道院行きを、エカテリーナは免れたようだ。
「セドリックにも私から感謝の言葉を伝えたよ」
セドリックとはデナウ王国騎士団長セドリック・ギルロイ伯爵のことだ。俺の親父だ。軍務大臣であるボルジア侯爵は王国騎士団長である俺の親父の上司でもある。
「俺、私は本当のことを言っただけですから」
「ああ、もちろんだ」
ぜんぜん、もちろんじゃない。
「それにしても、王太子殿下もエカテリーナを陥れようとするなど。ちょっと王家に甘い顔をしすぎたかもしれんな。このボルジア侯爵家をなんだと思っているのだ」
ボルジア侯爵の顔が怒りで赤く染まっている。
あの後、ボルジア侯爵は王家はもちろん、ジルベール、エロール、カイルのそれぞれの家にも激しく抗議したらしい。
ボルジア家はデナウ王国最大の貴族家にして最高の武を誇る家だ。それどころかデナウ王家は王国の軍事部門をボルジア侯爵家に丸投げしているといってもいい。王国の繁栄はボルジア侯爵家の軍事力があってこそのものだ。そういうわけで、王家を始め抗議された家は戦々恐々としているだろう。
そうでなくてもデナウ王国と並ぶ大国である隣国のゲナウ帝国は最近、近隣の小国を傘下に収め勢いを増している。ある意味王国は今、ボルジア侯爵家の力を最も必要としているのだ。そんなときにボルジア侯爵家の反感を買うことがいかに危険なことかは馬鹿でも分かる。
馬鹿でも分かるはずだったのだが・・・。
「アレクセイ、今日はゆっくりしていきなさい。こんなことがあってはエカテリーナも心細い思いをしているだろう。是非、話し相手になってやってくれ」
俺は、ボルジア侯爵からかなりの好感度を得た。ボルジア侯爵は娘に甘い。しかもボルジア侯爵は軍務大臣で騎士団長である俺の親父とも親しい。
これは運が向いてきたのではないだろうか?
そして、今俺は、エカテリーナと二人でお茶を飲みながら会話を楽しんでいる。
「アレクセイ、なぜ、あなたは私を庇ったのですか? あの場にあなたがいたのなら、私がミグル男爵令嬢を突き落とそうとしたのが本当だと知っているはずです」
俺は質問には答えずというか、あなたの顔と体がすばらしかったので、とは言えなかったので、質問で返した。
「逆に訊きますが、なぜあなたはサーシャをいじめていたのですか? あまつさえ階段から突き落とそうとするなど」
「あの女が王妃になどなったらこの国はどうなると思いますか?」
「まあ、国のためには良くはないでしょうね」
サーシャはゲームの主人公であり善人だ。それは間違いない。だが、その設定上、貴族の振る舞いなどには疎く、純真すぎて駆け引きもできない。性格は良くても王を補佐する有能な王妃にはまずなれないだろう。
まあ、作者の発想の貧困さが分かるテンプレ以外の何物でもない設定だ。
「良くないどころか、すぐに帝国に難癖でも付けられて、また領土を削られますよ」
確かに最近王国は帝国に押され気味だ。
しかし・・・。
「いや、いくらなんでもミグル男爵令嬢が王妃になっただけで」
俺の言葉を途中で遮るとエカテリーナは「問題はミグル男爵令嬢だけではないのです」と言った。
「というと?」
「オーギュストをどう思います」
なるほど、そういうことか。
「うーん、バカ・・・ですかね」
「その側近候補たちは?」
「やっぱりバカですね」
俺はオーギュスト、ジルベール、エロール、カイルの顔を思い浮かべる。オーギュスト以外の名前の最後に全員ルがつくのは、このゲームの作者のいい加減な性格が原因だろうか? いや。俺もアレクセイだから違うのか・・・。
いやいや、今考えるべきはそこじゃない。
俺は昨日この世界に転生してきたばかりだがゲームの内容を知っている。アレクセイとしても記憶もある。あっという間にサーシャ・ミグルに絆されてしまった俺も含めた5人は控えめに言っても相当なバカだ。サーシャが実際に性格の良い令嬢だったとしてもだ。婚約破棄をする前に、ボルジア侯爵家と王家の関係とか、今の王国と帝国の関係とか、いろいろ考える必要がある。実際に今王家が困っているだろうことは想像に難くない。
