85、エーベルハルト到着
夜が明け、朝霧が街を淡く包み込む。
巨大な飛行艇の輪郭が霧にぼんやりと浮かび上がり、その周囲に動く影が映った。
パープルヘイズ中隊の面々が、次なる目的地――帝国軍総司令都市エーベルハルトへの出立準備を整えていた。
エーベルハルトは“オーダー・コア”によって守護される鉄壁の都市だ。
巨大神器による“警戒魔術網”が周囲を覆い、敵意ある者はすべて検知される。
帝国軍十万を束ねる中枢であり、魔力汚染ひとつで作戦全体が崩壊する最重要拠点。
そして――
その中心へ“闇の主が製作した魔石”がすでに持ち込まれている、という偵察報告が上がっていた。
脅威判定が急上昇した要因であり、今回の任務の緊迫度はこれまでにないほど高い。
同じ頃、エンペリア帝国・皇城深部の執務室では暗い密談が交わされていた。
「……グレートレイブ湖の“施設”はどうなっている」
「密偵がアルカディア王国に捕縛されました。
情報漏洩防止のため、施設は閉鎖。研究資料は防御力の高いエーベルハルトへ移送済みです」
「エーベルハルトか……オーダー・コアで守らせる、と?」
「はい。ファイヤクラフティのヴァレンでさえ迂闊には手を出せぬ場所です」
「それならばよい。あれを失うわけにはいかんからな……」
皇城には、誰にも知られぬ巨大な企みが蠢いていた。
飛行艇は昼過ぎ、エーベルハルトの郊外へ到着した。
街は活気に満ち、通りには商人、兵士、子供たちの姿が見える。
一見すれば、魔石の脅威などどこにも存在しない“平穏な城塞都市”である。
だが――その表面の下で、濁ったものが脈動していた。
エルドリンは街へ降り立つと同時に、
魔石探知の術式を静かに起動した。
胸を刺すような、粘つく魔力の悪臭。
嫌悪感と同時に、怒りにも似た感情が腹の底から湧き上がる。
「……いるな。確実に」
横に立つソレンディルも、イリスも同じものを感じ取っていた。
エルドリン、ソレンディル、イリスの3名は、遮蔽・隠蔽魔法を重ねて都市上空へ。
風の精霊が彼らの体を軽く押し上げ、白い霧の中を滑るように移動する。
三方向から感知波を絞り込み、都市の核へ迫る。
やがて見えてきたのは――
街を象徴する巨大な高層建築。
空気そのものが歪むほどの禍々しい気配が濃縮されていた。
そのころ、アレクセイはソフィア、アシュリー、リディア、そして聖獣ナイトを連れて領主邸へ向かっていた。
彼の顔には、軍人としての厳しさが戻っていたが、
その奥に微かな緊張と責務の重さが宿っていた。
「パープルヘイズ中隊を教会で待機させる。――よし、行くぞ」
青い屋根がひときわ目を引く大邸宅。
手入れの行き届いた庭園と、規律正しく並ぶ使用人たち。
緊迫した状況とは裏腹に、あまりに整いすぎた空気がアレクセイの胸に逆に不安を呼び起こす。
客間に通され、紅茶が注がれる。
ナイトは部屋の隅で静かに身を丸め、
嵐の前の静けさを象徴しているようだった。
アシュリーは父の横顔をじっと見つめた。
普段は豪胆で頼もしい父が、深い思考の渦に沈んでいる。
その姿に少年の胸は強く締め付けられる。
(……僕も、父さんを支えないと)
アシュリーの拳は自然と強く握られていた。
一方その頃、エルドリンたちは怪しい建物前へ降り立っていた。
衛兵6名が入口を固め、鋭い視線を向けている。
「ここは何の施設か教えていただけますか?」
「街を守る“オーダー・コア”の保管・制御施設だ」
エルドリンの胸が軽く凍りついた。
魔石があるのは――
帝国の心臓部そのものではないか。
(……これは領主への説得では済まされない。
帝国上層部、いや、ヴァレン殿に頼むしかない)
イリスの手が、そっとエルドリンの指を握った。
その温もりが、不安と焦りで揺れ始めた心をわずかに安定させる。
「大丈夫。」
エルドリンは短く頷いた。
領主邸の客間――
ソフィアの表情が青ざめ、
アレクセイはすぐに異変に気づいた。
「どうした。……エルドリンからか?」
「はい……魔石は、“オーダー・コア施設”にあるそうです」
「――なに……?」
アレクセイは息を呑んだ。
軍の神経中枢たる大施設。
異国の部隊が踏み込むことなど、通常なら絶対に不可能。
説得材料など何一つない。
焦りが胸を締めつけ、部屋の空気が重く沈む。
アシュリーも父の苦悩する横顔を初めて見て、
戦慄と共に強い不安に襲われ、喉が渇いた。
(止められないのか……? 本当に……厄災が)
その時――
魔道具が震え、エルドリンの声が響いた。
『アレクセイ様、領主への説明では“魔石の場所は探索中”と伏せてください』
「なに? なぜだ」
『この作戦の帝国側最高指揮官は、ファイヤクラフティの“ヴァレン・ドラコス”殿です。
彼を連れて、領主へ直接指揮を出してもらいます』
アレクセイは驚愕した。
「あのヴァレンを……動かせるのか!?」
『ええ。グリフォン討伐で共闘し、ミスティクレスト作戦会議でも意見を交わしています。
“厄災の排除”について、帝国で最も危機感を抱いているのは彼です』
アレクセイは息を呑んだ後、じわりと安堵が胸に広がった。
『時間を稼いでください。
私はイリスと帝都ローゼンベルクへ転移し、ヴァレン殿を説得します』
アシュリーにも声がかかった。
『アシュリー、前回の戦闘の全容を領主に説明してくれ。
前線にいた君でなければ語れない』
「必ず伝えます、エルドリン」
魔道具が静かに沈黙する。
――次の瞬間、部屋に重苦しく漂っていた暗雲が一気に晴れた。
アレクセイは大きく息を吐き、
額に手を当てながら笑う。
「……あいつは、どこまで行くんだ。
まったく頼もしすぎるほどだ」
ソフィアも胸を押さえ、リディアは安堵し、
アシュリーはエルドリンの判断に深い尊敬を覚え、拳を握った。
「エルドリン……必ず成功してくれ……!」
ナイトが静かに目を開け、
その黄金の瞳に力強い光が宿った。




