72、再会
第三回会議は、各陣営の偵察報告を基に行うことが決まっていた。
それまでに、どれほどの兵を動かせるか、どの国がどの戦線を支えるか――
連合軍の未来を左右する準備期間である。
会議が終わると、エルドリンは仲間たちに静かに声を掛けた。
「……神々の残滓に会いに行こうと思う。
イリス、ついてきてくれないか?
ソレンディル、マルセル様。あなた方も――伝説の存在に会いに行きませんか?」
イリスが少し眉を寄せ、不安そうに尋ねる。
「危険はないの?」
エルドリンは穏やかに微笑んだ。
「大丈夫。彼らから見れば、私たちは短命な種――小さな命に過ぎない。
仇をなす存在ではないさ。ただ……とてつもなく寒い場所だ。
寒さ対策だけは万全にしておこう。」
その言葉にソレンディルが唇を歪める。
「マルセル、良かったな。会いたいんだろう?顔に“ぜひ会いたい”って書いてあるぞ。」
「ふん、別に会いたいわけではない。……行ってやらぬこともないがな。」
マルセルはそっぽを向いたが、声の調子はどこか弾んでいた。
準備を整え、アンデッドのマルセルを抜いた三人は、厚手の外套を羽織り、手には魔法耐寒グローブをはめた。
エルドリンが床に白く輝く魔法陣を描く。
淡い光輪が足元に広がり、静かな音もなく、彼らの姿は消えた。
――次の瞬間、視界を覆う白銀の荒野。
刺すような風が肌を切り裂き、雪片が顔を打つ。
ここはエテルナ・グレイシャー――永劫氷河山脈。
世界でも最も寒冷とされる、神々の黄昏の地であった。
吹雪が一瞬止み、視界が開ける。
彼らの目の前に、氷で築かれた巨大な殿堂が姿を現した。
それはまるで大地がそのまま凍り固まって形成されたような、荘厳な宮殿――
フロスト・ジャイアントの王宮である。
氷の玉座に座すのは、白く輝く肌と霜の髭をもつ巨人。
十五メートルを超す体躯は山の如く、眼光は冬星のように蒼く冷たい。
しかし、その奥には深い叡智と慈愛の光が宿っていた。
巨人は古代語で低く唸るように語りかけた。
「……エーテルリウムの残滓よ。エルドリンか。」
「お久しぶりです、村長。」
エルドリンもまた、同じ古代語で答える。
イリスは目を見開いた。
「しゃ、しゃべってる……!?」
腰が抜けそうになりながら、ソレンディルの袖をつかむ。
「嘘でしょ……古代語で“会話”してるのよ!」
ソレンディルも呆然として頷いた。
「これほど流暢に話す人間がいるとは……発音体系すら不明なはずなのに……。」
マルセルはただ息を呑む。
「こ……これが、フロスト・ジャイアント……!」
巨人――フロスト・ジャイアントの長、フォルテは顎に手を当て、低く唸った。
「その背後にいる者達は誰だ?」
「紹介します。ハイエルフのイリスとソレンディル、そしてアンデッドのオーバーロード、マルセルです。」
「ハイエルフ……久しいな。小さき種よ。
そしてアンデッドか……死を越えた者よ。……ふむ。」
沈黙が数拍続き、巨人はゆっくりと口を開いた。
「今日は何の用で来た?」
「五百年前に現れた“死王”――あるいは“闇の主”と呼ばれる存在について伺いに参りました。」
「……五百年前、か。」
フォルテは氷の髭を指で撫でながら、遠い記憶を探るように目を細めた。
「確かに、あの頃は大地が騒がしかった。だがその"闇の主"なる者の名までは知らぬ。
ただ……あの者は“神々の残滓”ではない。
もともと小さき者……だが、匂いがそこにおる不死者に似ておる。」
「……やはり、アンデッド。」
エルドリンが小さく頷く。
「用は足りたかエルドリン。用が済んだなら“アゼザル・マハト”に会うがよい。
お前の気配を感じて待っておるだろう。」
「はい。感謝いたします、村長。また必ずお会いします。」
一同が深く頭を下げる。
イリスとソレンディルは緊張で体を硬直させ、互いに抱き合って震えていた。
マルセルは棒のように突っ立ったまま動けない。
「……だ、大丈夫ですか?」
エルドリンが苦笑する。
「よ、よくあんな巨人を前に平然と話せるわね……!」
「全く恐ろしい……あれは別格だ。神々の残滓、その通りだ我らがかなう相手ではない。」」
ソレンディルとマルセルは声を震わせた。
「でも、信じられない……本当に神々の残滓と話したのね。」
イリスが感嘆の息をつく。
「イリス安心して下さい。彼は敵ではありません。
だが次に会う“ネフィリム”のアゼザル・マハトは危険です。
マルセル様、あなたはここで待っていてください。
もしアゼザルが不死者を敵とみなせば、私でも止められません。」
マルセルはすぐに頷いた。
「……そうだな。ここで待とう。」
エルドリンはイリスとソレンディルの肩に手を置いた。
「二人は私のオーバーコートを握っていて下さい。ネフィリムは威圧感が強い。
倒れそうになったら、私が支えます。」
二人は黙って頷いた。
白光が再び広がり、三人の姿は消える。
――次の瞬間、彼らはヨトゥングレイヴ――巨人の墓標山脈の氷結湖に立っていた。
静寂。風が止み、代わりに重く張り詰めた空気が肌を刺す。
圧倒的な“威圧”が、空間そのものを押し潰すように漂っている。
氷の霧の中から、巨大な影が近づいてきた。
三メートルを超える筋骨隆々の体躯。
その双眸は灼けた金のように輝き、存在そのものが神々の残り香を纏っている。
「これは素晴らしい来訪者だ。――エルドリンか!」
声ではない。意識に直接響く声だった。
「はい、アゼザル様。村長に挨拶に伺った折、こちらにも寄らせていただきました。」
「そうか、あの老人に会いに来たのか!