なるほど、バカな王に貴族としての教育をあまり受けてない王妃、側近もバカばかり、確かにこれはまずいかもしれない。
勉強に関しては脳筋設定の俺を除いて皆優秀だ。とくにジルベールはそうだ。だが、いかんせん、人間関係や政局を読む力に欠けている。いや欠けすぎている。
そもそも人が好すぎるのだ。
乙女ゲームの攻略対象なのだから全員性格が良いのは当たり前だ。乙女ゲームのご都合主義がなせる技だとしたら彼らも被害者なのかもしれない。設定の甘さや発想の貧困さが非難されるとすれば、それはこのゲームの作者に対してなされるべきだろう。
とにかく、そうでなくても帝国に押され気味なのに、軍務大臣でありこの国随一の武闘派であるボルジア侯爵がこの件により王家に対して反感を持てば将来何が起こるか分からない。最悪の場合はボルジア侯爵が帝国と通じてなんてこともあるかもしれない。
だがゲームではこの国の将来のことなど描かれない。
ゲームはオーギュストとサーシャのハッピーエンドで終わる。エカテリーナは修道院送りだ。殺されたり国外追放にならない辺り、昨今のゲームとしては悪役令嬢に比較的優しい結末なのかもしれない。
どっちにしてもゲームの目的はエカテリーナが『ざまぁ』されて、サーシャの恋が実ることだ。それでプレイヤーがサーシャに感情移入して幸福感を得られればいいわけだ。
「全員バカです。私は昨日まであなたも同類だと思っていましたよ」
「面目ないです」
エカテリーナは俺を蔑むような目で見た。
この目は悪くない。いや、悪くないどころか、なかなかいい。
「まあ、私もサーシャを階段から突き落とそうとしたところを、あなたとカイルに目撃されたのは失敗でしたわ」
「確かにあれはやりすぎでしたね」
「私の嫌がらせにもかかわらず、あの娘がなかなか引き下がらないものだからちょっとムキになってしまいましたわ」
少し反省しているエカテリーナも可愛い。
うん、これも悪くない。いや、悪くないどころかすごくいい。
「なるほど、そういうことでしたか。理解しました」
俺は、その後、エカテリーナを庇った理由を、はっきりとは分からなかったが、あなたのすることだから何か意味があるのだろうと思って庇ったのだとかなんとか、適当なことを言って誤魔化した。
「で、結局、婚約破棄されたわけですけど、これからどうするのですか?」
俺はエカテリーナを見る。
やっぱり顔といい体つきといい悪くない。いや、すばらしい。
「今、ちょっと寒気を感じましたわ」
「きっと、またあいつらがエカテリーナの悪口でも言っているんでしょう」
「・・・」
エカテリーナを見て、俺は日本にいたときの彼女のことを思い出した。美月も俺にはもったいない美人だった。俺には美月以外に彼女がいたことはない。
まさか美月が自殺するとは・・・。
高校で知り合い同じ大学に進んだ。美月は俺と違って優秀だったので、誰でもその名を知っている一流企業に就職した。俺と違って明るく友達も多かった彼女がまさか職場で虐められていたなんて・・・。
俺は全く気付いていなかった。俺の前の彼女はいつだって明るくて元気そうだった。むしろ何をやっても不器用な俺のほうが励まされたりしてたのに。
美月・・・。
「どうしたんですの? 急に真面目な顔になって気持ち悪いですわ」
「いや、なんでもない」
残念ながら、その後は、あまり会話が弾まなかった。
★★★
結局、オーギュストとエカテリーナの婚約は破棄された。
ある意味俺のしたことは無駄だったわけだ。ボルジア侯爵は愛娘が受けた恥辱を許さなかったし、今更、エカテリーナとオーギュストがよりを戻す雰囲気でもなかったから仕方がない。婚約は破棄されたがエカテリーナは修道院送りにはならなかった。
王家側にもボルジア侯爵家側にも遺恨が残った。エカテリーナのサーシャへの虐めに関しては、それが事実だったかどうかの結論は曖昧になった。
俺の発言はそんな中途半端な状況を生み出した。
