89、祝勝の灯、静寂の余韻
地下実験場に、再び静寂が戻っていた。
瓦礫と血痕の残る通路を、エルドリンは一歩ずつ進む。
倒れ伏した試験体の残骸を、一体、また一体と、無言のままマジックボックスへと収めていく。
異様に接合された四肢。
歪められ、ねじ曲げられた魔力の残滓。
それらに向ける感情は、憎悪でも嫌悪でもなかった。
胸にあるのはただ一つ――二度と、同じ過ちを繰り返させないという、静かな誓いだけだった。
後方では、ソフィア、ソレンディル、イリスの三人が浄化魔法を展開している。
白く澄んだ光が床と壁をなぞり、血の匂いと瘴気を丹念に洗い流していった。
重く沈んでいた空気は、少しずつ澄み、やがて人が息をしやすい静けさへと変わっていく。
地上に出ると、エルドリンは回収した残骸を一箇所に集め、土の壁を高く立ち上げて囲いを作った。
「――ファイヤ」
低く告げた言葉と同時に、炎が立ち上る。
赤熱した空気が揺らぎ、百体を超える試験体の残骸は、時間をかけて丁寧に焼き尽くされていった。
骨が爆ぜ、灰が舞い、やがてすべてが静かに消えていく。
その光景を、アシュリーとリシェルは黙って見守っていた。
アレクセイが、あえて二人を引き留めた理由を、彼らは理解していた。
――戦いとは、勝った瞬間で終わるものではない。
「よし、洗浄完了~」
地下に戻り、ソレンディルが軽やかな声を上げる。
「それじゃあ、急いでオーダー・コアの再建をしてくれ」
腕を組んだヴァレンが促す。
「エルドリン、余っている魔法の杖はある?」
「使っていないものがあります」
マジックボックスから取り出された杖には、マナを集積する高品質な魔石が嵌め込まれていた。
ソレンディルは一瞥し、満足そうに頷く。
「うん、これで十分」
彼女はイリスへと視線を向け、説明を続ける。
「エルメリオン王国にも、オーダー・コアに似た仕組みがあるって話したよね。
マナ集積用の魔石と、発動用の触媒があれば構築できる。
幻術で侵入者を惑わせつつ、侵入地点を即座に把握する仕組みだよ」
「確かに便利ね。でも……どうしてそんな事まで知っているの?」
「さあ、どうしてだろうね~」
そう言って肩をすくめ、ヴァレンを見る。
「オーダー・コアも、同じようにアップグレードした方がいいと思う?」
「外敵の位置が分かるなら対処が容易だ。そうしてくれ。
領主には、改修済みだと伝えよう」
索敵魔法が杖に付与され、魔石が淡く輝く。
結界魔法で装置は球体状に包まれ、さらに採光魔法が重ねられ、内部は白い光に覆われた。
「――完成」
「本当に、あなたにはいつも驚かされるわ」
イリスの言葉に、ソレンディルは首を振る。
「違うよ。今回も、前回も。
イリスがいなければ、エルドリンはここにいなかった。
勝利の一端は、確実にあなたのものだよ」
二人は静かに微笑み合った。
その後、ヴァレンはエルドリンを伴い、領主の館へ向かった。
報告は簡潔かつ要点を押さえたものだった。
地下の存在、内通者、研究の真相、そしてオーダー・コアの破壊――
それらは語られない。
「……なるほど。内通者とは、厄介なものですな」
領主エルシストは深く頷き、満足した様子を見せた。
報告を終え、ヴァレンは軽く肩をすくめる。
「私は帝都に戻る。思いがけず早く終わったことに礼を言う」
「ここまでお越しいただき、感謝しております」
「それにしても、実に面白い戦いだった。……また呼べ」
エルドリンが転移魔法陣を展開する。
白い光が立ち上り、ヴァレンの姿を包み込んだ。
「次は、もっと厄介な案件で頼むぞ!」
その言葉を残し、彼は帝都ローゼンベルクへと帰還した。
日が落ち、夜を迎えた頃。
フリーデンベルク領主の館は、柔らかな灯りに満ちていた。
高い天井には魔法灯が星のように瞬き、
長卓には色とりどりの料理と酒が並ぶ。
戦勝を祝う宴。
そこに満ちていたのは喧騒ではなく、安堵と誇りが織りなす温かな空気だった。
地元の有力者たちは、アレクセイを囲み談笑している。
「死者が出なかったとは見事ですな。
君の父上も立派だが、君の采配も噂に違わぬ」
「恐れ入ります。息子もまだ修行中の身です」
その傍らで、アシュリーは控えめに立っていた。
ふと、その視線が一人の女性に奪われる。
リシェルだった。
淡い紫のドレスは彼女の瞳の色と見事に調和し、
浅黒い肌と白銀の長い髪を、いっそう美しく引き立てていた。
――綺麗だ。
言葉を失った、その一瞬。
「……?」
気づいたリシェルが首を傾げる。
「な、なんでもない!」
慌てて視線を逸らすアシュリーに、彼女は小さく微笑んだ。
アレクセイは、その様子を静かに見守っていた。
ホールの一角では、フリーデンベルクの教会関係者たちがソフィアと語らっている。
「噂以上のご活躍でした。
結界と治癒、そして聖獣ナイト様……まさに聖女の名にふさわしい」
「いえ、私は後方支援が主でした。前線ではナイトが――」
謙遜の言葉を並べつつ、内心では溜息をつく。
また“聖女”として見られる日々が始まるのだろう、と。
背後には、虎魔獣ナイトが威厳を保ったまま静かに座していた。
一方、ソレンディルは――
「無詠唱って本当ですか!?」
「四重詠唱の理論を教えてください!」
質問攻めに遭っていた。
「はいはい、順番ね!」
笑顔で応じながら、ジョッキを傾ける彼女の表情は実に楽しげだった。
宴の中央。
正装したエルドリンの騎士然とした佇まいに、視線が集まる。
その隣には、エメラルドグリーンのドレスを纏ったイリス。
白銀の髪。
お揃いのアンクレット。
二人は静かに語り合っていた。
「……怖かったよ」
「勇者様が?」
「意識を失う直前、君の顔が浮かんだ。
もう会えなくなるかもしれないと思った時……本当に、怖かった」
イリスは微笑む。
「信じるわ。貴方は、私の勇者だもの」
「踊るかい?」
差し出された手に、彼女はそっと掌を重ねる。
音楽に合わせ、二人はゆったりと舞った。
言葉はいらない。
指先の温度、視線の交差――それだけで、十分だった。
祝勝会は夜更けまで続いた。
戦いを越えた者たちの笑顔が、
館の灯りの中で、いつまでも輝いていた。