お前の戦いはすべて見ていたぞ。
あの手強いグリフォンを少数で討ち取ったこと、そしてオークの軍を打ち破ったこと――見事だった!
それにアンデッドドラゴンを倒したな!お前は我らの同胞の誇りだ、エルドリン!」
「光栄です、アゼザル。」
エルドリンは微笑を返す。
アゼザルの視線がイリスとソレンディルに向けられる。
「その二人、お主と共に戦った仲間だな。……ふむ、アンデッドを置いてきたのは正解だ。
私は不死の匂いが苦手でな、危うく滅してしまうところだった。」
「こちらはエルメリオン王国のハイエルフ、イリスとソレンディルです。」
二人はおそるおそる挨拶した。
「こ、こんにちは……よろしくお願いします……。」
アゼザルは大笑した。
「ハイエルフか!我が記憶では新種だな。
だが美しい。して、エルドリン、この二人は……お前のものか?」
「えっ……いえ、私はイリスと――その、そういう関係で……」
「ならばソレンディルを私にくれ。」
「な、なにを仰いますか!」
突然の申し出にエルドリンもソレンディルも固まった。
アゼザルは真顔で続ける。
「私は本気だぞ。彼女は美しい。知性の輝きがあり、瞳に光を宿している。」
そう言うと、彼の身体が淡く光を帯び、見る間にエルドリンと同じ背丈に縮んだ。
「これでどうだ? 種の違いなど問題ではない。」
ソレンディルは顔を真っ赤にして俯く。
「わ、私の意思は……その……」
「わかっているとも。」
アゼザルの声は穏やかに響いた。
「私は古代語を話せる。そなたが研究している石碑を読むことも出来る。
“失われた構文”について協力出来るだろう。そなたの悲願を叶えてやれる。」
「……喉から手が出るほど、お願いしたいです。」
「ならば約束しよう。お前の旅が終わり、祖国に帰るその日まで待とう。
我々にとって数十年など、まばたきほどの時だ。」
「……わかりました。旅が終わるその時に、またお会いしましょう。」
「うむ。楽しみにしている。」
アゼザルは頷き、今度はエルドリンを見た。
「そしてお前にもう一つ。――以前に私が言った言葉。
お前の持つ“エーテルリウムの残滓”は、単なる力の器ではない。
それは“真なる大地の記憶”へと通じる扉だと。意味は分かったか。」
「いえ……未だわかりません。」
「“真なる大地の記憶”とは大地に刻まれた過去、現在、未来の全てを写す、真実の記録。
お前がエーテルリウムの奥義を使い続ければ、やがて“幻影”として現れるだろう。
最初は夢のように曖昧だが、いずれ意味を悟る。
それを見た時、お前はこの大陸の“始まりと終わり”を知る。
500年前の記憶も見る事が出来るだろう。」
エルドリンは深く息を吐いた。
「……わかりました。心して受け止めます。」
「行け、エルドリン。闇の主が再び動く前に。」
氷結の風が吹き抜け、三人の姿を白い光が包み込んだ。
次に目を開けたとき、彼らは再びミスティクレスト公国の城都ミスティアに立っていた。
マルセルが一足先に待っていた。
――神々の残滓が語った“扉”の意味を、まだ誰も知らなかった。
だがその言葉は、確かに未来を指し示す灯火となって、
彼らの胸の奥で静かに燃え始めていた。