今考えるとなんであんなことをしたのか俺自身にも分からない。なんせ俺はあの瞬間アレクセイに転生したばかりだったんだから。いや、本当は分かっている。なぜか一目でエカテリーナのことが好きになったからだ。妹を手伝ってゲームをしていたときには、全く押しキャラでもなんでもなかったのに不思議だ。そもそも、俺は『心優しき令嬢の復讐』も含めて乙女ゲームになど興味がなかった。
だが実際にエカテリーナを一目見たら・・・。
婚約は破棄され、俺はボルジア侯爵に気に入られた。エカテリーナは修道院に送りにはならず、今はフリーだ。これは俺にとっては、とても都合がいい状況に思える。
だが、それはそれとして、こうなってみるとエカテリーナの言う通りこの国の行く末は暗い。ゲームはオーギュストとサーシャが結ばれ、エカテリーナが修道院送りになりハッピーエンドを迎えておしまいだ。
だが、この世界に生きる者にとってこれはゲームではない。もちろん俺にとってもだ。物語はこの先も続くのだ。
将来、愚王と政治のことを何も知らない王妃の収める国の住人になるなんて、堪ったもんじゃない。そうでなくても隣国である帝国には勢いがある。
俺はどうすべきだろうか?
★★★
ここはボルジア侯爵家の屋敷、エカテリーナの部屋だ。外はもう暗い。
エカテリーナが飲み干した紅茶のカップを下げて立ち去ろうとした執事のセバスは、エカテリーナを見ると、我慢できずに話かけた。
「お嬢様、なぜ、あのようなことをなされたのですか?」
「セバス、なんのことかしら?」
エカテリーナは、本当に何も分からないといった表情で訊き返す。
訊き返しながら、執事の名前がセバスだなんてこのゲームの作者はやっぱり想像力の欠片もないわ、などと考えていた。
「いえ、お嬢様が転生者だという話は昔から聞いておりましたので」
「そうね。セバスだけが信じてくれたものね」
「はい。お嬢様の話は小さな子供の想像と言うにはあまりにも具体的でした」
エカテリーナが小さな子供だった頃、エカテリーナは科学というものが発達した世界からの転生者だと周囲に吹聴して回った。そしてこの世界は物語のような世界なんだとも。
精神が実際の年齢に引きずられるのか小さい頃のエカテリーナはとても無邪気だった。
だが、あたりまえだがそれを信じる者はいなかった。セバスを除いては。それはそうだ。子供というものはどんな世界でも妖精と話せたりするものなんだから。そしてみんな大人になればそんなことは言わなくなる。
だが、セバスは小さなエカテリーナを信じた。
小さなエカテリーナが語る異世界の話は、あまりにも具体的だった。たどたどしい言葉で科学というもの説明するエカテリーナの話にセバスは引き込まれた。電気だの便利な電気製品だの、少しこの世界の魔法や魔道具に似たそれを具体的に説明するエカテリーナの話が子供の想像だとはセバスには思えなかった。
それは、そうだだろう。エカテリーナは精神が年齢に引きずられていたとはいえ、前世では十分大人と言える年齢まで生きたのだから。
「私は信じておりましたが、それでも、お嬢様が小さい頃からお話になっていたように本当に婚約破棄されるとは驚きました。この世界が前世での物語の世界だと仰っていたお嬢様なら、婚約破棄などいくらでも回避できたはずなのでは?」
セバスは本当に驚いたとばかりに細い目を少しだけ大きくした。
「だから国のためだって説明したでしょう?」
「国のためにミグル男爵令嬢がオーギュスト様に取り入るのを邪魔していたと? ですが、本当に婚約破棄されてしまっては」
「その点はちょっと失敗したのよ。だってサーシャはあまりに好い人すぎるし、オーギュスト様は頭が悪すぎて、とてもイライラしたの。もっとうまく立ち回れば良かったわ」
「そうですか」
セバスはあまり納得していないように相槌を打った。
セバスは知っている。エカテリーナならもっと上手く立ち回るのが、そんなに難しいことではなかったことを。小さいころからエカテリーナはとても聡明な子供だった。
エカテリーナは窓の外を見る。
今夜は美しい満月だ。
「きれいな月ですな」
エカテリーナの視線につられて窓の外を見たセバスが言った。
「そうね」
エカテリーナはセバスの次の言葉を待った。
「そういえば、お嬢様の前世の名前は美しい月でミツキだったのでは?」
「あら、そうだったかしら。もう前世のことは忘れかけてるの。大人になったせいかしら」
エカテリーナとセバスは黙って、互いに相手の次の言葉を待っていたが、先に口を開いたのはセバスだった。
「アレクセイ様は、なぜエカテリーナ様を庇ったのでしょうか?」
「さあ、なぜかしら。私にも分からないわ」
「アレクセイ様は、お嬢様のことが好きなのでしょうか?」
エカテリーナは何も答えない。
「お嬢様は、アレクセイ様のことが好きなのですか?」
「そうよ」
そう、エカテリーナはアレクセイのことが好きだ。
「ならば、せっかく婚約破棄されたのですから、御父上を動かしてアレクセイ様と結ばれるのも可能なのでは?」
セバスの言う通りだ。ボルジア侯爵家の力を持ってすれば、エカテリーナがアレクセイと結ばれるのはさほど難しいことではない。王家だってオーギュストの醜態を穴埋めするために、ボルジア侯爵家に恩を売れるのであれば願ったりで反対はしないだろう。
でも・・・。
「それはないわね。それより、この件を聞きつけた帝国が第三王子あたりとの結婚を打診してくるんじゃないかしら」
「それをお受けになると」
「ええ」
「それも、お国のため・・・ですか?」
「そうかもね」
「お嬢様はアレクセイ様がお好きなのでしょう。それなら」
エカテリーナはセバスのなぜという言葉を目で制すると、「セバス、そろそろ寝ます」と言ってセバスに部屋を出るように促した。
セバス、いつも私のことを心配してくれてありがとう。でも話はこれでおしまい。
小さく音を立てセバスが出ていた後、エカテリーナは、窓から満月をもう一度眺めると、何事か考えていた。
★★★
ゲナウ帝国の王宮の一室で第三王子ダイカルトは父であるジェズアルド王に直談判していた。
「父上、是非王国のボルジア侯爵令嬢のエカテリーナに婚姻を申し込みたいのです」
ダイカルトはさっきから同じことを何度もジェズアルド王に訴えている。
「ダイカルトよ。それはならん、だいたいそのエカテリーナとやらはかなり性格が悪く一部では悪役令嬢などと呼ばれていると聞いたぞ」
「悪役令嬢! 面白いではないですか!」
ジェズアルド王は呆れた顔して我が子を見た。ジェズアルドには3人の息子がいる。長男の王太子アルベルトはすでに結婚している。堅実な性格で清濁併せ飲む度量も持ち合わせており後継者として申し分ないが、やや野心に欠け面白みにかけるなというのがジェズアルドの評価だ。
次男のカルベルトは独身だが優しい性格で頭も良い。ちょっと線が細いところがあるのをジェズアルドは心配し気にかけている。
最後が目の前にいる第三王子のダイカルトだ。ダイカルトはまさに才気煥発、もちろんアルベルトの前では言わないが、ダイカルトが後継者ならちょっと面白かったんだかとジェズアルドに思わせる聡明な王子だ。
「父上、王国のボルジア侯爵家といえば王国一の武門の家です。それが今回の婚約破棄事件で王家との関係がギクシャクしています。チャンスですよ」
ダイカルトのいうことは分からないでもない。だかダイカルトが思っている以上にジェズアルド王は3人の息子たちを愛していた。
ダイカルトの嫁に悪役令嬢を迎えるなんて・・・。
「父上、王子や侯爵令嬢の結婚なんて、どうせ、ほとんどが政略結婚なのです。ボルジア侯爵令嬢だって分かっているでしょう。ボルジア侯爵が一人娘のエカテリーナを溺愛していることは有名です。きっとこの申し出に乗ってきますよ。僕は第三王子ではありますが、父上のおかげで今は帝国のほうが勢いがある上、自分で言うのもなんですが容姿だって頭だって悪くない。オーギュストの代わりとしては申し分ないはずです」
「いや、お前が申し分ないのは分かっているが、エカテリーナのほうがお前にとって申し分あるのだ」
ジェズアルド王はやれやれと言った表情でダイカルトを見た。それでもダイカルトは引かない。
「僕は何と言われてもボルジア侯爵家の令嬢にして悪役令嬢のエカテリーナに結婚を申し込みます。こんな面白い娘を逃すわけにいきません」
それが本音か・・・。ダイカルトのもの好きにも困ったものだ。
結局ジェズアルド王は、この聡明でちょっと変わり者の息子の願いを叶え、ボルジア侯爵家に婚姻を申し込むことにした。
ジェズアルド王自身、面白ことが好きだし何よりも野心家だ。ダイカルトの言う通り、この婚姻は面白いどころかゲナウ帝国の役に立つことは間違いない。
★★★
学園ではエカテリーナが帝国の第三王子ダイカルトに嫁ぐという噂で持ちきりだった。
オーギュストに婚約破棄されたエカテリーナに帝国が持ちかけた話で、ボルジア侯爵家もそれを受けたというのだ。
俺の知っているボルジア侯爵はエカテリーナに無理を強いるような性格ではない。だとしたら、これはエカテリーナが自分の意志で決めたのだろう。
エカテリーナは、またボルジア侯爵家のため、ひいては王国のためを思って決断したに違いない。
俺は心がざわめくのを感じた。
俺は決断すべきではないだろうか? 前世の失敗を繰り返してはいけない。もう、後悔するのはゴメンだ!
俺は美月のことを思い出した。
あれは高校2年の時だった・・・。
美月に憧れていた俺は、学校の休み時間に少し離れた斜め前に座る美月のスカートから覗く少し艶めかしい足をチラチラと見ていた。今思うとあの頃の俺はどうしようもない陰キャだ。
美月は、美月の机に片手を置いて話す笹尾の相手をしていた。笹尾は背が高く俺と正反対の陽キャで友達も多いがちょっと押しつけがましいとこのあるやつだった。
「おい、お前、なんか俺に文句があるのか!」
笹尾は俺がチラチラ見ていたのを、何か勘違いしたらしい。
「い、いや別になにも・・・」
気付いたら俺は笹尾に襟首を掴まれていた。
「さ、笹尾くん。く、苦しいよ」
そのとき、キンコンカンとチャイムが鳴り、ガラリと引き戸を開けて先生が教室に入って来たので、笹尾は仕方なく自分の席に戻った。授業が終わると、笹尾はもう俺には興味を失ったみたいで何も言ってこなかった。臆病な俺はそのことに安堵した。
たったそれだけのことだったが、この出来事は俺と美月の関係に劇的な変化をもたらした。
美月はあのとき、押しつけがましい笹尾に絡まれて苦労していたらしいのだ。それをなぜか俺が助けたと思い込んでいた。俺はただ美月の足を見ていただけなのに。
その後まもなく俺は美月から告白されて恋人同士になった。ちょっと目には芸能人のようにも見えるその容姿に反して控えめな性格の美月は、俺のことを優しい男だと好きになってくれたようだった。
そういえば、陰キャの主人公がクラスで人気者の女の子と恋人になるというアニメが当時流行っていた。
俺と美月の関係はその後、二人が大学を卒業し、俺が就職に失敗し美月が一流企業に就職するまで続いた。 そして、会社でいじめに遭った美月が自殺して唐突に終わった。
俺は美月の会社での苦労に全く気がつかず・・・いや、美月はきっと俺に気がつかれないようにしていたのだ・・・むしろ美月に就職が上手くいかない愚痴をこぼしたりしていた。
そこまで思い出した俺は、自然と胸を押さえていた。
そうだ! やっぱり俺は前世の失敗を繰り返すべきではない。
★★★
俺はエカテリーナが帝国へ向かう日、街道でその馬車を待ち受けた。前世を俺の性格からすれば、ずいぶん思い切ったことをしたものだ。
俺が馬車の行く手を遮るように馬を近づけると、護衛の一人が剣を抜いて俺の前に立ちふさがった。
「俺はギルロイ家の嫡男アレクセイだ!」
「騎士団長の?」
「ああ、騎士団長セドリック・ギルロイの息子だ」
「そういえば、確かに見覚えがある・・・」
護衛の男は「そのセドリック団長のご子息が何の用ですかな?」と訊いてきた。俺が騎士団長の息子だと知って剣こそ収めたが、その顔には警戒心が浮かんでいる。
「エカテリーナ様と話がしたい」
「エカテリーナ様はこれから帝国へ行かれる途中だ。そんな時間は」
そのとき、馬車の中から「かまわないわ」と透き通った声が聞こえてきた。
エカテリーナだ!
声まで美しい。
★★★
なんと、あのアレクセイが帝国に嫁ぐ私を街道で待ち伏せていた。あのアレクセイにそんな勇気があったなんて・・・。
私は護衛の忠告を聞かずに「ちょっとの間だけだから」と言ってアレクセイを馬車に招き入れ二人だけになった。
「さあ、これで二人だけになったわ。この馬車は魔道具で結界が張られていて盗み聞きされる心配もない。一体なんでこんなことをしたのかしら?」
アレクセイは真っすぐに私を見て言った。
「俺はエカテリーナが好きだ!」
正直、私は驚いた。だって彼は・・・。
「今度は俺のほうから言えた・・・」
アレクセイが何か呟いているがよく聞こえない。
「そうだったの?」
「ああ、大好きだ!」
「私はアレクセイのことが好きよ」
さっきまで緊張で強張っていたアレクセイの顔が歓喜に染まっている。
「やった! 今度は後悔せずにすんだ!」
一体、彼は何を言っているんだろう? 私にはまったく理解できない。
「いえ、私はアレクセイが好きだったわ」
私は言い直した。
「だった?」
「ええ、どこの誰とも分からない転生者が体を乗っ取る前のアレクセイがね」
目の前の男は、私が言っていることが理解できないのか、ポカーンとした顔をしている。
「あの発言を聞けば、あなたが私と同じ転生者だって、すぐに分かったわ」
以前のアレクセイはいわゆる脳筋だった。オーギュストたちと同じですぐにサーシャに絆された。サーシャはゲームの主人公であり性格も良いのだから、5人の中でも特に単純で素直なアレクセイが絆されるのは当然だった。
だけど、私はそんな単純で純粋な脳筋バカであるアレクセイが幼い頃から好きだった。前世でゲームとしてこの世界を知っていたときからアレクセイは押しキャラだったのだ。
考えて見れば、彼とは正反対のキャラだ。好きになったのはそれが理由だったのかも。それなのに、私の好きだったアレクセイは外見だけはそのままに、突然別人になってしまった。
「私のアレクセイを返してよ!」
16年間、いえ、前世も入れればもっと長い間恋し続けていたのに・・・。
突然、アレクセイの性格が変わって私は大きなショックを受けた。オーギュストから婚約破棄されたけど、目の前の男があんな発言をしなくても修道院送りを逃れるため伯爵令嬢のアメリアに証言を頼んであった。あのときはアメリアも驚いていた。自分が言うはずだったことを先に言われたのだから。あとはお父様の力でアレクセイと婚約するだけだったのに・・・。
私がサーシャをいじめていたのは国のためなんかじゃない。
オーギュストから婚約破棄されて自分が好きな人と結ばれるためだ! それなのに・・・。
「い、いったい何を言って・・・」
「何をじゃないわよ。だから言ってるでしょう。私は昔からアレクセイが好きだったのよ。予定どおり婚約破棄されたのに」
それが、こいつが転生してきたせいで・・・。
「すべて台無しじゃない!」
この世界では自分の思った通りに生きよう。本当に好きな人と結ばれるためには悪女にだってなろうと思っていた。前世の失敗は繰り返したくなかった。
そう、前世の私は彼氏のせいで自殺したのだ。
有名な企業に就職した私は、毎日仕事に追われていた。上司も厳しかった。でもそれだけなら耐えられた。やりがいだってあった。
私の彼は典型的なダメ男だった。
忙しい私の時間にかまわず自分にかまってもらいたがった。やれ就職が上手くいかない、妹が俺を馬鹿にしている、くだらない話ばかりだ。あとはやることといえば、あればっかりだ。私が会社での苦労をそれとなくほのめかしても気がつく気配もなかった。それなのに、優しい私は彼を見捨てることができずに、とうとう精神に変調をきたした。
高校生のとき、私のほうから告白して付き合い始めたという負い目もあったのかもしれない。考えてみればあのときだって、私を助けたんじゃなくて私の短いスカートから覗く太腿でも見ていたのかもしれない。恋人として行為を思い出せば、まんざらあり得ない想像でもない。とにかく優柔不断な私は彼を突き放すことができなかったのだ。
「そう言うわけだから、どこの誰かは知らないけど、さっさと私の前から消えて頂戴!」
目の前の男は唖然とした顔している。あうあうと言うだけで言葉が出てこないみたいだ。
こないだ転生してきたばかりのくせに、街道で待ち伏せして告白するなんて、まるで彼の、あいつのような勘違い男だ。
呆けたような顔してヨロヨロと馬車を降りる勘違い男を見ていたら、さっきまでの怒りがだんだん収まってきた。なんだか、すごくすっきりした。
ラノベで『ざまぁ』した主人公のような気分だ。
うん、前向きな気分になってきた。
そういえば、以前遠くから見かけた帝国の第三王子はなかなかのイケメンだった。評判も悪くない。このままいけばデナウ王国はゲナウ帝国の軍門に下ることになるだろう。そのとき、この婚姻は我がボルジア家の役に立つ。
そういえば・・・帝国の第三王子といえば・・・もしかして、一番攻略難易度が高いと言われていた隠れ攻略キャラではなかったか。確か顔面偏差値が一番高く、そのほかのスペックも最高レベルと噂されていた。
私はゲームでは出会うことすらできなかった・・・。
これは、結構運がいいのでは、だとしたらあの勘違い男も悪くない仕事をしてくれたのかもしれない。もちろんアレクセイのことは残念だ。ずいぶん長い間恋してきたのだから、忘れるのにはちょっとした時間と心の痛みが必要かもしれない。
でも、今の私は前世の私とは違う。このくらいのことで挫けたりしない。
「ちょっと邪魔が入ったけど、帝国へ向けて出発して頂戴」
私は前を向いた。私の頭の中からは、さっきのどこの誰とも分からない転生者のことはすでに消えていた。
私はこの世界で絶対に幸せになってみせる!
メインで連載しているハイファンタジー「ありふれたクラス転移」とは全く違うテイストの話を意識して書いてみたのですが、どうだったでしょうか?
作者の図々しい過度な? 期待ほど読まれていないメインの「ありふれたクラス転移」と全く違った方向で書いてみたら一体どうなるのか? 「ありふれたクラス転移」よりは読んでもらえるのか? そんな感じで書いてみました。
少しでも作者の作品に興味を持っていただけたら是非「ありふれたクラス転移」も読んでみて下さい。とても力を入れて書いています。
それから、読者の方の意見が知りたいので、感想やレビュー、ブックマークへの追加と下記の「☆☆☆☆☆」から評価してもらえるとうれしいです。
とても励みになりますし、ご意見を「ありふれたクラス転移」の投稿やこれからの作品に生かしていきたいと思っています。「ありふれたクラス転移」を含めて忌憚のないご意見をお待ちしています。
よろしくお願いします。
(追記)
本作の続編となる「敵国の姫騎士と恋の駆け引きをしていたら、転生者の悪役令嬢が絡んできました!(『心優しき令嬢の復讐』シリーズ2)」と「転生悪役令嬢の憂鬱と人生やり直し侍女の献身(『心優しき令嬢の復讐』シリーズ3)」を投稿しています。本作が思った以上に好評だったので調子に乗ってシリーズ化して続編を書いてみました。是非読んでみて下さい。